先人への敬意が、環境をつくる

福島県を代表する書家の千葉清藍さん。ここ数年、欧米など海外でも活動の幅を広げる千葉さんに、今、福島で書や芸術に関わること、作品を作ることについて聞きました。

INTERVIEW

千葉 清藍 | 書家

先人への敬意が、環境をつくる

郡山市在住の書家、千葉清藍さん。福島に59あるすべての市町村をめぐり、そこで見た景色、インスピレーションを受けた風景を作品にする活動など「旅する書道家」として知られています。現在では海外にも活動の場を広げている千葉さんに、旅の思い出や、福島の魅力、現在の活動などについてお話を伺ってきました。

取材・構成:小松理虔(ヘキレキ舎)

-福島を代表する書家として、現在は海外でも活動の場を広げていらっしゃいますが、もともと福島に来たのはどんな経緯があったのですか?

福島に来て19年になりますが、もともとはテレビのカメラマンを目指していたんです。東京のプロダクションに入社し、福島県内の民放局に配属されました。最初はカメラマンと二足のわらじで書道をやっていました。後に音声を担当するようになり、震災のときは、いわき市から新地町まで中継しました。あの時、被災した浜辺を見て、自分にはやり残していることがあるんじゃないかと自覚して。それから3年後に退職して、書家として活動しています。

千葉清藍として活動し始めたのは、2009年です。書の先生から「清」の字をいただき、私が「藍」の字を選びました。先生が亡くなったとき、自分で個展をやってみようと思って開催したのですが、「作品がただ佇んでいるだけに見える」と、作品を見た方から言われたんです。展示の空間を意識しすぎたこと、そして書に気持ちが入っていないと自分でも感じていました。恩師を亡くして何を書いたらいいか分からないまま、作品を書いていたんだと気づきました。

そんなこともあって、2010年に、道具を持って福島県全59市町村を巡る旅に出ました。旅に出てからは、文字に迷うことが無くなりました。伊佐須美神社でアヤメをテーマに書いた時は、ちょうど雨上がりのアヤメが色彩を増してキラキラしていたんです。それで「彩」と「雨」と書いて、「彩雨(あやめ)」と書きました。福島をめぐる旅では、五感で感じるままに表現していきました。

旅では、感性にも新鮮さがあったり、書の中に自由があるということを楽しむことができました。それに、人や自然との出会いは一期一会というか、そこにしかない空気感を持っているということも肌で感じました。部屋の中で書くことも大事だけれど、それとは別に、自分の書の追求には旅が重要だったんだと思います。

千葉さんのアトリエでお話を伺いました

-そうですか。震災の時には報道の仕事と書家の仕事を掛け持ちしていらっしゃったんですね。

そうです。53市町村目がちょうど終わったとき、あの震災がありました。でも、すぐに旅を再開して、残りの6つの市町村を回りました。旅では、立ち上がる人たちの強い思い、震災があっても変わらない風景の美しさを感じました。それを、書を通じて世界の人たちに伝えなければって、勝手な使命感を抱きながら、自分がやり残していることを全うしたいという思いが強かったです。突き動かされるようにして6市町村を回りました。

最後の締めくくりの書は、2011年11月、長床の大イチョウでした。旅を終えて59市町村ゴールしたけれど、ここからが始まりだと書が教えてくれた気がします。それからすぐに、仮設住宅で書道を教えて欲しいという話を頂きました。一つの旅が終われば、その次の光が見えてくるような、そんな書道人生だと感じています。

仮設住宅で書を教える時間は、とても充実していました。それまでは指導したことがなかったので戸惑いもありましたが、自分が福島を巡る中で心に生まれた新鮮な感情を、自由に素直に表現できたと実感していたので、それと同じように、敢えてお手本は用意しないで、それぞれ自由に書を書いてもらいました。

高齢の皆さんは、最初は「字がうまく書けないから」と出て来なかったけれど、若い人に引っ張られるようにして集会場に来てくださって、だんだんと緊張がほぐれて笑顔になっていく様子が印象的でした。みなさんがお書きになったのは、前向き、前進、笑顔、絆、感謝という言葉が多かった気がします。自分へのメッセージとか、お世話になった方への言葉が溢れていました。墨の香りに癒されて、どんどんリラックスしていかれる様子も印象深かったです。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、自分の時間を愉しむひと時だったなと思います。

最終的には仮設住宅や集会所を12ケ所まわって、書の力を一緒に感じることができました。でも、私自身がもっと書を知らなければいけないと思い、ここ数年は、和紙の里や筆、墨、硯の産地を巡って、書に関わるものについて勉強しています。出会った職人さんたちの想いに触れ、きちんと書を伝えられる書家にならなければいけないという自覚と覚悟を教えてもらった気がします。

阿吽。静けさのなかに、躍動的な息遣いが感じられる作品

-ここ数年は、海外での活動も盛んになって来ているようですね。最近まで、アメリカにも訪問されたと聞きました。現地の反応はいかがでしたか?

今年は5つの州の8都市をまわってきました。近年は、一度伺うと1ヶ月を越える活動をしています。平日は小学校から大学まで書を教え、土日はフェスティバルや式典で、パフォーマーのようなかたちで大きな文字を書いています。

私は福島から行くわけですから、フェスティバルのような場所で震災のことを話すと、雰囲気を壊してしまうんじゃないか? といった空気になったこともありましたが、福島から来た者が、お祭りを祝って愉しみながらも、世界が抱えている問題のひとつとして福島のことを発信することはとても意味があると思っています。

福島のことを話すとき、同情して欲しいとは思っていません。けれど、共感することはできると思うんです。例えば、アメリカ滞在中にハリケーンの被害があったり、年々深刻な災害がアメリカでも起きています。そんな時、お見舞いの気持ちを伝えたり、お互いの文化や痛みに触れて共感することは未来の平和や友好につながると信じています。私は、書は1日で伝えられるものではないと思っているので、腹を割って話すことができる環境に感謝しながら、信頼関係を、その土地の人と築くことが何より大事だと思っています。

海外と言っても、例えばヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、それぞれで反応は違います。ヨーロッパは何かロマンを感じてくれているところがあります。ロサンゼルスやニューヨークには、実は書家が多く、子どもたちが学校で書にふれあう機会も比較的多い地域です。けれど、私が行っている中西部や南部は初めて書に触れる人々が多いので、教育としての書道も、芸術としての書の魅力も、どちらも伝えられるように、そして楽しんでもらえるように心がけています。

県内の新聞社から依頼で書かれたという「令和」の書

-すでに書家が多いというのは驚きですね!

セントルイスでは、趣味で書道をやっているという愛好家が一人、また一人と集まってきて、ついには「セントルイス筆の会」ができたということもありました。今では、若い人からご高齢の方まで書道が人気になっているそうです。そういう報告が一番うれしいですね。私は1年に1回しか行けないけれど、地元の人たちが思いに共感して、自分たちのために動いた、というのがまたうれしいです。

以前、私が書いた書を「ここに入れたんだ」と言って、タトゥーにしてきた人がいました。その時、ああ、この国では、自分がさっと書いたものが、体の一部になってしまうこともあるんだな、もっと自分の字に責任を持たなければいけないなと思いました。自分の知らないところで書が新たな人生を歩む姿に遭遇したような感覚で、誤字や脱字・芸術面や作品としての管理基準も含めて、あらゆる面で書家としての責任や覚悟を持たなければいけないと思った出来事でした。

その歴史は室町時代まで遡るという雄勝硯を愛用している
書を学ぶために、各地の工房を訪ね歩いたという千葉さん。道具への敬意と愛を惜しまない

-現在は、主にどのような活動をしていらっしゃるんですか?

そうですね、書に関する仕事は、今のところ大きく分けると4つあります。1つ目は、教育機関や一般の方に教える書道の先生としての仕事。2つ目は、依頼のあったものを作品として制作する仕事です。3つ目は、式典やフェスティバル等でのパフォーマンスやデモンストレーション。4つ目は、福島の地域の子どもたちを対象にした、地域に根付いた文化を取り上げた活動です。

この4つ目は、文化団体を立ち上げて、会津桐や、福島の伝統手漉き和紙をテーマにした紙芝居を作ったり、掛け軸作りのワークショップなどを開催したりしています。その活動のなかに、三島町の子どもたちと桐の絵馬のようなものを作って、お願い事を書き、それを毎年三島神社に奉納する活動をしています。

福島のわき水で墨をすり、福島の和紙に書くという日々の制作は、とても贅沢に感じています。筆は広島のものが多いですが、子どもたちと触れ合っていると、木や葉っぱも筆になり、大地の恵みを感じながら書の原点に還る機会に恵まれています。そういう活動は、書家としての幅を広げてくれるような気がします。

私は書家にはふた通りあると思っていて、ひとつは、資格も免許も取らず、自分の世界を切り拓く人と、もうひとつが、団体に属して先人たちの書を真似るトレーニングしながらその幅を広げてステップアップする人。どちらも素晴らしいし、どちらの書も社会から求められていると思います。

私は、自分の感性や創造力を追求したいと思う一方で、臨書を通して学んで、師匠や先人たちへの敬意を絶対に忘れたくないというのが根底にあります。

書道は文化芸術として長い道、そして流れがあります。その水もただ留まっていたら濁ってしまう。清流のように流れていきつつ、先人への敬意を払うということが大事だと思っています。そうしないと、書道という環境そのものを破壊してしまうことになりかねないと考えています。創造によって水に流れをつくり、先人への敬意によって環境を守る。そういうことなのかなと思います。

千葉さんは「福島は未知数の力を秘めている」という

-書家として、福島の魅力とは一体どのようなところにあると感じていますか?

震災前から、食と自然の豊さ、そして人の温かさが福島の魅力だと思っていました。震災のときは30代で、東京に戻ろうかといろいろなことを考えていましたが、震災があって改めて福島っていいところだなと感じたんです。

震災直後の旅の中で、地割れした桃畑を訪れたとき、その農家さんが「自分たちは、おいしい桃を今まで通り作るだけだ」と黙々と作業をされていたんです。福島の方はシャイな方がとても多いけど、生産者の方の誇り、真の強さを実感しました。今年起きた大水害もそうですが、助け合う心や、お互いを生かす心、福島が持つそういう力を社会に共有して、共に考えていくことが求められていると思います。

私が作品を作る時は、目の前の風景だけでなく、食べもののおいしさ、人の温かさ、助け合いの心、人との交流からも影響を受けて感性が動きます。これまでの魅力に加えて、震災をはじめ様々な経験をしたからこそ出てくる未知数の力を福島は秘めていると思います。そういう意味でも、私にとって福島という場所は作品を作る上でとても大切な場所です。

実は、近いうちに、育むということをテーマに、福島の旅を再開しようと思っているんです。数年前から考えていることなんですが。今は旅の巡り方などを構想している段階です。当時と今と、見え方はどう違ってくるか、書く文字はどう変化するか、とても楽しみです。福島のおいしいものを頂きながら、美しい自然と、たくましく生きる人たちに、また会いに行けたらと思っています。

 

プロフィール 千葉 清藍(ちば・せいらん)
東京都葛飾区出身。福島県三春町にアトリエを構え、「旅する書道家」として2010年5月から、福島県全59市町村を巡った。2013年より、福島県の「あったかふくしま観光交流大使」に就任。JR郡山駅の駅名標、ANA東北フラワージェット 「東北」ロゴなどの揮毫を担当したほか、フランスの月刊誌「ズームジャポン~明日の日本を創る50人」に選出されるなどグローバルな活動を続けている。