自然を生かすのではなく、生かされる場づくり

INTERVIEW

渡辺 仁子 | NPO法人 蓮笑庵くらしの学校 代表

自然を生かすのではなく、生かされる場づくり

船引町の、まるで桃源郷のような里山にある「蓮笑庵」。民画家、渡辺俊明のアトリエだったこの場所は、多くの人たちの心を癒すだけでなく、新たな文化活動を生み出し、人と人をつなげるハブになっています。今回お話を伺ったのは、この場所を主宰するNPO法人「蓮笑庵くらしの学校」の代表、渡辺仁子さん。どのような理念で、場づくりが行われているのでしょうか。

取材・構成:小松理虔(ヘキレキ舎)

-本当に素晴らしい場所ですね。四季が感じられて、自然のなかに芸術作品があって。思わず一息ついて、物思いに耽りたくなるような。

蓮笑庵は、亡くなって今年で14年になる渡辺俊明、私の主人になりますが、その俊明が自分を表現した場所です。主人は「苦労もいい人間を作るけれど、いい思い出がいい大人を作るんだから、みんなで思い出を作ろう」とよく言っていました。それで大地に絵を描くようにして、里山に小道を作ったり、職人たちと気を植えたり建物を作ったりしてこの場所ができました。敏明にしてみれば蓮笑庵は大地に描いた絵なんです。本人の思いが全部入っている場所なんですね。

ですから、この蓮笑庵は民画家、渡辺俊明が構えたアトリエ、そこに触れたいという変わらぬファンの方が来てくださる場所というのが大きな軸になっています。個人で数名でいらっしゃる方もいれば、この秋も色々な団体がバスをチャーターして4、50人くらいの規模でいらっしゃった方たちもいます。絵を描いている人たちが多いです。

一方で、震災後に始まったものとしては、福島でいろいろなことを学ぼうという人たちが集う場所にもなってきています。地域の文化や歴史、心理学や地域経済学など、震災後の福島で学ぼうという人たちがスタディツアーというかたちでいらっしゃり、ここを学びの場で使ってくれているわけです。ほとんどの皆さんが原発に関連するところを見てきますが、それだけを持ち帰るのではなく、最後にこういう自然豊かな場所で学びをシェアする。そんな場所になってきました。

「この世はご縁をいただきにきたところ」と俊明も書いていますが、新しくやってきた人がまた次のご縁を結んでくれて、いろいろな方が集まるようになってきました。例えば、社会の中で立ち止まって少しリセットしたい方。会社勤めとかに疲れて一旦休暇をとったりとか、退職されたりとか、そういう方がいらっしゃってここに住み込む時もあります。そして、回復して戻っていくという、何か寺みたいな役割も生まれてきているような気もします。

柔和な表情でインタビューにじっくりと答えてくださった仁子さん

-まさにハブのような場所になってきているんですね。

そうですね、まさにハブかもしれません。ここで音楽会を主催をする方もいらっしゃいます。いろいろな国から船がやってきて港になるように、いろいろな人たちがやってきて、自然と集いや宴になっていく。主人は「国籍も宗教も年齢も関係なくいろいろな方が自由に使える寺のような場所になれたらいい」と言っていましたので、その流れになってきたのかもしれません。

それに、主人はとても季節を大事にして、お彼岸、七夕、お月見、そういう季節の催しをとても大事していました。そこで音楽会をしたり朗読会をしたり。以前は自分たちでやってきましたが、今は、ここに来てくださる人が、自分たちで企画して一緒にやりましょうと主催してくれるんです。本当にありがたいと感じています。

先ほどハブとおっしゃって頂きましたが、ここに逗留して、また別の場所で活動するという人たちもいます。友人たちの音楽家たちが、毎年名古屋からやってきて、彼らはそれぞれが独立した音楽家たちですが、ここに来るときだけ「ソレイユ」というチームを組んで近くの小学校を数カ所回ってくれているんです。彼らは他県でも活動していますし、震災から時間が経てば「福島で開催するのは充分じゃないか」ということにもなるのですが、現地の人たちとも関わりができたからと続けて訪問してくださっています。

ここが起点になって、ハブになっていろいろな出会い、ご縁が生まれて、この場所に継続して関わってくださっている。県外も人も国外の人たちも、福島に起きたことは人ごとではない、自分たちも考えなければいけないと。そう思ってずっと継続して関わってくださっています。

以前こんなことがありました。アメリカのカリフォルニアで大きな山火事がありましたね。そこから若い方たちが、福島はどうやって回復したのか学びたいというんですね。彼らの町は面積の80%が焼けてしまい住宅に使われる建材に含まれる物質が残って環境が汚染されてしまった。それで、福島の復興を学びたいと。すると、この件ならここを学ぶといい、この場所に行って見たらいいと、次々に目的地が生まれていくんです。本当に、いろいろな船があちらこちらからやってきては、帰港していきます。

建物のいたるところに俊明の作品が展示されている

-その大きなきっかけが、福島第一原発の事故だったということですね。

はい。やはり原発事故が大きかったのだと思います。事故当初はボランティアの方たちが集まるようになりました。その流れが大きかったですね。それまでは俊明のファンの方たちが集まっていた。けれど、そこからはボランティアが集まる場所にもなった。より多目的なものを一度立ち止まって考える場になってきたのだと思います。

NPO法人の名前にも「くらしの学校」と入れています。先人たちの暮らし、生き方、季節を感じて人々と交流すること、つながりを作っていくことが大事だというメッセージを込めました。あの当時は本当に心がガサガサして辛かったという方が多かったと思います。でもそんな時期だからこそ、香りやお茶、自然をゆっくり見つめて見ることも大事なんじゃないかと。

以前、ここで勉強会を主催された方がおりました。そこには避難者のリーダーをしていた方が参加して下さいました。被曝の影響を懸念した母子たちを県外へ避難する手助けをされていた方です。もう一方には、地元に残って、この福島で生きるんだと決意して様々な支援を頑張ってらっしゃった人がいました。そんな人たちが一緒に交わる勉強会をガチンコでやったわけです。でも、いきなりこの場所で議論するのではなくて、まずは自分が気に入った場所で好きなように時間を使っていいということになりました。

避難者のリーダーの方も、この建物の外に出て水の流れる音を聞いたりしていました。あとから聞いてみたら「こんなところで何をしてるんだ、もっと支援が必要な人がいるはずだと思ったけど、こんなふうに過ごす時間を忘れていたかもしれない」とおっしゃっていました。私は私で、彼らの原発事故に対する怒りを聞いて、ああ、私ももっと怒ってもよかったんだと気づかされたんです。

分断していたけれど、ここに集まり、自然や芸術とともに時間を過ごしたことで、そういう現象が生まれたんだと思います。自分でも不思議なくらいでした。立場や意見は異なっても同じテーブルにつくことができる。これは場の力なんだと思うんです。一度、自然から感性を刺激されて、そこから学ばされるのがいいのかもしれません。主人もよく言っていました。人は、人から学ぶだけでなくて、自然からもたくさんのことを学べるんだと。

俊明の作品には、その土地の草花や神仏が描かれている
草木の揺れる音を聞きながら、仁子さんとの対話が続いた

-それは大変すばらしいエピソードですね。文化や芸術、自然の持つ力だけでなく、人間はそういうものから力を得て、変わることができるという希望に満ちていると思います。

そうです。芸術や自然には、人の感性を深くする力があるんだと思うんです。けれども、もっと大事なのは、それを受け取れる力がなければいけないということ。自然はそこにあっても、そこから受け取れる力、感性がなければ学ぶことができないわけですから。だからこそ、私たちは「くらしの学校」と名付けました。自然から学ぶことができる、その感性こそを深めようと。

今は技術によってなんでもできる時代になってしまったけれど、こういう時代だからこそ、立ち止まって、自然から大切なことを受け取ることができる感性を大事にしなければいけないと思います。蓮笑庵は、その感性を取り戻し、学ぼうというさまざまな人たちと一緒に歩いて行く場所でありたいですね。

-確かにそうですね。より快適に、より便利に、より経済的に、という考えの延長線上に原発事故もある気がします。

そうですね、そういう社会では、要らないもの、捨てられてしまうもの、ボロボロのものは相手にされないかもしれない。けれども、そういうものを人は大事に生かすことだってできるんです。そういう体験や思い出がないだけで、人が集まればまた別の力が生まれるはずです。今、この里山の裏手にある古民家の再生プロジェクトが動いています。そのプロジェクトで、生かすのでなく生かされることの大事さを噛み締めています。

今は「すずめのお宿」という名前がつけられて、いろいろな企画が行われるようになりましたが、最初はもう誰がどう見てもボロボロの家でした。不思議なものですね、ボロボロの時は誰も見向きもしなかったけれど、少しずつゴミが片付いて中が見えてきた途端、多くの人たちが関わってくれるようになりました。

日本大学工学の「リズム」というサークルの多くのみなさんのおかげで改修工事が進められてきて、見違えるような姿になってきました。要らなくなった火鉢とか、解体される住宅からいただいた欄間や建具などで作った場所です。どれもこれも、必要なくなってしまったものだけれど、活かされればこんなにすばらしい場所になるんですね。

蓮笑庵は、俊明と腕のいい職人たちが最高の素材を作って作り上げた、ある意味では完成された場所です。でも、同じ里山の中にそれとは全く違う自由な場所ができた。世間で要らないものから始まりましたが、だからこそ自由に多様な人たちがいろいろなものを表現できる。「すずめのお宿」は、大衆のアイデアによる未完成の場所です。

そこで思い出したのは、主人が言っていた、「里山というのは、一度切り開いたら、人が手を加え、そして手を携えて守っていかなければいけない。そこから恵みをいただく場所なんだ」という言葉でした。つまり、里山というのは人間がそれを生かす場所ではなく、生かされる場所というわけですね。蓮笑庵も、すずめのお宿も異なる性格の場ですけれども、この里山の豊かさに生かされる場所だということは共通している気がします。

インタビューの後、仁子さんに「すずめのお宿」を案内していただいた
日大工学部の学生を中心に場づくりが行われている

-芸術や自然があることで感性を刺激され、対話の空間が生まれたり、立ち止まって考えたり、自由な表現が生まれたりする。それは偶然ではなく、芸術家である俊明がマスタープランを描いた場所だからこそ広がりがあったのでしょうね。

そうかもしれませんね。特に震災後に、そういう新しい流れが出てきました。それによって、すずめのお宿のような自由な場所が生まれたわけですけれども、蓮笑庵も含めて、それこそ皆で絵を描くようにして、この里山が育ってきたということなのかもしれません。本当に奇跡的なことだと思います。

主人とここに来た頃、家の前の池を作って、魚を放したことがあるんです。私は、せっかく魚を入れても泥でかき回されて何も見えないじゃないって文句を言ったんですね。すると、主人はこんなことを言っていました。「泥は決して汚いものじゃない。この見えない泥の中にどんな生き物がいるのかを想像するのが楽しいよ。泳いでいるものが見えるより、見えないものを想像することが面白いんだ」って。

もしかすると、この場所もそうかもしれませんね。仲間が増えて、関わってくれる人たちが増えて、さあこの先どうしようと思ったこともありますが、行き止まりかと思っても、次の橋がすっと現れてくるんです。これからの時代もそうかもしれません。ここが起点になって集った次の世代の人たちが、こんなことをしてみようって、きっと新しい橋をかけてくれる。そう思っています。

 

プロフィール:渡辺仁子(わたなべ・じんこ)
福島県田村市生まれ。武蔵野女子大学日本文学科卒業後、教員を経て工芸展に勤務、独立。画家渡辺俊明と出会い、生まれ育った田村市にてアトリエ蓮笑庵を開く。(有)蓮笑庵代表取締役就任。夫・俊明が他界後、蓮笑庵を共に感じ学び合う共有の場として開放する。NPO法人蓮笑庵暮らしの学校設立・代表理事。四女の母。