織物の文化を世界に、そして暮らしに

福島県内に伝わる「織物」。養蚕から加工までを一貫して守り伝える活動を続ける「工房おりをり」の鈴木美佐子さんに、活動に秘められた思いを伺ってきました。

INTERVIEW

鈴木 美佐子 |工房おりをり 主宰/福島市民家園手織りの会会長

織物の文化を世界に、そして暮らしに

福島市の中心部から車で30分ほど。自然豊かな飯坂地区の片隅に、先人たちの知恵を次世代に引き継ごうという「工房おりをり」があります。工房を主宰する鈴木美佐子さんは、福島県内に伝わる「織物」の、その養蚕から加工までを一貫して守り伝える活動を続けています。活動に秘められた思いを伺ってきました。

-先日まで、イタリアに行かれていたそうですね? 帰国したばかりのタイミングで取材に押しかけてしまい申し訳ありませんでした。今日はよろしくお願いします。

今回はイタリアのシチリアに行ってきました。現地の2つの大学で、福島の織物の話をしたりしてきたんです。シチリアは島のなかに7つもの世界遺産がある島です。漁業が盛んな島だから、網の技術が今も伝わっていますし、伝統的な織物の柄の中には「魚の骨」だとか「魚の目」があったり、「麦畑が風で揺れる様」があったりと、その土地の自然の風景が織物の柄になっていることが改めて確認できました。そういうものが継承されて、今の産業につながっているんですね。

それと同じように、福島という地域の中に残っているもののルーツを調べて、ちゃんとした形で残していくのが大事だということも改めて考えました。福島県にも、全国でも貴重な弓棚式高機(ゆみだなしきたかばた)や、時代としては最も古い地機(じばた)、織物でも八ツ橋織りなど昔から伝わる貴重な組織織りがあります。

福島市民家園手織りの会が保存と継承に取り組んでいるのですが、顧問をして下さっている佐藤和子さんが復元したものがあります。佐藤和子さんは、手書きの図で織り方を記した「織り方手引書」の収集・研究をしてきた方で、私たちが先生と仰ぐ方です。

この額を見てみてください(写真・下)。これは、慶応2年に作られた織物手帳を佐藤さんが解読して、それをもとに私たちが織ったものです。こんなに多くの柄があって、全てネーミングが異なるんです。これは宝物ですね。地元の福島に、世界に誇れるこういう文化があったわけですから。私たちは、こういう文化を伝えるために、織物を経験している会員で日々勉強し、活動しています。

海外に行くと、震災や原発事故のイメージが強く残ってしまっている国も多いようですね。今回も、シチリアの方に「原発事故から8年が経って、福島県に暮らす人たちも落ち着いてきていますよ」と伝えると、「それは政府から言わされているんじゃないか」と一人の学生から言われました。でも、本音を言ってくれてよかったと思いますし、そのあとに、じゃあどうして今日は参加したのと聞くと、自分たちが知らない素材、絹というものに興味があるんだと彼らは答えるんですね。

佐藤和子さんが解読した織物手帳を再現したもの。多様な柄、多様な織り方があったことがわかる
ひとつひとつの質問に丁寧に答えてくださった美佐子さん

-原発事故の負のイメージを、伝統産業が超えていく。そこが対話のチャンネルになるというのは興味深い話です。原発事故は、海外の人たちだけでなく、県内に暮らす人たちにとっても、地域が何によって成り立っていたのかを考える、大きな契機になりましたね。

原発事故が起きて、草木染も絹もダメなのかなと思った時に、自分のやるべきことは何だろうと考えました。それは、時間をかけて技術を残すことじゃないかと。川俣には1200年の歴史を持つ絹織物技術があります。保原にも400年の真綿の技術があります。川俣や飯野、二本松では今なお養蚕が行われています。福島の中で最初から最後まで完結できるのは世界的に見てもすごいことなんです。

ただ、各地で技術はあるけれど「製糸」が途絶えてしまいました。だからここで糸つむぎをやったらどうだろうと、原発事故の年に仲間たち4人に声をかけて、糸つむぎを始めました。「工房おりをり」自体はスタートして19年になります。今では、織物だけではなく、ワークショップをやったり、地域づくりに関わる大学生を受け入れたり、様々な活動をするようになりました。

それから今は、織ることだけではなく、養蚕からプロジェクトを始めています。東北で1軒しか残っていない伊達市の富田蚕種製造所から蚕種(蚕の卵)を頂いてそこから始めるんです。普通は卵から2齢まで育てられて、それが養蚕農家に届いてから始まるんですが、昨年は卵から始めました。やってみて分かることがたくさんありますね。やってみて初めて人に伝えられるんだなと思います。

養蚕はシルクロードを通じてヨーロッパにも伝わりましたが、昔、フランスで蚕の微粒子病が流行ったとき、梁川や保原の蚕がフランスの養蚕を救ったという歴史があります。フランスのリヨンにある織物装飾芸術博物館には、その時の蚕卵紙(蚕の卵が産み付けられた紙)が展示されていて梁川と記されているそうです。今回シチリアに行った時に絶対に行きたいと思っていたんですが、行けずじまいでした。機会があれば行きたいと思っています。

技術継承については、これまでも常に意識してやってきました。けれど、正直、養蚕に対してはそこまでの意識はなかったんです。意識が変わったのは原発事故があってからです。福島に残さなければいけないものってなんなんだろうって思った時に、やっぱり織物、養蚕、真綿、ここかなと。

以前、映画監督の熊谷友幸さんがこの工房にいらっしゃった時、「世界でも蚕種から織物までひとつの県で完結できるのは福島しかないんだ」と知らされて、それもきっかけになって、福島に残されたものをしっかりと守り伝えていかなければならないと思うようになりました。それが今の活動につながっています。

織物の機械がごくごく自然に置かれている工房。温もりと静謐さが同居している

-プロセスを1から辿るのは本当に根気のいる仕事ですね。ましてや、技術を若い世代に伝えるには、いろいろなツールも使って、自分たちで情報発信しなければなりませんし。

そうですね。今の時代は情報発信の時代でしょう? それに追いつけなくて精一杯です。写真を撮ったりイベントの情報をSNSに書き込んだりね。その時間を制作に充てられたらどれだけいいかと思いますよ。今は共感してくれている人たちが一緒に動いてくれているからいいけれど、課題は、それをしっかり形に残していくことです。

先人たちに恩返しをしなくてはという思いが強いですね。もう10年もしたら、技術を学ばせてもらう方もお亡くなりになるかも知れません。私だってどうなるかわからない。技術を伝えるには、私が学ぶところから始めなくてはいけませんから。だから焦る気持ちもすごくあるんです。糸作りから織物までの技術の継承なんて、全部やるのは欲張りなのかもしれないけれど、まずは自分がやってみてその大変さを知るところからやっていきたいと思います。

若い人たちが少しでも興味を持ってやってくれたら、少しは発信などもうまく行くのかもしれません。この部屋に泊まり込んで行く学生も多くいますよ。「帰りたくない」なんて言って、ずっと日向ぼっこしてたり。そういう学生の中からインターン生がやって来てくれたらいいなと思っています。私の生活も含めて、織物の隅から隅までを見せたいですね。その時間は惜しまないつもりです。

でも、私だってまだまだ勉強中の身。さっき紹介した佐藤和子先生と比べたら技術も知識もまだまだ足りていません。織物って本当に奥が深い。深すぎるほど深いと思います。

美佐子さんたちが商品開発した洗顔クロス「mawata bijin」
工房に置かれているあらゆるものが「手仕事」の賜物だ

-織物の技術だけではなく、染料もまた地域のものが使われたりするものですよね。草木染などはまさにそうですが、里山の豊かな自然が自分の着る服につながっている。そういうことを学べるのは、学生にとっても有意義なはずです。

そう。自然由来の色を身に纏うということはとても贅沢なことじゃないかしら。草木染は、元々は漢方の色で染めていたもので、薬ですから、体の中だけではなく肌も、体の外側も大切にという意味が込められたものとして扱われていました。

今回シチリアに行ったときに、18世紀から続く薬局が保存されていて、植物染めの材料がビンに入って売られているのを見ました。薬局に植物染の染料が売られているのを見ただけで来た甲斐があったと思いましたね。ただのきれいな色、ただの自然の恵み、というわけではなくて、身を守る、健康であるためのものなんだという意識が今も伝えられていた。それは改めて大きな再発見でした。

自然由来というと、じゃあ化学繊維はダメなのかという声も出てきますが、日本は織物技術が優れているので、化学繊維でも、私は用途に合わせて着ればいいと思っています。自然素材は不自由なこともありますからね。大事なことは、今自分が着ているものがどうやってできているのか、その素材はどのようなものなのか、肌に身につけるものですから、その由来をしっかりと理解することではないでしょうか。

講演したときには、参加者に洋服のタグを見てもらうようにしています。自然素材も化学繊維も良し悪しがあります。それに100%自然素材というのはコストもかかります。だからこそ糸から作って織ってできあがったものは粗末にできないわけですよね。昔の人は最後の最後まで「裂き織り」にして、帯にしたり、おんぶ紐にしたりしていました。

織物の研究に余念のない美佐子さん。さらに高み、深みを目指していらっしゃる
イタリアに持参した茜色の着物。これを纏うことは、福島の風景を纏うということだと美佐子さんは言う

-住宅なども、古材が次の新しい家に引き継がれたりしますが、そうやって素材が分解されて次の世代に受け継がれて行くのも自然由来の素材いいところですね。

そうですね。こういう所に住んで、田舎は循環の生活をしているとそう思います。風が吹いて、草木が芽吹いて、畑がある。どれも自然に合わせた時間配分で仕事をするわけですから、ある意味、時間の贅沢をしている。けれど、自然相手の作業ですからのんびりしているわけじゃありません。作業も自然とともに循環しているのかなと思います。これが人間の原点かもしれませんね。

-ここで話を伺っていると、確かにその循環を感じることができますね。そういうなかで、かつての暮らしの有り様を想像してみたり、昔の人たちと同じものを作ってみる。その経験は、今の実生活にもきっと生かされると思います。

若い人たちだからこそ、自然な驚きをもって織物や養蚕と向き合ってくれるかもしれませんね。だから一層、閉じた世界の中だけでなく、色々な人たちと連携していかなければならないのかもしれません。自分が種から織物まで一人でやって気が付いたことは、養蚕の人も織物の人も、お互いの顔が見えていないということでした。一緒の産業に取り組んでいるという意識が薄いんです。

これを繋げられたらいいかなと、「ふくしま絹の道」というイベントを企画したり、異なる業種が連携する取り組みをやってみました。今後は1年おき、3年おきくらいで続けていければいいなと思っています。と同時に、それぞれの仕事の後継者がいないという問題もあります。事業継続の取り組みも、どんどん輪が広がればいいなと思っています。

そういうことを継続しながら、自然に「福島にはこんな豊かな暮らしがあるよ」って、そういうふうに自然に福島のことを伝えていきたいですね。「原発事故のあった福島から来ました」なんてわざわざ言わなくてもいい。私たちが大事にしてきたものを素直に伝えていけばいいと思うんです。

シチリアに、糸から紡いで織った茜染の振袖を持っていきました。茜色の意味は「明日は晴れるね」という夕陽の色。福島の明日も晴れますようにというメッセージを込めました。糸も細くて、この色は17、8回と重ねて仕上げた末の色です。二度とこんな織物はできないだろうと思うくらい根詰めて織りました。これは、福島の風景そのものなんです。

そしてこの織物の中には、養蚕から加工までに関わるすべての人たちの思いも込められています。風景と、人の思いと、文化、全部詰まっている。だから福島について語るときには、これを持っていけば何も言う必要ないなと思って。織物ってそういうものなんです。それを身につけることができるって、やっぱり素晴らしいものだと思いませんか?

 

プロフィール 鈴木美佐子(すずき みさこ)
工房おりをり主宰。福島市民家園手織りの会会長。2001年「工房おりをり」を立ち上げ、2010年に福島県福島市にある古民家を改修して「染織工房おりをり」を主宰。福島の真綿を使い、草木で染め、手で紡ぎ、織る。全ての工程をこの地で完結させることで、技術と伝統を後世に残していきたいと活動を続けている。