子どもたちに伝えたい、他愛のない日常

福島市出身の銅版画家、三浦麻梨乃さんへのインタビュー。小中学校を舞台に行われる「学校連携ワークショップ」で子どもたちに伝えたかったものとは? 栃木県内のアトリエで伺いました。

INTERVIEW

三浦 麻梨乃 |銅版画家

子どもたちに伝えたい、他愛のない日常

福島藝術計画×Art Support Tohoku-Tokyoがこの数年力を入れている学校連携ワークショップ。2018年度、2019年度の2年間、この企画に関わっていただいた銅版画家の三浦麻梨乃さんに、これまでのワークショップの模様や、銅版画の魅力について伺いました。銅版画制作と学校教育の現場は、どのように結びつくのでしょうか。

取材・構成:小松理虔(ヘキレキ舎)

-三浦さんは2年連続での招聘でした。どんな子どもたちを相手に、どんな制作を行ったのですか? まずはこの2年を振り返っての感想を聞かせてください。

2018年は二本松市にある渋川小学校の4年生、それから会津若松市の第一中学校、第二中学校美術部の生徒たちとワークショップをやりました。今年度は、郡山市の御舘中学校の2年生、それから「ふれあい学級」という不登校の子どもたちが通う教室で取り組みました。子ども向けのワークショップは過去にも何回か経験していますが、美術館など希望者が集まるタイプものだったので、いろいろな学校に出向くというのは初めてでした。

やっぱり学校によって特色が様々ですし、応募してくるのは学校の先生で、先生の考えも様々あります。いろいろな問題を抱えている子たちがいる中で、子どもたちが自信を持ったり心の扉を開くきっかけにしたいという先生が多くいらっしゃいました。子どもの時期というのは、大人の階段をのぼる途中の、土づくりのための栄養を蓄える時期。何かきっかけを掴んで欲しいという先生たちの思いを感じました。ですので、作品を完成させるだけでなく、制作の過程で培われて生まれてくるものを大切にしようと心がけました。

例えば、ふれあい学級の場合は、1人がひとつの作品、ではなく、グループごとに共同でひとつの作品を作る形式にしました。紙の素材で作った版画を切り取って、動物とか自由な形を作り、それを自分の分身に見立て、背景となる作品に並べてみんなで作品を作るというものでした。

作業が速い子も遅い子もいますから、速い子は背景となる作品を作ってもらって、遅い子は自分自身のキャラクターをじっくりと作る、というような感じでしたね。共同作品なので、みんな同じ構図だけど、配置や色を変えることでバリエーションが豊富になりました。そういう変化を楽しめるのも版画のいいところだと思います。

「背景となる絵」と「自分の分身」を組み合わせて1枚の作品に

-学校でのワークショップの場合、制作の進度だけでなく、興味のあるなしも難しそうですね。やる気のある子ばかりではないでしょうし。子どもたちと向き合ううえで気をつけられたのはどんなところでしたか?

そうですね、やっぱり一番は私自身も一緒に楽しむことを大事にしたいと考えていました。それから、うまくやってもらおうというより、会話をしながらリラックスしてもらうこと。くだらない話のように思えて、でもそういう時に意外と作業が進んだりするんです。先生方の関わりがあったり、担当学芸員の大北さんのアイデアを取り入れてみたり、展開が多様に変化していくのを楽しむことができたように思います。

絵を描くことって楽しいことです。何が楽しいかって、自分の好きなものを描くことが楽しいわけですよね。実は私にも、大学時代、絵を描くことに悩んでいた時期がありました。その時に楽しさを取り戻すきっかけが、今描いているような小動物だったんです。子どもの頃過ごした福島の、楽しみながら触れ合っていた小さな動物たち。それを描いてると、絵って楽しいなって気持ちを思い出すことができたんです。

今回、中学校の美術部も担当しましたが、そこで分かったのは、美術部なのに絵が好きで入部したわけでなくて、人間関係から入部した子たちがいることでした。美術部なのに、絵が苦手だっていう子が少なくないんです。そういう子たちに「楽しい」という気持ちを演出するにはどうしたらいいだろうと思った時、やっぱり自分本人が楽しいと感じていること、ゲームとかおしゃべりとか車とか、なんでもいいから自分の好きなことを描いてもらうことが大事だなって。考えていて楽しい、取り組んでいて楽しい、そういうことを描いてもらうことで、何か、自分自身を見つめるきっかけを掴んで欲しいなと思いました。

-楽しいことを描く。こんなシンプルなことなのに、なかなか難しいですよね。どうしてもうまく描こう、教科書のようにやろうと思ってしまうという・・・。

逆に小学生のワークショップではみんな迷いがないんです。こんなに色を混ぜ込んで大丈夫かなって私は思ってしまうようなものも、逆に不完全なところ、知らないがゆえにできる大胆な発想が作品を豊かにするんです。大人はどうしても失敗を回避しようと思ってしまうけど、怖いもの知らずでぶつかる強さが小学生にはあります。だから作品にエネルギーがあるように感じました。

そういう意味でも、自分自身が楽しむというのは達成できた気がしますね。いい意味で適当というか、流れの中でなんとなくできるということも大事だな、それでいいんじゃないかって思えるようになってきました。やりっぱなしなのに、それが伸びやかさになって、作品に広がりや動きが出ている。それを感じられたことは刺激になりました。

同じ「円」を描くにも、様々な「点と線」のアプローチがある

-失敗を恐れないとか、大胆に楽しくやるとか、それがそもそもの美術の魅力かもしれませんね。決して教科書的な「上手」さが求められているわけではないはずです。でも、自由に描いていいと言われると臆病になってしまうものですよね。

確かにそうかもしれません。自由に描いていいと言われると難しいですよね。銅版画は、実はいろいろな不自由さがあるんです。まず描いて、彫って、刷るという複数の工程がありますし、実際にできる絵は版画なので反転されています。ペンで描くより圧倒的に不自由なんです。最終的な作品も、プレス機の大きさより大きい作品は作れません。制限されるんです。

けれど、その不自由さが、かえって無駄なことを削ぎ落としてくれたというか、余計なことを考えなくて済むようになったというか。私の描きたい世界は、小動物の細やかな表情や何気ない日常の風景なので、そんなに大きな作品を作る必要はないんです。今までは絵画ならやっぱり大きな作品を描かないといけないみたいな固定観念があったのですが、版画に出会ってから等身大の自分になれた気がします。

最初は油絵を制作していました。でも、どうも細かく描き過ぎてしまって抑揚がなくなったり、絵の具を重ね過ぎて鈍くなってしまったりということがあって。それで悩んでいた頃、大学で版画の授業に参加したんです。版画って、さっき言ったように、描く、彫る、刷ると段階が分かれているのですが、次の工程に移るときに客観的に作品を見ることができるんです。まだ描き足りないなとか、一旦冷静になって作品の展開を考えられる。それがすごくいいなって。

それに、銅版画は木版画と違って点と線のアプローチを主体に表現していきます。油絵の頃はどうしても作り込み過ぎてしまっていたのに、点と線しかないという制限が、むしろ逆に自分の無駄なものを削ぎ落としてくれた感じですね。いい意味で諦めがついてやりたいことが絞れたというか。私の描きたいものにもマッチしているし、銅版画によって自分の表現が磨かれてきた、そんな感覚があります。

銅版画の「制限」が、三浦さんの表現を結果的に磨いたのだという

-非常に面白い話ですね。版画の工程、大きさの制限、表現の不自由さ。それが三浦さんの表現を磨き上げてくれた。そしてそれこそ版画の魅力にも思えます。普段の何気ない日常、生まれ育った福島の動物たちを描くという三浦さんにぴったりだったわけですね。

そうですね、特に震災を経験したからこそ強く思います。あの震災を経験して、何気なく過ごしている日常こそ幸せなんだと気づかされました。身近な何気ない生活の中に、実は、自分自身を支えている土台の部分がある。何気なく暮らせる日常って、本当に恵まれたものなんです。子どもたちも、制作を通じて日々の生活を振り返るなかで、自分自身を見つめてもらえたらと思います。

子どものときの何事も無意識に過ごす時間って、現在進行形で土が作られている大事な時期。子ども時代に過ごした日常って大人になってから効いてくることって結構ありますよね。忘れようと思っても体に染み込んでいて、それが助けになる時がある気がするんですよ。

東京で予備校に通っていたころ、予備校も競争の世界で、自分より圧倒的な技術があったり魅力的な絵を描いている人がたくさんいました。そんななかで自信を失っていた時、なんとなく道端を歩いていたら、とある家の玄関にお盆の時に飾る精霊馬が置かれていて。懐かしい気持ちが起きて元気が出てきたことがあるんです。子どもの時も目にしていた精霊馬に「ふるさとのぬくもり」を感じました。私は、そういうものこそ作品にしたいと思っています。日常の何気ないもの、自然との触れ合い。その象徴が、私の描く蛙です。

そういう何気ないものに、作品を見てくれた方が共感してくれたり、楽しんでくれたり懐かしんでくれたり、そうして人との交流が生まれたりしています。福島で育って何気なく過ごしていた日常が創造の種になり、時間をかけて今、花開いているのかもしれませんね。今の子どもたちも、大人になっていくにつれて、幸せの形は変化していくと思うけれど、体の中にある芯の部分、土の部分って変わらず続いていくものだと思うんです。

三浦さんの作品に登場する「カエル」は、他愛ない、しかしとても貴重な「日常」の象徴

-そうですね。そして、そのかけがえのない日常が傷つけられたのが原発事故でした。

私は自分の作品展を栃木県内でも開催しているのですが、震災でこちらに避難して住んでいる人も結構いらっしゃいます。私の作品の中には震災をテーマにしたものもあるので、それを見て嫌な思いをさせてしまうかなと思いましたが、あのことを忘れたくないんだって見に来てくださる方がいらっしゃいます。絵を通じた対話やコミュニケーションも大切なんです。

それと同じように、他者との対話で気づけるものって少なくないと思います。今の子供たちって、ひとり遊び慣れしているというか、1人でも充実できる世代に見えます。でも、大勢の中で育まれる個性もあるはずですよね。中学校の美術部のワークショップもそうかもしれません。誰かの作品を見て刺激を受けたり、作品を通じて起きるコミュニケーションを通じて、生徒たちに成長のきっかけを与えたいという先生の気持ちが感じられました。

生徒の中に「白米を食べる時が一番幸せだ」って子がいました。それでいいんですよ。他愛ないことが作品になる。そういう経験を味わってもらいたいし、自分の中や暮らしの中にある他愛ないものを見つけることが、自分を吐き出すことになるって知ってもらいたい。こういう体験をしておくことが、後になって花開くような気がします。

小さい時、友達ができないくらい人と話すのが苦手で、黙々と絵を描いていました。でも、その絵が褒められたり、絵を通じてコミュニケーションが生まれて、それが自信になったことがあります。それからずっと、作品を発表しなかったら出会えなかった人間関係に救われている気がします。

栃木県内にある三浦さんのアトリエで話を伺った

-他愛もないものがモチーフになって、色々な角度から客観的に見ることができて、作品を通じてコミュニケーションが生まれる。そんな版画的な行いが福島で求められている気がします。

今回も「何をモチーフにしたらいいか分からない」って生徒がいて。みんなで美術を難しくしてしまっているような気がするんです。決められている固定観念に縛られたり、間違いを恐れて自分の意見を言わない傾向にあるのかもしれません。本当は、もっと臆せずに自分はこういうのを描いたんだって言っていいんだと思いますし、自分が好きなことや、他愛もない日常に、モチーフは転がっているはずです。

私は、震災を経験したからこそ、かけがえのない日常に目を向けながら、今後も作品を作り続けたいなと思っています。2020年は、福島だけでなく、栃木県内でもワークショップを行う予定ですし、個展も行っていきます。また、呼んでくださることがあれば福島の子どもたちと一緒に制作したいですね。

 

プロフィール 三浦 麻梨乃(みうら・まりの)
1981年福島県福島市生まれ。銅版画家。小動物の姿に人間の営みを重ね小さな命の物語を描く。蛙をモチーフに「童心にかえる」気持ちを表現する事が多い。大学卒業後、南会津地方の中学校で美術の非常勤講師、福島県立美術館で監視員を務め、栃木県の文星芸術大学の研究室助手を経て独立。毎年福島県をはじめ国内各地、海外のギャラリーや美術館で作品を発表し受注制作、美術館のワークショップ講師を仕事にしている。2006年から福島県ゆかりの版画家で構成される「版で発信する作家たち展」に参加。福島県再生をテーマにした三部作を2012年に須賀川市のCCGA現代グラフィックアートセンターで開催された企画展「AFTER3.11」に出品。その後も同作品を広島、新潟、栃木、横浜、千葉、東京の展示会に出品。