土地とのコミュニケーションを通して生死と向き合う

いわき市で昨年度、炭鉱町の歴史や文化を体験するツアー型演劇が上演されました。制作に深く関わった寺澤亜彩加さんに企画の意図や、地域と関わるうえで大切にしている理念を伺いました。

INTERVIEW

寺澤 亜彩加  |アーティスト

土地とのコミュニケーションを通して生死と向き合う

2018年にいわき市で始まったアートプロジェクト「しらみずアーツキャンプ」で昨年度、炭鉱町の歴史や文化を体験するツアー型演劇『地中の羽化、百億の波の果て』が上演されました。制作に深く関わったアーティストの寺澤亜彩加さんに企画の意図や、地域と関わるうえで大切にしている理念を伺いました。

取材:小松理虔(ヘキレキ舎)/ 構成:久保田貴大(ヘキレキ舎)

-しらみずアーツキャンプは前年度に続いて内郷白水地区をフィールドにして行われました。クラウドファンドも絡めた「ツアー型演劇」が目玉になっていましたが、ツアー型演劇に至った経緯、企画昨年度はどんなテーマ設定をし、制作、上演へと向かっていったのですか?

昨年度は、企画段階からいわきの伝承芸能「やっちき」を取り上げようということが決まっていて、地域探究家の江尻浩二郎さんと、アーティストの藤城光さんととも「やっちきリサーチ班」を結成しました。最終的には、活動のアウトプットとして、江尻さんはアーツキャンプ当日に「ヤッチキ学講座」を開講し、私と光さんは「ツアー型演劇作品」を上演するという形になりました。

最初は軽いノリでやっちきや炭鉱に関する身体ワークショップをやってほしいという提案を受けていましたが、私はやっちきも炭鉱もよくわからなかったんです。だからまずは石炭に目を向け、石炭について調べ始め、その中で生成過程を学びました。例えば、石炭がメタセコイアという海沿いに生息した植物が元になってできているということ、地球の内部からの熱と上部の堆積物からの圧力で生成されること、それには3000万年~7000万年もの長い時間がかかるということなどです。

それだけ長い時間がかかって生成されているものを私たち人間は比較にならないくらい短い時間で消費していると思うようになりました。ガンガン車走らせたりして消費している。そこにすごくアンバランスを感じてしまったんですね。返せていないというか。それで、どうやったらそのアンバランスを解消できるか、人間から返すことができるかということを考え詰めた結果、「人間が石炭になる」というアイディアがポンと沸きました。

そして光さんとの打ち合わせ時にそのことを話すと、光さんも2018年度の「しらみずアーツキャンプ」の中の「みろく沢芸術展」にて作品制作を行う中で、「人間が石炭になる」というアイディアをスケッチしていたという話をしてくれました。私と光さんではそこに至る動機やプロセスは異なるものの、この共通するアイディアを元に作品を作っていく方が良いのではないだろうか、ということで、共同で作品制作を行うこととなりました。

そこで、じゃあどういうふうに演劇の形を組み立てていこうかと光さんと話をするなかで「ツアー型演劇」のアイディアが出てきました。今回「しらみずアーツキャンプ」の舞台となった内郷白水町は、炭鉱があった内陸部の土地なのですが、石炭の原料となるメタセコイアという植物は、海岸などの湿った土地を好んで生息していたらしいんです。石炭が採掘されるということは、その土地がかつては海のそばだったということです。だから、いわきの海をめぐる必要があるよね、と。 いわきの海から白水町まで行くとなるとやはり移動が必要になってくる。そこでツアー型演劇ではどうか、という話になったのです。

今回の作品はマイクロバスで移動しながら上演された

-上映時間は10時間もの長時間になりました。この長さには、どういう意図があったのですか?

まず、今回は地質的な時間というのがすごく重要だったんです。メタセコイアが生きていた時代があって、それから石炭になって人間に掘り上げられるまでおおよそ3000万年~7000万年という、人間ではわけがわからないくらいの時間が流れていたんですね。それがものすごく大きくて。それに比べたら人間が生きていることなんてどうでもいいわけですよ。顔も見えない塵のような存在なんじゃないかと思うようになりました。

ただ、そうやって石炭ができる地質学的な時間に向き合った一方で、リサーチを進めるほど、一人ひとりのかけがえのない生や死の話にも出会いました。その短い80年とか90年という時間の中で、様々な風景や記憶を、すごくたくさん抱えて生きているわけですよね。でも、いつかは死んでしまう。そういったものが残らずにわからなくなってしまう。だから、この石炭と人間という、ふたつの時間軸を大切にして、常に往復しながら「ツアー型演劇」を作っていきました。

海と陸、石炭と人間を行き来する

-リサーチでは、どのような生や死の話と出会ったんですか?

ある元炭鉱夫の方に話を聞く機会があったんです。前年度のしらみずアーツキャンプ時に光さんが作品制作を行うということで話を聞いていた方だったんですが。その方は不思議な方でした。炭鉱という場所は事故がものすごく多く、それには常に死がつきまとい、語ることがタブー視されてしまうので、普通あまり多く語られないんです。でも、この男性は私たちの作品制作の要とのなるような、重要な話をしてくれました。

炭鉱の中で、事故があって、仲間が亡くなってしまう。他の炭鉱夫たちは嫌がって逃げてしまっていた中で、彼は遺体を抱いて地上まで上げていた。地上に上がると既に事故の連絡が伝わっていて、待ち受けていた家族たちに泣かれるのが嫌だったと語ってくれています。あるときトロッコのロープが切れてしまって、吹っ飛んでバラバラになってしまった遺体があったそうです。それを手でつかんで、袋に入れて。みんなは手を出さなかった。それがきっかけで、彼は炭鉱に入るのをやめたと言います。

炭鉱の話がタブー視されているのと同じように、この地域では、震災や原発の話もまた語りにくい状況にあります。実は今回、役者として参加してくれた人も、震災のことや原発事故のことを、なかなか表には出しづらい状況にあり、死にまつわる話を自分の中に抱えてしまっていました。

例えば、役者の一人は、沿岸部の出身で、津波が彼の町を襲って家が流されてしまい、たくさんのご遺体が上がった。その遺体は、彼のお父さんをはじめ、多くの大人たちが片付けてくれたから直接目に触れることはなかったのだけど、そのあまりにも多くもの死に、今までずっとどう向き合っていいかわからなかったと。

あるいは、別の女性の役者は、原発事故の被害が大きかった富岡町の夜ノ森出身でした。原発という産業がやってきて、そして原発事故があって、人間が帰っていくことのできないところへと変化してしまう。少しずつ、解除されてはいますが。そんな彼女は、自分の町を、町全体を抱えて生きているように見える。

リサーチで得られた話だけではなく、役者として関わってくれた人々自身が生きて抱えてきた様々な話がカチッとハマっていくような感触を得ました。私自身、いろんなものに引き寄せられながら、どうしたらいいかなともがきながらの日々でした。ただ、光さんや役者たちと一緒に進んでいった先で蓋を開けてみると、リサーチで出会った様々なお話や出来事、関わる人々が抱えてきたこと、そして、土地そのもの。この演劇の物語が折り重なりながら、不思議とつながっていった。次第にこの作品に取り組む必然性の強度が確かめられていくような日々でした。

炭鉱と原発・震災、作品の中で共鳴していく生死

-リサーチを通じて色々なものと出会ってしまって、つながってしまったということですね。アーティストが地域に関わることの意味も、そこにあるような気がします。

そうかもしれませんね。リサーチでは、多くの生死に向き合いました。実は、先ほどとある元炭鉱夫の男性の話をしましたが、その男性も、リサーチの途中で亡くなってしまったんです。それも大きく作用しました。死の淵のような場所で、最後にお話を聞くことができたのは、なんだかぞっとするような体験というか。何かを受け渡された感覚というか。そうしてそれをもらって、抱えて、ともに生きていく。それについて、強く考えました。死者とともにって言うけれど、生きていた彼から受け取ったんだから。そして私も生きていくわけです。

結果としてツアー型演劇の制作という形になりましたが、私たちもその死の部外者としてどう関わるかという視点がありました。私たちは、炭鉱の死の部外者だけど、その死とどう関われるか。あるいは、地元の福島県浜通りの人と県外から来た部外者と、お互いにそれぞれがどう関わるか。そんなことも考えた作品です。

生と死は完全に隔たれているものではなく、その淵同士に重なりがあり、生なのか死なのかわからない揺らぎの空間がある。内と外は確かに分け隔てられているのかもしれませんが、その「あいだ」について考える。私の場合、その揺らぎの只中に身を呈して、ぐらぐらと揺れながら何かを受け取っていく。元炭鉱夫さんから受け取ったもの、というのはこれに当たりますね。そのような「あいだ」の空間を非常に意識して制作していたと言ってもいいですね。

揺らぎに目を向け、身を呈する

-ところで、寺澤さんは普段は庭師としてお仕事されています。庭師というのは土地を扱うお仕事ですが、今回の作品の中でも、土地を扱う場面が多かった。土地との関わりというものについて寺澤さんはどう考えていますか?

そうですね、土地というと、いわきは異界にワープするような感覚を覚える場所が多い気がします。場所がすごくいろんなものを持っているという気がします。例えば、まったく知らない寂れた神社の竹に触ったときに体が震えてきてしまったり。ある種、私が持っている性質みたいなものに、いわきに来てから目覚めてしまったという感じがあるんですよ。

言い換えると、「場所が私を呼んでいる」みたいな感覚ですかね。「ここ、ここ」って。なんだろうと思って行くと、実際になんかある。原っぱとかですけどね。変だなと思って話を聞いたら、 ただの原っぱなのに、そこの原っぱに、ここではちょっと喋りにくいような歴史があったりとか。

そういう経験をするうちに、「土地とコミュニケーションする」という作風みたいなものが生まれてきた気がします。土地に向きあう庭師になったのもそうかもしれませんね。2017年に芸術公社が行っていた夏のアート合宿、「みちのくアート巡礼キャンプ」にて陸前高田の愛宕山に向き合いました。この山は震災後の復興工事の一環で元の三分の二の高さまで削られ高台へと造成された山です。そこで作ろうとした作品も、土地とコミュニケーションすることから生まれました。

今回の作品もはっきり「土地とのコミュニケーション」を意識して作っていったものです。自分自身の作品として「生死と向き合う」ということ、いわきという土地に対するひとつの答えが出せた気がします。

作品には寺澤さん自身も出演した

-まさに「土地とのコミュニケーション」を通して生死というテーマに向き合った結果のツアー型演劇だったんですね。今後、その「土地とのコミュニケーション」の試みは、どんな展開となるのでしょうか。

そうですね、答えを出しきれなかった陸前高田に、もう一度向き合ってみようと思っています。今回作品の舞台となった白水は、はっきりと土地に痕跡が残っているから土地とのコミュニケーションがしやすかった面はあります。廃坑のトンネルがあったり、手がかりがある。あるいは資料集や写真が残っているから、それを参照できる。白水にはけっこう残っているところ多い気がします。

でも、陸前高田に関しては、住宅地のかさ上げという、津波の痕跡さえも消してしまうという経験をしていて、私はそれが終わった後に行ってしまった。すでに「何かがわからなくなっていく、今」っていうような状態でパッと行ってしまって。かさ上げに必要な土を運んだベルトコンベアさえもないわけです。 もう、無くなったあとにどう向き合うか、と。これはすごい宿題です。

そこで思うのは、庭師の仕事です。新しく庭をつくるっていうのは、新しい土地をつくることとセットであることが多い。元あった土地の状態から、例えば山があったところを造成して、家を建てて、それでようやく庭を作れるんですよ。特に現代の家でつくる庭というのは、陸前高田と同じようなことが繰り返されてるという…。 現代の「お金を回さなきゃいけない」っていうルールの下で家を建て庭を作るというのは、そのように回転してる場合も少なくない。それがけっこうショックで…。

だから、職業としての庭師の仕事とは別のレイヤーで、「庭」を考える必要があるのかもしれません。それは表現や作品の領域にあると感じています。先ほど紹介した「みちのくアート巡礼キャンプ」で、私は「愛宕山の塚を作る」というのを別プランとして考えていました。

そのプランに、少し進展がありました。愛宕山の頂上には愛宕神社があったのですがその山が削られる前に解体されてしまった。その代わりにと神様を収める社が、名古屋の御園座から寄贈されたんです。その新しい社の設置が終わりました、もしよければ来てくださいと言われていて。いわきでの経験、庭師としての経験も踏まえながら、陸前高田でも、何か答えが出せたらいいなと思っています。

 

プロフィール 寺澤 亜彩加(てらざわ・あさか)
1995年、愛知県名古屋市生まれ。多摩美術大学演劇舞踊デザイン学科演劇専攻卒業後、千葉にて一年間庭師修行を行う。2019年4月より、在学中より何度も通っていたいわき市に移住。主に身体を媒介に、土地や自然、モノ、コトにはみ出していき、人間と人間でないものの間のことを考えながら作品制作、出演などを行なっている。主な作品は、「practice」「生成」「器に生(ナ)る風景」(應典院)など。2020年2月、藤城光とのユニット、phyton(フィトン)の最初の作品であるツアー型演劇作品「地中の羽化、百億の波の果て」の上演を行う。