美術館ではなく「博物館」のアート

2年目を終えた森のはこ舟アートプロジェクト。県立博物館の赤坂館長、コーディネーターの小林めぐみさんのお2人に、プロジェクトの成り立ちについて伺っています。

特別企画「森のはこ舟アートプロジェクト」2015総括インタビュー①

対談:赤坂憲雄 × 小林めぐみ

美術館ではなく「博物館」のアート

会津地区を中心に繰り広げられている「森のはこ舟アートプロジェクト」。2015年の事業を振り返りながら、キーパーソンに話を伺っていく特別企画です。初回は、プロジェクトの成り立ちと福島県立博物館の関係性について、森のはこ舟実行委員会委員長で福島県立博物館長の赤坂憲雄さんとコーディネーターで主任学芸員の小林めぐみさんに訊きました。

開かれた博物館であるために、想いの受け皿となるために


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「森のはこ舟アートプロジェクト」にとって福島県立博物館の果たす役割はとても大きいものに感じます。そもそもなぜ博物館でアートに取り組む動きが出てきたのか、そのあたりからお話いただけますでしょうか。

小林「福島県立博物館では2007年ごろから開かれた博物館を目指してさまざまな試みをしてきました。たとえば詩人の和合亮一さんに展示物の前で朗読パフォーマンスをしていただいたり、エントランスホールで現代美術家のやなぎみわさんに能を上演していただいたり。展示室や収蔵資料だけにとどまらないあり方を模索し始めたのがこの頃です。それが結実したのが2009年の企画展『岡本太郎の博物館・はじめる視点』展。常設展示と相対する形でアーティストに作品を制作・展示してもらいました。作家の目線が入ることで、博物館がもともと持ってるものを違った角度から見せてくれたように思います」

赤坂「私が福島県立博物館長に就任したのが2003年。その頃、博物館はある種の停滞感の中にあったと言ってもいいと思います。とってもいい博物館なんですよ。でも時間が経つ中で、置き去りにされつつあった。それを打開するための試行錯誤のひとつが、現代アートを博物館の中に導き入れることでした。そもそもヨーロッパなどでは美術館も博物館も等しくミュージアムと呼びますよね。しかし、日本では明治以降制度的に分断されてきてしまったんです。その垣根を少しでも低くして、博物館と美術館がもう一度出会う場を作りたいというのが私の中にはありました。その中で開催した『岡本太郎の博物館・はじめる視点』展は、もう批判の渦だったよね()。土偶の脇に現代アーティストの作品がなんのことわりもなしに置いてあるんだもの。観に来た人たちの中にも混乱した人がいたと思います。でも僕の目から見ると通常展示って開館以来ずっと一緒で、見飽きている部分もあった。それがアーティストの作品が置かれることによって場にカオスが導入され、緊張感が生まれる。いろんな問いかけや対話が始まる。革新的で発見に満ちたおもしろい試みだったように思います」

小林「ここでたくさんの現代アートの作家と出会ったことが、のちの展開にとっても大きな財産になっていきました」

――その後、2010年から福島県立博物館主導による初めての芸術祭『会津・漆の芸術祭』が行われましたね。しかし、翌年には東日本大震災と東京電力福島第一原発の事故。博物館としても、アートを扱う意味においても大きな出来事であったかと思います。

小林「そうですね。震災があって人と自然がどう関わったらいいか、もう一度考えなくてはと思うようになりました。単に文化の掘り起こしや地域が元気になるというコンセプトの立て方では、私自身もう事業ができなかったんです。ありがたいことに、作家さんたちからも『何か手伝えることはありませんか?』という申し出をたくさんいただきました。そこで、博物館は彼らの受け皿になって、その想いを少しでも多く福島や東北に伝えていこうと、漆の芸術祭の続行を決め、同時に東京都の文化による復興支援事業との連携が生まれ、週末アートスクールなど文化面から福島の復興に繋がる活動を始めたのです」

赤坂「アーティストたちは混沌としている福島で何ができるか、そしてアートって何だろうという問いを抱えて、止むに止まれぬ気持ちで参加してくれました。彼らもこういった災害の後の世界にいることで、アートも何者かで有りうるという確信を少しずつ手に入れていったのかもしれません。アーティストはカナリアです。敏感で傷つきやすい。そのカナリアたちがおずおずと何かをはじめることによって、大きな災害の後で言葉を失っている人たちが巻き込まれ、生じていた分断や対立が柔らかく溶けていく。アートというわけのわからないものが仲立ちしなければ言葉を交わせなかった人たちが出会う。それがアートの力を信じ直す機会になっていったのだと思います」

森林文化を見つめ直すことの重要性


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それまで育んできた多くの人々との繋がり、そして県からの打診もあって2014年に『森のはこ舟アートプロジェクト』が誕生しました。森林文化をテーマに掲げた背景にはどのような思いがあったのでしょうか。

赤坂「福島には森がたくさんありますよね。とりわけ会津にいると森の中に町や村が浮かんでいるイメージを持ちます。その中で育まれた漆や伝統野菜、狩猟などの文化もまた森に内包されるもの。植物的、生物的なだけではないをどうソフト化し、育成していくか、私はずっと考えてきました。今、里山は荒れています。それをもう一度再生させていくためにも森林文化をテーマにすることを決めました」

小林「漆の芸術祭では自然と人との関係を大きなテーマとしてきました。コンセプトとしてはやや硬かったような気もしていますが、森のはこ舟にはそれがスタート時から内包されていて、三島でEAT ART TARO さんが行った『食のはこ舟』でのトチ餅作り、西会津で村山修二郎さんが行った『森をえがく植物を介したアート・コミュニケーションの実践』での草木塔制作など、より具体的なかたちでプログラムに繋がっていきました。森のはこ舟アートプロジェクトは、会津にまだ残っているこれらの文化を、意識して考える場所にもなりうると思います」

赤坂「本当はなぜ森なのかと言うと、原発事故で森が汚されてしまったことへの怒りと悲しみなんですよ。ただ牧歌的に森の話をしたいのではなく、森で捕れた獣を食べられないというような現実をきちんと確認していきたいんです。人と自然の関係性を探れば探るほど、壊されていることにも出会いますが、それは隠すべきことじゃない。持っていたものを失ってしまったという視点もまた大切だと思います。そういった複雑な想いが2年間やってみてすごく出てきました。今の福島だから出てくる問題がある、それを伝えなくちゃいけないと感じています」

――3 年目を迎える『森のはこ舟アートプロジェクト』が向かうべき方向とはどんなところとお考えですか?

赤坂「『福島の森が今どんな状態にあるのか』、そんな問いかけをしながらやっていくことでしょうか。里山の再生が叶わない限り、福島の再生もないと言えます。会津の森も汚れてはいますが、その度合はすごく少ない。他の地域では除染のためにどんどん木が切り倒されていますから。だからこそ会津の森を、里山を再生させていきたいと思う。再建のために何が必要か、これまでの動きをふまえ実践編に進むべきときと考えます」

小林「私は震災以降の福島にとってアートが役に立っていると信じています。森のはこ舟アートプロジェクトは、1年目で基盤を整え、2年目では力を溜めて事業が動かせるようになってきました。3 年目は数年先までのビジョンを見据えたプログラムの設計ができればいいなと思います」

(インタビュー・構成/渡部あきこ)

 

profile
赤坂 憲雄(あかさか・のりお)
1953 年、東京都生まれ。民俗学者、学習院大学教授、福島県立博物館長。
「森のはこ舟アートプロジェクト」実行委員会委員長。東北学を提唱し、1999 年に『東北学』を創刊。
2011年以降は、東北でのフィールドワークに基づき、東日本大震災、
東京電力福島第一原子力発電所事故により東北が直面にしている問題について講演や著作活動も行っている。

小林 めぐみ(こばやし・めぐみ)
1972 年、福島県生まれ。早稲田大学大学院文学研究科修了。福島県立博物館主任学芸員。
美術工芸を主とする福島県内の文化資源について調査。
20102012 年に開催された「会津・漆の芸術祭」の企画運営も手がけた。
震災以降は「はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト」や「福島藝術計画×ASTT」に携わる。