有象無象の渦をつくる

2011年の『東北』など、東北を撮り続けている写真家の田附勝さん。いわき来訪時に話を伺うことができました。東北、震災、福島。田附さんには、どのように見えているのか。

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田附 勝さん(写真家)

有象無象の渦をつくる

2011年に刊行された『東北』で木村伊兵衛写真賞を受賞。その後の作品でも東北を撮り続けている写真家の田附勝さん。先日、いわき市で開催された「福島祝いの膳プロジェクト」のフォーラムにゲスト出演された折に、話を伺うことができました。東北、震災、そして福島。田附さんには、どのように見えているのか。

―まずは田附さんと福島の関わりについて教えて下さい。

もともと『東北』っていう写真集のために、東北を撮り続けていたわけだけど、自分の感覚のなかでの東北に一番近いのが、福島県立博物館の赤坂憲雄さんの『東北学』って本で。もちろん、おれのなかにも独自の東北観みたいなものがあって、赤坂さんとは少し違うんだけど、写真集が完成したときに、東北への入り口を作ってくれた赤坂さんに寄稿してもらいたいなと思って、それで博物館との関わりができて。それで今回のイベントに呼んでもらった感じかな。

福島っていうと、自分の作品で少しだけ南相馬を取り上げたことがあったくらいで、正直深い関わりはなくて、だからやっぱり今となっても原発事故が起きた福島だという意識が残ってるよね。原発の名前に「福島」って県の名前が使われてるでしょ。でも、もともと東北ってさ、「県」という区割りじゃ分けられないと思ってて、むしろ「藩」に近いイメージというか、いずれにしても「県」では測りきれないし、海に出れば境界線なんてないわけ。だからこそ「県」とか「福島」とかっていう境界線を取り払って、フラットに見ていくことも大事だと思ってる。

今回のフォーラムは食って切り口で、おれが撮り続けてきた釜石や八戸に似たところもあれば、ぜんぜん違う話も聞けたし、どこかに東北らしいところも見え隠れしてて。命を頂く、生と死の距離感の近さっていうのかな、そういうところは東北らしくもあるし、カツオとかサンマの話とかすごく豊かな部分も見えてきて、改めて福島のことについて考えるきっかけになったよね。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA常に社会の「辺境」や「周縁」を撮り続けてきた田附さん。福島について語る言葉にも熱と重みが感じられた。

―今回のフォーラムでは、福島の風化についても話題になりました。震災後の福島において創作活動する作家たちには、どんな役割があると思われますか?

写真に限らずどういう表現でもそうだけど、いろいろな作品があって良いと思う。今日のフォーラムでも、福島の二分化、例えば安全—危険とか、希望—絶望とか、そういう風に二分化されてるって話があったけど、どっちにもすり寄る必要はないし、本人が思うことをやればいいと思う。ただ、やる以上は責任が伴うし、その責任を果たさなくちゃいけないのが表現者だとも思うよ。おれだって釜石で作品を作ってきたときには、釜石に対しては責任持たなくちゃいけねえなって思って撮ってきたしね。

ある写真家がチェルノブイリ行ってさ、その人が福島の原発のそばでも写真を撮ったりしてて。そういうのもアリだと思うし、チェルノブイリを撮った人が福島で何かを感じて、それが写真に写されるみたいな、そういう思い入れは重要だと思うよ。たださ、やっぱり物事って断片でしかないわけ。断片が繋がっていくことで福島や日本が理解できるようになるわけでさ、その断片は有象無象にあったほうが良い。

もちろん、何かしら作品を作れば、誰かにショックを与えるような作品にもなり得る。そういう事実もありながら、20年と30年と時間をかけて、見た人たちの心の中に何が残されてきたのか、それが重要なんじゃないかな。原発が必要だとか不必要だとか、そういうことではなくて。作品を作られてショックだって地元の声があったとしても、そういう声があがることも重要だし、それも含めてどう残されていくのかってことを、表現者は考えていかないといけないんじゃないかな。

OLYMPUS DIGITAL CAMERAいわきのフォーラムでは自身が東北で撮り続けてきた写真についてたっぷりとお話し頂いた。

―『東北』もですし、その前の『DECOTORA』もそうですが、田附さんは社会の「辺境」とか「周縁」にあるものを写されようとしているように感じます。何か田附さんの心をくすぐるものや、問題意識がそこにあるのでしょうか?

そうだね。1998年から2007年までデコトラを撮り続けてきたけど、トラック野郎もどこか社会の辺境的な存在なんだと思うよ。デコトラを撮ったのは、昔、コピー機の配送のバイトしてて、そのとき世話になったドライバーがデコトラ好きでさ、うわぁこういうものがあるんだって知って、それで撮り始めたんだけど、トラックは「流通」という形で社会の底を支えているわけだし、それがなければみんなにモノが行き渡らないわけだから。でもなかなか意識はされない。

それはもしかすると東北もそうかもしれないし、福島も同じかもしれない。もともとそういう問題意識があったわけじゃないけど、今となっては繋がってきてるように思う。やっぱり自分自身、昔から物事をななめに見るようなところはあったかもね。引かれたレールの上を歩くことが求められて、でも社会ってそれでいいのかよ、なんかもっと支えてる人がいるんじゃねえか、みたいなね。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA東北の精神性から、縄文、さらには中央と周縁の話題など、多岐にわたり、実に繊細な話をして頂いた。

―今日はフォーラムへの出席ということですが、撮影の仕事で福島にもいらっしゃっているそうですね。次はどんな作品を制作する予定ですか? 

東北に触れる中で改めて「縄文」って時代に興味を持つようになってさ、これから縄文土器を撮影していこうと思ってて。でもそれは掘り返した土器そのものじゃなくて、全国の博物館とかに保存されてる縄文土器の破片なんだけど、博物館とかにある土器って、それが出土した時の新聞紙とかにくるまれて保存されてて、それが面白いの。それで土器とその新聞とを一緒に撮るプロジェクトを進めてるところ。

縄文と現在と、その新聞の出された時期と、1枚の写真の中にいろんな時間の層が見えてくるっていうか。土器をくるんだ新聞を見ると、事件とか事故とか災害とか、おれたちが気づかなかっただけで、似たような歴史が繰り返されてたりしてる。そのことを土器を通じて気づいていく。土器が見てきた膨大な歴史のなかで、おれたちが学ぶべきものとか、感じるべきこととかがあるんじゃないかって。それで土器と新聞も一緒に撮影してるんだよね。

ただ、縄文もなんていうか流行みたいなものにしちゃいけないと思ってる。例えば、本当に縄文時代の、あの自然と調和した暮らしとか、何万年も続いた平和に敬意を払うなら、上っ面のものにするんじゃなく、自然と調和した暮らしを実際に今の生活に取り入れるべきだし、例えば太陽光発電をもっと取り入れてみるとか、もっと一次産業について考えてみるとかさ。それをしないで「縄文良いよね」って言ったって意味がないじゃん。

やっぱり議論して、もっと議論して、実は議論がまだまだ足りなかったんじゃないかみたいな、そういう有象無象の渦を作り出していくことが大事だと思うし、それがたぶん風化ってものに対抗していくときに必要になってくるんじゃないかな。

 

profile 田附 勝(たつき・まさる)
1974年富山県生まれ。1998年、フリーランスとして活動開始。
同年、アート・トラックに出会い、9年間に渡り全国でトラックおよびドライバーの撮影を続け、
2007年に写真集『DECOTORA』(リトルモア)を刊行。
2011年に刊行した写真集『東北』(リトルモア)は、2006年から東北地方に通い、撮り続けたもの。
2012年、第37回(2011年度) 木村伊兵衛写真賞を受賞。
その後2012年に『その血はまだ赤いのか』(SLANT)、2013年には『KURAGARI』(SUPER BOOKS)、
2014年には『「おわり。」』(SUPER BOOKS)を発表している。