地域と芸術の狭間で

過疎化の進むいわき市山間部の田人地区で、10年以上、地域アートプロジェクトに関わる現代美術家の山本伸樹さん。地域と芸術の狭間で見続けてきたものとは。

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山本 伸樹さん(美術家/田人アートミーティング・アートディレクター)

地域と芸術の狭間で

いわき市の山間部にある田人地区で、2001年から不定期ながらも7回も開催された「アートミーティング」。はじめは「仲間内だった」という展覧は、近年、地域を巻き込んだアートプロジェクトになりつつあります。アートディレクターの山本伸樹さんにお話を伺うと、「アートミーティング」の源流、そして、昨今全国各地で開催されている地域アートプロジェクトが抱える問題が見えてきました。

—インタビューをお受け頂きありがとうございます。まずはアートミーティングについて教えて下さい。

2001年にスタートしたアート展で、今年で7回目になります。今年は全部で60組の作家が参加してくれました。今年は、廃校になってしまった田人第二小学校をメイン会場に、田人の人たちが管理する民家や、自治体の市民センターのようなところにも展示しています。作家は、地元の人もいれば、わたしの長年の友人もいますし、外国の作家も参加しているので、いちおうは「国際展」という位置づけになります。

今年は、田人地区の地域振興協議会が主催という形になって、より地域性が高まりました。今となっては地域の人たちとの関わりも目指していますが、もともとは、プライベートでこっちに住んでいる作家夫妻や、いわきのアトリエの方たちに声をかけて始まったんです。仲間たちと一緒に「自分たちの好きなことをやろうって」そういう感じでした。友だちを集めるようなね。

ぼくが田人にやってきたのは40歳のとき。もう、かれこれ20年です。芸大を出た頃、各地で野外展が行われるようになって、そこに出品していたので現地も見に行っていたのですが、久々にいわきに来たときに、田人や差塩などを見て回って、ここはいいなと思ったんですね。もともと渓流釣りが好きなもんですから、源流みたいなところに興味を持っていたんです。それで田人が気に入って、気がついたらもうここに住んでました。

アートミーティングは、震災前に4回、震災後に3回。毎年やったときもあれば、とびとびの時もあって、要するに気まぐれでやってきました。地域性は出てきて欲しいけど、かといって行政の取り組みになっちゃうとつまらないし。たしかに、これまでの取り組みを振り返ると、自治体から頂いた助成金が呼び水になってる部分はあるんだけれど、みんなでわがままにやりたいから、あまりそういうのに縛られずにやろうという感じでやってきました。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA旧田人第二小学校の体育館に展示された作品。最近では若い作家も積極的に出品しており、作家の幅も広くなってきたという

OLYMPUS DIGITAL CAMERA田人の地区内に突如として作品が現れる。その土地からメッセージを、鑑賞者は作品を通じて感じていく

―山本さんは現役の現代美術家でもあります。そして県内外でパフォーマンスもやっていたりしますね。これまでの作家としての活動と、この田人のアートミーティングは深い関係があるようにも思います。

今から30年ほど前になりますが、会津で行われたパフォーマンスアートのプロジェクトに関わっていたんです。「檜枝岐パフォーマンスフェスティバル」というもので、勅使河原三郎さんとか、大野一雄さんとか、一流の舞踏家がやってきて、会津を転々としながらパフォーマンスを繰り広げていたんです。そこには国際的なネットワークもあって、イタリア、フランス、カナダやポーランドなどの作家も参加していました。

そこで知り合った作家たちとつながりが生まれて、最初のアートミーティングにも作品を出してくれました。ですから、田人のアートミーティングはゼロから作ったというわけではなくて、過去に行われた展覧会などで生まれたネットワークが深く関わっているんです。美術展というのはそもそもそういうものなんじゃないかと思いますね。アーティストって国とか関係なく、みんなすぐに繫がってしまうものなんですよ。

それからもう1つ大きな影響を受けているのが1990年に福島県で開催された『現場89-90』です。今思えば、大きな核になっているような気がします。現場展はいわゆる「野外アート」の展覧会で、何年か続けて開催されたんだけど、『現場89-90』のとき、問題意識の強い展示をしようとして作家を少なくしたんですね。今は金沢21世紀美術館の館長をしてらっしゃる秋元雄史さんとか、東京造形大の学長をしている有吉徹さんとかが出品してました。でも、それに納得がいかないアーティストたちは、今度は梁川町で『希望の森の秋’89』展というのを別に開催したりね。その辺が核になって野外アート展が盛り上がっていったんです。

良くも悪くも内向きでした。純粋培養のアートというか。別に一般人との交流とか町おこしなんて文脈もなかったし、当事者もそんなことを考えてるわけではない。どちらかというとそういう町おこし的なのをやるのは、一般の人たちに理解されたいと思う絵描きの方とかでしたね。それは、いろいろな反省もあって変わっていくんだけれど、そういう純粋培養アートのエッセンスというのは、今も田人のアートミーティングに残っているように思います。

OLYMPUS DIGITAL CAMERAメイン会場の通路。観覧者がやってくると、山本さん自ら作品を紹介しながら歩くことも

―なるほど。最初は「内向き」、つまりアーティストのためのアート展だったと。しかし、今の田人のアートミーティングを見ると、アートを知らない人たちに対するまなざしもあちこちに感じられます。地域の人たちの存在を意識し始めたのはどのようなきっかけがあったのでしょうか。

やっぱり純粋培養だけではダメだということになったんです。当時、小名浜出身の美術評論家で『美術手帖』なんかにも寄稿していた田野金太さんって方がいて、真木画廊の山岸信郎さんと一緒に問題提起したんです。現代美術は一般の日常と乖離し過ぎている。非日常性を強調し過ぎたアートが商業的要素と結びつき、そのコマーシャルな部分に全体主義的な要素が孕んでいるのではないか。そんな話だったと思います。当時の現代アートに対して、そういう警鐘を鳴らしたわけです。

当時のアーティストは、そんなことはあまり理解せずにいました。それはある意味では、現代アートに取り憑かれていたのかもしれません。確かに、日常生活と密接な関係を持たない、日常と乖離した非日常の祭典のなかでは、みんながそのコマーシャルな部分に騙されてしまいます。ぼくは田野さんの警鐘に影響を受けて、それで、地元の人たちにも目を向けるようになったんです。といっても、田人の地元の人たちの家を1軒1軒回るくらいのものですけどね。

やっぱりアーティストにも競争原理があって、どっかで成功したいって気持ちがあるわけですよね。それは当たり前です。でもそれが競争させられてしまっているのだとすれば、危うい面もある。レベルの高い人たちを集めて、巨大な予算をかけて派手にやる。すると、アーティストはそれに呼ばれたいと思っちゃうし、それに巻き込まれていくんですね。そうではなく、競争原理から開放されたところでアートの可能性を感じられるような場所を作らなければならないんじゃないかと思い始めましてね。それが田人の展示に繫がっています。

そう思うと、あの1990年代の野外展の頃から、もう20年、30年となりますから、そういう長い間種まきしてきたことがようやく芽を出しつつあるということなんでしょう。いわきでも、玄玄天というアート展があったり、小名浜のUDOK.のように、自由に何かを創造できるような場所ができました。これは本当に大きいと思います。ようやく、種まきしてきたことにリアリティが出てきた感じがしますね。

OLYMPUS DIGITAL CAMERA地域アートのプロジェクトにもコマーシャルの要素が入り込んでいる。バランスが大事と語る山本さん

―日本全国で地域アートプロジェクトが行われていますが、「あいちトリエンナーレ」など都市圏の芸術祭とも違うし、新潟の「大地の芸術祭」のような観光周遊型の大型プロジェクトとも違いますね。田人から、そのような大型の企画を見てどんなことを感じてらっしゃいますか?

そうですね、単なる町おこしになっちゃいけないなと思って見ています。作家にもプライドがありますからね。単なる町おこしになったら、今までやってきたこと、自分たちの表現は、いったい何なんだろうということになります。人が集まればいいのかもしれないけど、本当にいい作品って、そういう地域アート展になかったりするんですよ。だからこそ、自分はこういう作品のほうがいい、こういう作家のほうがいいじゃないかって、見せたいものを大事にしたい。正しいかは別にしても、やっぱり提示していくことが必要なんだと思います。

当然、行政主導になれば、アーティストの顔ぶれも似通ってきて、似た者同士が集まるような展示になってしまう危険性もあるでしょう。選ばれるアーティストがいる代わりに、排除されるアーティストも出てくるはずです。田人の場合も、いわきでやるわけだから原発問題を取り上げたい作家も集まってきます。それは自然のことです。しかし、今の行政主導の大型プロジェクトだと、彼らのような作家を排除していかざるを得ないでしょう。だから、そういうのと間逆なものをやればいいんだと開き直ってやってます(笑)。

ぼくらは、作家が手づくりのアートイベントに近いですね。もちろんマスターベーションにならないように、地域性も持たせていきたいと思います。そこはバランスです。無理に巻き込むこともしないけれど、扉は常に開けておいて、来てくれる人がいたら抱きしめちゃう、みたいな。そのせいか、今年は少し田人の皆さんもこちらに入り込んできてくれるようになりました。古民家を貸してくれた方もいましたし、酒を持ってきてくれる方もいました。

案外、田人は快適なんですよ。ここに移り住んで20年だけど、いい意味でほっといてくれるんです。関わりが強い土地だと、応援もしてくれるけれど排除もされる。でもここはほっといてくれるんです。今回、炭鉱の排気口の煙突に作品を設置したんですが、その土地の持ち主に話を聞いたら、常磐炭鉱が賑やかだった時代には町も大きくて、外からやってくる人たちも多かったそうです。豊かな自然を持ちながら、排他的な土地ではない。そういう土地だからこそ、ぼくたちも継続してこのアートミーティングを続けていきたいと思っています。

ぼくは、明快なキュレーションの基準があるわけでもないし、他のアート展には規模の面でまったくかなわないんだけど、違うんだからいいやって開き直って、自分の視点やこだわりを持ったアーティスト、社会性をもった表現を模索しているアーティストと一緒になって楽しんでいきたい。「一緒にやろう!」って強烈なものじゃなくて「一緒にやってみない?」って感じでね。

 

profile 山本伸樹(やまもと・のぶき)
1956年福島県いわき市生まれ。1984年 東京芸術大学大学院を修了後、ギャラリー21で初個展。
以降ギャラリーK、真木画廊、SPCギャラリー、いわき市立美術館などで個展を開催
その一方で「大谷地下美術展」「現場89~90展」など、数多くの野外展に参加しつつ
「檜枝岐パフォーマンスフェステイバル」などパフォーマンス作品にも関わり、海外交流も展開した。
2004年、トルコAKBANKギャラリー、イランのテヘラン現代美術館に招待出品。
2008年、シカゴエフィファニー教会で加藤文子氏とのコラボレーション「Ten Night Dreams」に参加し好評を博する。
2001年に田人「アートミーティング」を初開催。現在はアートディレクターとして同展の屋台骨を支える。