潮目のまちから、 文化を考える

いわきで文化政策を考える時、私たち意識すべき軸とは何か。いわき市立美術館の佐々木館長に伺いました。福島藝術計画×ASTT2017年度報告書「潮目のまちから」からの転載。

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佐々木 吉晴さん(いわき市立美術館館長)

潮目のまちから、文化を考える

福島藝術計画×ASTT2017年度の報告書として発行された「潮目のまちから」から、いわきの文化の多様性を考えるための基礎となり得るインタビューを記事を転載します。福島藝術計画×ASTTでは昨年度、文化政策について考える「マナビバ。」を開催してきましたが、それを実際に行動に移していく時、私たちは何を意識すれば良いのか。その軸となるものを、現場当事者から伺いました。1人目は、いわき市立美術館の佐々木館長です。

―多様性こそ文化である

歴史や文化というものを考えるとき、よく引き合いに出されるのが、京都や金沢です。何百年と続く太い文化の伝統があって、それを価値基準の根底に据えて様々な活動や物産が生まれています。伝統というのは革新性が内包されていなけれは存続できないものですが、やはり伝統というベースがあってこそ。京都や金沢には、そのような長い文化の伝統が様々なものに通底しています。

では、いわきの場合何なのでしょう。それをずっと考えて来ましたが、おそらく、いわきというのは、様々な人が出入りするという伝統があった地域なんじゃないかと思います。文化の大きな1つの軸は目に見えないけれども、いろんな文化が混じり合ったり、いろんな人が混じり合ったりすることで、ある種のダイナミズムが生まれて、いわきの文化環境や、経済環境が形づくられてきたと言えるでしょう。いわきはまさにそういうまちなのだと思います。

アクアマリンふくしまも「潮目の海」というものをキーワードに掲げていますが、それはそのまま文化の面でも潮目になっているということです。他者を受け入れて、吸収して、何がしかの新しい発信を生み出してくる。それも立派な文化なんですね。関東と東北の端境にあって、双方に関わりがある。文化だけではありません、植物の生態や海の生き物もそうです。親潮と黒潮が混じり合う。混じり合うということが、いかに豊かな可能性を持つか、ということを考えなければなりません。

芸術の都とも呼ばれるパリでは、人工的に潮目を作っている面があります。抽象画は20世紀の初頭に登場しますが、もう一方では、伝統絵画のアカデミズムが強く残ってきた。今度はそこに外側から芸術家たちがやって来て、具象画の表現によって、新しい風をパリに吹き込んでいき、それぞれが「私たちの表現が最高だ」と主張していきます。パリの街自体は、長い間に築き上げられてきたサロンのアカデミズムがあるにも関わらず、意図的に外部の人たちを許容して既存のものとぶつけ合わせるわけです。そしてそれを政治的にもバックアップする。そうすることである種の人工的な潮目ができて、パリの市民も、芸術を求めてパリにやって来る人たちも、芸術の多様性に触れることができるんです。

いわきの場合は、歴史的環境がまさに潮目だったので、政治的に意識されたことがないわけです。多様性がキーワードになっているとしても、多様性それ自体を文化の核に据えて、政策に組み込んで後押しするということをやってきませんでした。ただ、実はこの美術館では、多様性を意図的に活動の中に組み込んできました。いわゆるファインアートというものです。

アートというのは幅広く、音楽、文学、身体表現、様々なものにアートという言葉を使いますが、それらを一概に否定するのではなくて、美術館の守備範囲はファインアートだけれども、今の社会のなかで、とりわけいわきのなかで、アートの活動範囲や理念が独自に広がっているとするならば、そのなかでアートとは何かという現象を紹介し、人々が体験することで、翻って「ファインアートとは何か」という意識を生み出していく。そういう活動がしたいなと思ってきました。結果的にそれは多様性につながることなんです。多様な表現を取り入れ、それを紹介してぶつけ合わせることで、研ぎ澄まされた、あるいは今日的な、いわき的なファインアートの理念や価値観が生まれるわけですから。

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いわきの歴史として象徴的に語られることの多い常磐炭鉱も、やはりおびただしい人たちが外側からやって来たことが知られています。その人たちがいわきの人たちと一緒に炭鉱独特の文化を築いたり、あるいは、北海道や九州から来た人たちが、それぞれの固有性を何がしかの形で残していったわけです。そうして生まれた炭鉱の文化は、炭鉱がなくなった後も、炭鉱の人たちによって違う形に生まれ変わってきています。つまり、スパリゾートハワイアンズがあるというのも、いわきが多様性を持っているからなんです。

他の地方都市でも、よく人工的なテーマパークを作りますが、やがてダメになってしまう。そこに必然性がないからです。ところが当時のハワイアンセンターには必然性があった。その一番根っこのところにあるのは常磐炭鉱の多様性です。いわきの内外から様々な境遇の人たちが出入りする、あの潮目のような環境、そこから生まれる多様性。ハワイアンズのルーツもまた、潮目に求めることができるはずです。

多様性の怖いところは、自分たちの背骨が見えないということです。ただ、多様性それ自体が背骨だと考えていけば、これから先の課題も見えてきます。しかしそれは、ただ受け入れるだけではなく、「るつぼ」のようにかき混ぜて、すり潰して、新しい素材として生まれ変わらせ、そしてそれを常に発信していくことが求められると思います。そして、そこに辿り着くためには、自分たちの強み、自分たちの特性を肌で感じないとだめですね。様々なものを体験し、その体験を語ったり、発信しながらぶつけ合っていく。そういうことが必要なんです。ですから、まずはいわきの多様性を、それこそがいわきの特性なんだと意識していく。京都や金沢、会津だけが文化だというのは間違いなんです。

―いわき市民がつくった、いわき市立美術館

いわき市立美術館の成り立ちも、もしかしたら多様性に関わるかもしれませんね。いわき市立美術館は公的な美術館ではありますが、実は市民ギャラリーがベースになっている美術館です。特筆すべきは、市民ギャラリーがベースになった美術館でありながら、行政主体ではないということ。そして、市民ギャラリーの作家たちが、俺たちの絵を飾れ、と言うんじゃなくて、現代美術に絞ったコレクションにしていることです。当時、誰も現代美術のことを深く理解していたわけではないのに、現代美術がこれからの時代に必要だと彼らは提唱してきた、それが美術館につながったわけです。

その中心人物の1人は若松光一郎です。自分自身が現代美術家、抽象絵画をやってきた方ですが、若松はいわきの人です。そして若松と同じくらいアピールしたのが松田松雄です。彼はいわき出身じゃないんですね。岩手の人間で、岩手訛りが抜けないその独特の力のある言葉で、いわきにとてつもない暴風を吹かせたわけです。反対側から別の暴風をつけたのが、緑川宏樹。彼は陶芸家です。東京出身で、京都で学んだのち、いわきで窯場を築きます。彼などはいわきに何の縁もゆかりもない。そういう人たちが西から東からやって来て、いわきをかき混ぜていく。それこそまさに多様性の1つなんです。

なぜいわきでそのような現代美術の風が吹いたかといえば、実は、いわきのなかには、日展とか院展のような、長い伝統的な価値観に基づく美術が盛んではなかったということがあると思います。他の地域に行くと「日展の誰それ先生がおられる」というような話になるんですが、それが希薄だったんですね。若松自身、具象を捨て抽象に来た先達です。このように、市民ギャラリーの中核の人たちは、何かアクションを起こしたい、俺たちで新しいものを作るんだという、かなり積極的な人たちだったんです。そして、そのためには現代美術は避けては通れないんだと、彼らは考えたわけです。

それから、現代美術を主眼に置いたのは、もう1つ別の理由もあって、それは現代美術の安さです。例えば、2年前にアンディ・ウォーホルのとある作品が2点で190億円で取引されました。私たちで買った作品は1900万円くらいです。あとは、私たちが所蔵しているイヴ・クラインの作品がありますが、先日30億円以上で売ってくれとオファーがありましたが、断りました。そのお金があれば美術館を増設できるじゃないかと言われましたが、増設した美術館に彼の作品が展示できないのでは本末転倒です。ちなみに、買ったときは6000万でした。要するに、現代美術は単純にいつの時代も「現代」なわけです。ですから、まだ評価が定まっていない。地方の美術館にも手が届くということですし、常に可能性があるということです。

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ただ、その時に大事なのはポリシーを固めておくこと。それから作品を見抜く「目」です。ですから専門職と選定委員会は絞り込みました。恣意的に選ぶことのないように、現代美術の流れを網羅して収蔵のフォーマットを作り、そのなかから必要な作家をピックアップするわけですが、作品を選ぶ選定委員の存在は非常に重要です。行政というのは、基本構想や基本計画を作ったら、そこから一言一句違えないように進めていきます。市長が変わろうと担当者が変わろうと同じです。

ですから、計画を作る最初の段階、誰を委員にするかがとにかく重要なポイントになるわけです。どんな人を委員に据えたらいいのか、というとき、世の中には明らかに保守的な専門家もいますから、そういう人たちが選定員になると、自分たちの理想の美術館ができない可能性がある。だから、保守的な委員が選ばれないように待ち構えている人がいたんです。市民ギャラリーの作家たちです。

彼らが、できるだけ現代美術を理解している委員が選ばれるように厳しくチェックしている。だからこそ、現代美術を理想に掲げるような選定員が選ばれた。選出された委員だって、日本で初めての現代美術に特化した美術館で、ここにチャンスがあるんだと、ここにユートピアを作ろうと、自分たちの理想を語ってくれたわけです。そしてその結果として、基本方針がまとまったわけですね。

基本方針のなかには「同時代性を持った戦後の良質な美術」という言葉があります。同時代性を持った、というところが大事です。あえて現代美術とは言ってはいないんだけれども、時代の波と関わりのない古いものはオミットされるわけです。その結果、ピカソの晩年の作品や、フォンタナやクラインといった様々な作品を受け入れたんです。まだ評価が定まってはいない作品ですから、「これは何だ!」となるわけですが。つまり、文化というのは行政が作るものじゃないということです。

文化とは何か。一番簡単に言えば「人々の暮らし方」です。時として、芸術活動とか、民芸的な活動、歴史が文化だというけど、結局は、その地方の風土環境や歴史、そして今に生きる人の価値観から生まれる暮らし方なんです。価値観というのは、風土や歴史、環境から自ずと形作られるけれど、外部からの影響を受けて様々に変わるものでもあります。今生きているものと、歴史や風土環境をぶつかり合わせてローリングさせていく。それによってまた文化が変わっていくという流れのなかで形作られていくものです。

でも、変えるのはよその人ではない。いわきの文化を語るのであれば、いわきの人々こそが作り手なんです。いわきの文化を堂々と語って、堂々と享受していく。それはいわきの人であるべきですし、文化というものはそもそも、そうであるべきです。

―常に意識的に「潮目」をぶつける

震災を文化政策のなかで捉えると、いわきに新しい風を吹き込んだとも言えます。文化の多様性は、内発的なものだけではなくて、自ずとそれが行われざるを得ないような環境、つまり外発的なものも欠かすことができません。本来、いわきには多様性の文化がありますが、いつのまにか硬直化しつつあった。しかし、震災によって、ほかの土地から大勢の人がやってきます。そしてその人たちを受け入れざるを得ない環境が作られ、様々なものがぶつかり合うなかでローリングされていく。そんなふうに、硬直化したものを震災が取っ払って、新しい風を送り込む1つのきっかけになったと捉えることもできます。そういう大きな流れのなかで、今日的な、いわき的なアートも生まれてきます。

いわき市立美術館でも何年も前から計画していますが、アーティスト・イン・レジデンスも必要だと感じています。美術館の活動というのは、市民に定着すればするほど、美術館の価値観を黙って受け入れてしまう人を増やしてしまうという嫌いがあります。だから、美術館からすれば、美術館を大切に考えてくれる人が増えるのはうれしいけれど、僕らの価値観を押し付けることになってしまうということを自覚しないといけません。アートとファインアートの違いを体験しながら、文化の多様性を作り上げていく。美術館とは、そのためのベースキャンプです。だから、美術館の価値を押し付けたくないんです。

ならば、人工的に美術館と異なるアプローチができる組織や制度を作っていくしかない。例えば、いわき市立美術館が行政なのであれば、民間の活動を振興していく。あるいは、美術館が見るための施設なのであれば、作り手たちを育てるアーティスト・イン・レジデンスを作っていく。そうして、常に別の何かをローリングさせていくことが求められます。こうだというのを決めつけない。1つの方向性になりそうだったら別のものをぶつける。そのように意識的に潮目を作っていくことが、ますます求められていくはずです。

 

profile 佐々木 吉晴 (ささき・よしはる)
1956年、宮城県塩釜市生まれ。80年、東北大文学部哲学科美学・西洋美術史専攻卒。
2012年、 いわき市立美術館副館長から同館長に就任。
いわき明星大客員教授、福島大客員教授、青森県立美術館作品収集委員、
福島県立美術館作品収集委員、郡山市立美術館作品収集委員、喜多方市美術館美術品収集委員、
福島県景観アドバイザー、福島県文化振興審議会委員、福島県生涯学習審議会委員。
専門:西洋美術、フランス近代美術(印象派~20世紀前半)、
西洋・日本現代美術、博物館学、パブリック・アート。