ラジオ番組でコミュニティの「謎」を記録する

福島藝術計画×ASTTで取り組んでいるいわき市下神白復興公営住宅でのプロジェクト「ラジオ下神白」。アーティストのアサダワタルさんに、企画について話を伺いました。

INTERVIEW

アサダワタル

ラジオ番組でコミュニティの「謎」を記録する

福島藝術計画×ASTTの公式プログラムとして、昨年から、いわき市小名浜にある「下神白団地」での実践が続いています。原発事故によっていわきに避難してきている双葉郡内の方たちが集住する「下神白団地」。今年は、文化活動家・アーティストのアサダワタルさんが入り、ラジオのプロジェクトを通じて、バラバラになってしまったコミュニティを緩やかに繋ぎ直そうと様々なプログラムを走らせています。原発事故特有のコミュニティの分断に、アサダさんはいかに挑もうとしているのでしょうか。

―下神白団地では、団地の完成直後から様々なプロジェクトが行われてきました。今年からアサダさんが団地に入り、「下神白ラジオ」というラジオ番組のプロジェクトが始まっています。どのような企画か概要を教えて頂けますか?

アサダ:下神白団地の住人の方に「音楽と町」というテーマで様々にお話を伺いながら、その模様を録音して、話の内容で登場した思い出の楽曲を入れつつ、ラジオ番組のように再編集して、それをCDに焼き直し、各世帯に配るというプロジェクトです。これまで2枚の本編CDと2枚のリクエスト編CD-Rを完成させることができました。CDを作る時にジャケットなども自作するのですが、その手作業も含めて団地の人たちに関わってもらいながらプロジェクトを進めています。

もともと話があったのは昨年の11月。いわきの会田勝康さんから「下神白団地でコミュニティづくりを一緒に考えて欲しい」と相談を受けて、12月の半ばくらいから少しずつ関わらせてもらうようになりました。最初から企画が固まっていたわけではなくて、地元のデザイナーの高木市之助さんや、リサーチャーの江尻浩二郎さんなど、地域の皆さんとも関わりながら即興的に企画が膨らんできたかたちです。

最初、団地の役員さんたちに協力のお願いをしているとき、ラジオみたいなことができれば集会所に来ない方ともコミュニケーションが取れるんじゃないかと考え、試しにマイクを置いて録音させて頂いたんです。最初の話し合いで3時間くらいおしゃべりしてしまって。で、それを編集し直して、音楽も入れてラジオ番組風にまとめて、皆さんに聞いてもらったら「あんなに自由に喋ったことがこんな風にまとまるなんて」って驚いてくれて、こちらの意図も伝わりすごく喜んでくれました。その時ですね、面白いことができるかもって思ったのは。

今年の春には本格的にCDを作って、お手紙も同封して作ってみようという企画の原型ができあがりました。お手紙のなかには、リクエストを書く欄もあるので、だったらそれを投函するポストも作ったほうがいいねとか、ポストを作るならもともと大工をしていたあのお父さんに相談してみたら? なんて話が進んで。それで私たちも住民の皆さんともつながり始めて、作業が進んできました。

いわき市平の「もりたか屋」でインタビューに応えて頂いたアサダさん。

—団地の皆さん、確かに今現在は大変な避難生活が続いていますが、ラジオを聞いてみると皆さんが懐かしそうに昔の思い出を語り合っていて、とてもいい雰囲気でしたね。

アサダ:最初の第一弾では、登場して頂いた住民の方が、たまたま3人とも常磐ハワイアンセンターの思い出を楽しく語って下さったので、それを特集として番組を組み立てました。CDが完成した時には住民の方にお知らせをして、皆さんに集まってもらい、それを聞いてもらいながら、そのCDに入れる手紙を折る作業や、貼ったり切ったりという作業を手伝ってもらいました。聞きながら、思い出に耽りながら、おしゃべりしながら、手も動かしてもらうというのがよかったみたいですね。

その後で、完成したCDを団地の全世帯にお配りしました。それが今年の6月です。すると、リクエストが返ってきて、そこからリクエスト編の特別版を作ってみたり、リクエストからネタを探して次の構成を考えて、第二弾では大熊町、双葉町、富岡町の三人の住人に出演してもらい、新しい番組を収録することができました。リクエストを出してくれた方を中心にして人選をしたので、皆さん企画の意図も分かっていて下さっていて、とてもいい番組になっていると思います。

プロジェクトで完成したCD。ラジオ下神白。
きめ細やかに印刷物を出してネタ集め。それがコミュニケーションを生む。
団地の敷地内にリクエスト箱を置いて声を集めたアサダさん。
各戸に個別に訪問し、団地の人たちとコミュニケーション。繊細に接触を続けた。

―通常、復興公営団地は、双葉町の団地なら双葉町の人たちが、富岡町の団地なら富岡町の人たちが暮らすというように、震災時に住んでいた自治体のコミュニティが維持されるものです。しかし、下神白団地は複数の自治体にルーツを持つ人たちがごちゃまぜになって暮らしています。被災の状況も異なるため、プロジェクトを進める難しさがあったかと思います。

震災直後、岩手県の大槌町でプロジェクトに関わったことがあります。割と最初から「この枠組みを作るぞ」って決めて取り組んだものだったのですが、やはり最初から枠組みを決めて現場に持っていくことの難しさを強く感じました。結果的に、現在は別の担い手に引き継ぐことができたので、今でこそ良かったと思っていますが、現場に入った頃は本当にしんどかったし、住民にとって必要なのはプロジェクトじゃなくて、無理にこちらに関わってもらっているんじゃないかと悩んだこともありました。

下神白の状況を聞いた時には大槌のことが頭をよぎりました。だからとにかく枠組みのところから一緒に相談して進めようと思っていました。もともと、僕は現場を見てからやれることを考えるというか、即興的にものを進めてきたタイプです。正直なところ、下神白の企画が走り出した頃は半信半疑でした。一番ホッとしたのは、最初に出て頂いた浪江町の三人の方がはっきり喜んでくれて驚かれたことですね。いつも蓋を開けてみないと分からないというか、他県で通用したものを持ち込むのではなくて、その現場の状況を取り入れながら企画を進めるように心がけているつもりです。

もちろん、自分の中に何もなかったわけではありません。表現を持ち込んで、現場のコミュニティ・人々の関係性を編み直していくというとき、ひとつは「音楽と記憶」というものが手立てになると思っていました。その軸は持ちつつ、あとは地元の人たちの状況を取り入れていくということが大事だなと思っていましたし、地元で関わって下さっているメンバー(前述した江尻さんや高木さんなど)が音楽やラジオに詳しかったり、地元の文化や暮らしにも通じているので本当に助けられました。私個人のプロジェクトではなく、チームとして動くことができたことが、皆さんにまずは受け入れてもらえている理由かもしれません。

結局、自分一人でやろうと思っていると、できないことのほうが多くて。もともと僕は「編集という発想が好きで、人との関わりも編集に置き換えることができると思っています。だから常に、誰と誰が組み合わさったらどんな力が出るだろうと、そこに関心があって。ぼくはイラストもデザインも大工仕事もできないので、ずっと誰かと一緒に作るというやり方で表現してきました。それがもう当たり前になっているんです。

アサダさんにとって「編集」とは特別な意味を持つ言葉になっている。

―アサダさんは「編集」というものを軸に活動されていて、現在は東京の小金井市を拠点に全国で活動を続けていらっしゃいます。活動の原動力というか、モチベーションというか、どこから創作意欲を得ているのですか?

よく分からないけれども面白いことをやっているうちにいつしか細やかな世直しになっているということが好きなんです。活動テーマは「表現による謎の世直し」と言っています。「謎」というのがポイントで、何の役に立つかわからないけれども、こんなことしたい、何か面白いことをカタチにしたいってことがあると思うんです。

だから、それをどうしたら実現できるだろうってことに関心があるし、それを誰かがカタチにしたら、別の誰かが必ず反応するっていうか、影響して、何か謎のモチベーション、表現衝動みたいなものが他人に伝染していくんです。おれもやってみようってなっていくし、だから、変なことをし出す人が周りにポツポツ増えていくことがすごく大事だなと思っています。

僕も何か社会的な方向性に反対したり、ある問題にイヤだなって思うことはあります。でも、何かの目的を持ってメッセージを発するということのみではなくて、自律的に、勝手に、各々が面白いことをできる状況・プラットフォームを作ることができたら、みんなが生きやすくなると思うんです。それは自分にとっては小さな革命だと思っていて。そして、それには表現やアートが合うと思っています。やっぱりアートや表現って、よく分からないモチベーションから生まれるものじゃないですか。それをコミュニティのなかでできたらいいなって。それだけはブレずにやってきていると思います。

その時に大事なのは、「この人ってこういう面もあるんだ」っていう気づきだと思います。会社勤めもそうだし、コミュニティの中での固定しがちな立場もそうだけれど、でも本当は、いろんな人がそれぞれいろんなことを考えているのに、それを自由に出せなくなっているように思います。だから、実はあの人だってよく分からないことが好きだってことを知る機会が必要で、それを知ると、誰か別の他者のことを奥行きを持って見られるようになる。すると、しゃべる会話も変わるし、徐々に相手との関係性も編み直されてゆく。そういうアクションって本当に謎だし一見地味なんだけれども、謎ゆえに他の面がふわっと出てきて、コミニュケーションが変わってくる。それが面白くて今の活動を続けています。

本質的には、下神白の皆さんも同じです。皆さん、「被災者」と一言で括られがちだけれど、それぞれの固有の思い出やわけのわからないものを持っていて。プロジェクトを通じてそれが少しずつ表現することができればいいなと思っています。

いわきでチームを組むデザイナーの高木市之助さん(右)とアサダさん(左)

―この団地が完成した頃とは異なり、団地から自分の故郷へ戻る人たちもいます。残る人もいます。それぞれ別の決断をしながら、団地の住人の数も減ってきています。状況が刻々と変わる団地で、アサダさんは今後どのように関わりを持とうと考えていますか?

そうですね、この間も、富岡の方にCDを配りに行ったら、もうその方は富岡に戻る決心をされたそうです。だから、この団地の場合は、いずれこのコミュニティを閉じる日が来るということを考えなければならないかもしれません。そのうえで、皆さんに何を残せるかということを考えていけたらなという話をチーム内でもするようになりました。

どこに移り住んでも、ここに残っても、どんな選択をしても、集会所で過ごしたり、このラジオを聴いたりして、誰かに何かが残り、次の土地にいったときにも、それが残り続けるというか。その後につながるようなものが作れたらいいなと思うんです。だから、ラジオを作り続けたり、対話する中で、住民の皆さんの変化を見逃さないようにしないといけないと思います。1つひとつのプロセスを丁寧に記述したり、書き残していくことも、今後取り組むべき課題だと思っています。

もちろん、ここを去っていく人たちの心の中に残っている音楽をインタビューするとか、そういう具体的な次元の行動も必要かもしれませんが、コミュニティが閉じられたり、次の場所にいったとしても機能するかもしれない、そういう何かを一緒に作っていけたらなと思います。コミュニティをみんなで盛り上げるというのとは別のベクトルというか、この団地のような離合集散にも価値があるんだと、離れてこそ機能するものもあるんだということを、今はまだ何かわからなけれど、この場所で探し出せたらと思います。

 

プロフィール アサダワタル
文化活動家・アーティスト。1979年大阪生まれ・東京在住。言葉と音楽を手がかりに、
全国各地のコミュニティでヘンテコかつきわめて日常生活に近い文化プロジェクトを実践し、文筆。
「表現による謎の世直し」をモットーに、人々の多様な面を交換しあえる風通しのよいコミュニティづくりに勤しんでいる。
『住み開き』(筑摩書房)、『コミュニティ難民のススメ』(木楽舎)、『表現のたね』(モクシュラ)など著書多数。
2016年より大阪市立大学都市研究プラザ特別研究員、博士(学術)。
また、グループワークとしてドラムを担当するサウンドプロジェクト「SjQ/SjQ++」では、
アルス・エレクトロニカ2013デジタル音楽部門準グランプリ受賞。