大人は子どもに自由を与えられない

本年度の公式事業「福島こども芸術計画」。柳津町で開催された「わたしの好きな柳津」の講師、画家の小池アミイゴさんへインタビュー。アミイゴさんのコミュニケーションの極意とは。

INTERVIEW

小池アミイゴ

大人は子どもに自由を与えられない

福島藝術計画×ASTTが今年、柳津町で繰り広げてきた「福島こども芸術計画」。会津地方の柳津町で「わたしの好きな柳津」と題して、地域の子供たちと美術作品を制作するワークショップを行ってきました。講師として関わって頂いたのが、画家の小池アミイゴさん。そのアミイゴさんに、ワークショップの模様や、子供たちの創造性について話を伺いました。

ここ数年、子供たちとのワークショップなど、様々なプログラムを企画して来たと思いますが、柳津の子供たちはどうでしたか? ワークショップの雰囲気や、子供たちとの交流を通じて得られた経験などを教えてください。

アミイゴ柳津の子供たちには色々なことを教えられました。完成まで何度かワークショップを繰り返して来ましたけど、ぼくがやってることはアートじゃないぞ、デスアートっていうかアンチアートっていうか、とにかくアートじゃないなって思ってて(笑)、すごく大変だったけれども、想像をはるかに超えるような瞬間瞬間の美しさがあって、子供たちから色々なものが飛び出してきました。とても楽しかったです。

ワークショップの初回は町歩きでした。ぼく自身、柳津について何もわからない状態で来るので、まずはぼくが子供たちから色々なものを教えてもらうというコンセプトにしました。「只見線を素材として使って欲しい」なんて依頼が最初にあったんだけど、大人たちの思惑で何かをやらされるようなプログラムにはしたくなかったし、通る道も、見るものも、すべて子供たちに考えてもらいました。

やっぱり「東京から素敵なものが降ってくる」みたいな企画なんて要らないし、素敵なのはお前たちだろうって感じでした。彼らはみんな子供だけれど、生まれてからもう10年近くここに住んで、震災後の大変な社会に生きてきて、ぼくたちのほうが学ばないといけないって思ってますよ。

実際に彼らは本当に面白くて。最初は「仲良くなんてなりたくねえ」って雰囲気なんだけど、虚空蔵尊に行った時に、子供たちがお寺の境内から「ヤッホー」って叫んでね。でもそのヤッホーが下手でさ、「やまびこはこうやるんだ」って、ぼくも「ヤッホー」って叫んだら寺の中からお坊さんが出てきて「大人まで一緒になって何やってるんだ!」って怒られて。最初はちょっと雰囲気が良くなかったけど、それで団結しましたね(笑)。

成果展準備中のアミイゴさんにお話を伺いました。

とてもいいエピソードですね。柳津の子供たちの雰囲気が伝わってきます。アミイゴさんは全国各地で同様の子供向けのワークショップの経験があるかと思いますが、子供たちとの共同作業は独特の難しさがあるのではないですか?

アミイゴそうだね、都市部でやると、子供たちがやりたいってことよりも、そういうワークショップに連れてきたってことをSNSで投稿したいだけの親も多くて、子供の方なんて見てないですよ。インスタ映えしたいだけじゃんって感じで。子供にかわいい絵を描かせてそれをシェアする。そんな場面に遭遇することが多いです。

震災後の熊本でやらせてもらったことがありました。親御さんたちが震災復興のバザーを開いていて、その脇で絵を描くって企画だったんだけど、子供たちは、親が頑張ろうとしているのに、おれたちはこんな楽しいことしていいのかって思っていて、ぼくに挑んでくるんですよ。子供は背負ってしまってる。気仙沼でもそうでした。楽しそうに絵を描いてたのに、最後になって一人の子供がすごい険しい顔して、真っ黒の絵の具で「復興するぞ」って書いちゃう。よく考えると、それらはみんな大人が喜ぶからなんですね。

東京の天王洲って街でやった時は、みんなとてもおしゃれで頭も良さそうなんだけど、なかなか描けない。遠慮してるんだね。それで「無理して描かなくていいぞ」って、時間をかけてコミュニケーションしていくと、少しずつ描き始めて。彼らは小さい時からものすごくいいものを与えられている子たちだから、描き始めるとものすごいものを描きますよ。ダントツで創造性あるのに遠慮しちゃう。それも子供たちの姿です。

震災以降、子供たちが遠慮するようになってる気がします。おそらく大人たちがいろんな部分で自分を出すのをためらっているのかもしれない。あれを言っちゃいけない、これを言っちゃいけないってね。でも、子供たちって別に政治的なことを言うわけじゃないし、言葉で言えないようなものを絵で出して欲しい。そして、そこで子供たちが描いたものを通じて大人が会話できるようになったり、子供への向き合い方が変わってくる。絵のワークショップをやるのは、半分以上は大人のためかもしれないね。

雪の降りしきる柳津。その雪が光を反射し、美術館の室内に光をもたらしている。

柳津の子供たちも一筋縄ではいかなかったのでは?

アミイゴ:いやあもう柳津も大変でした。学童クラブが中心になっているので、コミュニティがまとまって美術館にくるわけです。そこにはすでにルールがあるんですね、子供たちなりの。体を使って他の子供の邪魔をする子とか、ヤンキーっぽさをあえて出してる女の子とか、すでに子供たちのキャラ設定があって、それを解きほぐしていくのはとても大変でした。そのために意識したのは、絵とかどうこうではなく、とにかく会話して、いいね、かっこいいねって、自分の感動をそのままの言葉で伝えるようにしたことです。

ちょっと乱暴な男の子がいて、他の子が絵を描いているところにガーッと線を引いちゃったりしてね、それで学童のスタッフの人なんかは「邪魔しちゃダメでしょ?」って介入してしまうんだけど、そこの間にぼくが入って大人の方に「あとはぼくに任せてください」って大人を引き離しちゃいます。もしかしたら、その男の子にとっては命をかけた線かもしれない。だから「お前の線はワイルドでいいな、最高だな」って一旦引き受けて、「そんなに描きたいんならあそこの白いところに描いていいぞ」って誘導してあげる。そしてすぐに邪魔された子のところに行って、「次はおれが守ってやるから好きに描いていいから」とフォローしてちゃんと話す。するとね、子供たちも自分たちで考えて行動を変えていくようになるんです。

なるほど、先ほどのエピソードと同じように、子供たちの方が何かを演じていたりする。すると本当に描きたいものを描くんじゃなくて、大人が求めるような子供らしい絵を再現してしまうという感じになるのでしょうね。

アミイゴ子供たちと何かを作るという時、大人たちは「子供らしさ」を先回りして考えがちです。赤とかピンクとかそういう色が子供らしくてかわいいとか思っちゃう。けれど、大人たちが考える色じゃなくて全然いいんですよ。子供たちと「犬のうんこ色」なんて言ったりしてさ。そんな茶色だって綺麗で、誰かがそこにバーっと描き足してぐちゃぐちゃになっちゃうけど、その瞬間瞬間はとても綺麗で、いい色だったり、いい線がいっぱいある。それを発見するのが大人の役割なんじゃないでしょうか。

二日目のワークショップには、学童の大人たちの関わりかたが変わっていました。みなさん「これはいいわね」なんて言ってて。やる前は、ぼくのことをきっと危ないおじさんだと思って、みんな離れていくんじゃないかと思っていたんだけどね。子供たちに対するスタッフの関わりが変わった。それがいちばんの財産かもしれないね。

ぼくだってね、なにかのメソッドがあるわけじゃない。でも、やっぱり自分の想像を超えたものを見たいと思っていて。人智を超えたもの、それを子供たちが作っちゃう、そういう瞬間が見たいんです。大人が先回りした価値観で子供たちを縛っちゃうのはとてもつまらない。参加しただけじゃ意味がないと思っています。

子どもたちの一瞬一瞬の美しさが閉じ込められた作品たち。

アミイゴさんの話を伺っていると、徹底して「価値の転倒」や「新しいコミュニティの可視化」に徹していて、つまりこれまでの価値をひっくり返すようなことを徹底してやっているように見えます。もちろん子供たちだけでそれをすることはできないから、大人の関わりというものが鍵になりますね。

アミイゴ:よく、絵の具に手をぺったんして、手型でアートみたいなプロジェクトがあるけれど、あれもまた大人がやらせるものですよね。子供たちにとっては、いきなり手にペンキをつけるのって多分気持ち悪いことです。指や手に絵の具をつけて、そして少しずつ絵の具に触れ合って、そのうち自分で発見してペタってやるのが面白いんだと思います。失敗しながらトライして、絵の具と体が気持ちいいって思える時にやっていけばいい。

子供っていっぺんにババっと描いているように見えるんだけれど、実は周囲をよく見ていて、余白を見ながら描いてる。つまり構図を考えて作っているってことなんです。だからやっぱり大人が先回りしちゃいけない。子供たちは絵の中でちゃんとコミュニケーションしてますから。親がそれを発見してあげる。

だから大人ができることは、一瞬のなかの子供の輝きに感動してあげて、それをシンプルな言葉で伝えて、美しさを発見することだと思います。それができたら子供たちはどこまでも行きますよ。こんな体験を、人生で1回経験できればいいかも知れないなって、そういう気持ちで今回も関わらせて頂きました。

大人と子どもたちの心の関わりについて話して下さったアミイゴさん。

子供たちが輝く瞬間を見逃さない。その意味では、今回の作品は子供たちの作品とも言えるし、大人たちも含めたみんなの関わりの結末でもありますね。初めから結末を決めてそこに寄せていくのではなく、本当にハプニングの結末というか。それを作家として受け入れるのには勇気が要ることだと思います。

アミイゴ:そうかもしれないね。大事なのは、別に作品なんて残らなくていいし、絵だって本当に描きたくないなら描かなくていいってことだと思うんです。子供たちが幸せなら別にいいじゃんって。

ワークショップも3回目、4回目になると、子供たちの間にも関係性が生まれて、女の子たちもぼくに「キモい」とか「私たちは描きたくない」なんて言ってくるから、いいぞお前らは描かなくていいよって返したんです。そしたら、女の子たちはパレットの上で絵の具を作ることに楽しみを感じたみたいで、延々と絵の具を作ってる。それもその子たちの輝きなんですよね。

展示されるのは、そういう一瞬一瞬の輝きの結果でしかない。もちろん大人たちにも思惑はあります。今回も「柳津に雪を降らそう」とか言っちゃってね、狙いを作っていたんだけど、大人の意図と子供たちのクリエイティビティが重なる瞬間が来る。それがまたいいんだよね。

今回は、ずっと言うことを聞かなかった子が、「ロール紙の芯の先に筆をつけたい」って言うから、それを作って最後は雪を降らせました。その時に痛感したんだけど、大人たちの仕事は子供に自由を与えることじゃないって。そうじゃなくて、子供が自ら立ち上がって、ロール紙の芯に筆をつけるような知恵を獲得する現場を作り続けるってことなんだ。

それは、大人たちにとっては分からなさを楽しむってことでもある。ぼくも初めての柳津にやって来て、何が生まれるかなんてまったく分からないわけ。その分からなさが楽しくて、こういう仕事を続けていられるのかも知れませんね。だから、分からなさを排除しないこと。子供たちを信じること。一瞬一瞬を褒めること。それを改めて痛感したワークショップになりました。

 

小池アミイゴの誰でも絵が描けるワークショップ成果展 わたしのすきな柳津

 

プロフィール 小池アミイゴ
群馬県生まれ。会津若松市出身の長澤節主催のセツモードセミナーで絵と生き方を学ぶ。
フリーのイラストレーターとして1988年から活動スタート。書籍や雑誌、広告等の仕事に加え、
クラムボンのアートワークなど音楽家との仕事多数。
2000年以降は大阪や福岡や沖縄を始め日本各地を巡り、地方発信のムーブメントをサポート。
より小さな場所で唄を手渡すようなLIVEイベントや絵のワークショップを重ねる。