場をつくるという、博物館の新たな役割

福島藝術計画×ASTTでは、今年も福島県立博物館との協働を続けています。なぜ博物館が「アートプロジェクト」を行うのか。学芸員の小林めぐみさんへのインタビュー。

INTERVIEW

小林 めぐみ | 福島県立博物館 主任学芸員

場をつくるという、博物館の新たな役割

福島藝術計画×ASTTでは、この数年、会津若松市にある福島県立博物館との協働を進めてきました。今年度、柳津町で企画された「福島こども藝術計画 私の好きな柳津」は、福島県立博物館が中心になって企画されたものです。しかしなぜ「博物館」が地域のなかで「アートプロジェクト」を行ってきたのでしょうか。学芸員の小林めぐみさんに話を伺ってみると、震災・原発事故後の博物館の役割の変化が見えてきました。

取材/構成:小松理虔(ヘキレキ舎)

 

-今年は、県立博物館(以下、県博)が中心になって、柳津町の斎藤清美術館で福島こども藝術計画が開催されますが、企画の経緯や狙いなどについて教えて下さい。

小林:福島藝術計画×ASTTでは、これまでずっと「学校連携ワークショップ」という企画を進めてきました。県立美術館が中心になって、福島県内の小中学校などに作家や芸術家を派遣して、そこで授業の一貫として作品を作るというものです。その事業に博物館も参画することになり、「福島こども藝術計画」というフレームの中で、福島県立博物館と福島県立美術館がワークショップの事業を行うことになりました。福島県立博物館担当の事業では柳津町との連携となったのですが、意識したのが、美術館のワークショッップとの差別化でした。

美術館は、同じプログラムを県内の学校にお持ちして、それぞれの会場でやっていくという形ですが、博物館は、パートナーを決めて一つの地域に密着し、その土地の歴史や文化を知りながら制作を進めるという形を考えました。様々な学校に機会を与えようという美術館、その土地だからこそできることをしようという博物館、そんなふうに差別化することで、学校にとっても選択肢が増えると考えたんです。

もう一つ意識したのは、ワークショップに関わる人材を育てる企画でありたいということです。美術館、博物館の学芸員だけでなく、学校の先生や連携のパートナーとなる会場館、コーディネーターを担ってくれる地域のアーティストにプログラムを運営する側に入ってもらって、今後もワークショップを担える人を育てていきたいと考えていました。そこでパートナーとして浮上したのが柳津町だったんです。

 

いつも気さくにインタビューや取材に応じてくれる小林学芸員。

 

-美術館が横に展開し、博物館は縦に展開していく、そんなイメージでしょうか。そのパートナーが柳津町になったのは、どういう理由だったんですか?

小林:柳津には、やないづ町立斎藤清美術館があります。この美術館は、斎藤清という作家の作品を展示する美術館として20年やってきましたが、町内の皆さんの利用が少なく、来場者の多くは観光客という状況が続いてきました。それで、一昨年から運営方針を変えて、町立の美術館として地域に開かれた美術館を目指そうということになったんです。そこにタイミングよくワークショップの企画が立ち上がり、柳津がいいと。

企画にあたっては、虚空蔵さまであったり、丘のある風景であったり、柳津ならではのものを取り入れていくということになりました。でも、方向性を共有するだけで、一方的にどちらかが何かを任されるというのではなく、お互いにとってプラスになるような関係づくりを意識してきました。

鍵を握っているのが、現地で企画に関わってくれている学芸補助員の幣島正彦さんです。幣島さんはこれまで、町の方との関わり、公民館との関係づくりだけでなく、作家さんでもあるので柳津町での滞在制作なども行なっていました。作家だからこそ、作家の気持ちを汲み取りながら企画に関わってくれて、この1年でメキメキ成長してくれました。地域に入り、柳津を吸収し、色々なものを私たちに教えてくれています。彼のような人材がいなければ、一つの地域に密着するということもできなかったと思います。

 

やないづ町立斎藤清美術館の幣島さん(写真/中)。小林さんの期待する人材の1人だ。

 

-小林さんご自身も、博物館と町立美術館をつなぐパイプとして動かれていると思いますが、博物館の学芸員というと、博物館内で研究したり、各地の文化財の保全に努めたりというイメージがあります。小林さんはむしろコーディネーター、コミュニケーターとして、むしろ博物館の外側に目線がいっているようにも感じます。博物館の学芸員の役割というものについて、どのように考えていらっしゃいますか?

小林:そうですね、役割の変化というのは、この10年くらい感じていることでもあります。県博に入って今年で21年になりますが、最初に来た頃は、やっぱり学芸員は博物館のなかで仕事をするものだと思っていました。なぜ外を目指すようになったかというと、私がここに来て10年目くらいでしょうか、博物館の入館者数が減ったことがきっかけです。

そこで感じたのは、地域の映画館や本屋さんが減っていく動きと、博物館の入館者数が減っていく動きは、底でつながっているのではないかということでした。当時は、映画にせよ、本にせよ文化財にせよ、それがある場所に直接足を運んで本物に触れるという選択肢がありました。個人のお店には、店主の方のセンスや感覚があふれていて、多様な選択肢があったわけです。現在は、映画は大きなシネコンになり、書店もまた大規模チェーンやネット通販になって、画一的なものを求めるようになっています。

そこで思ったのは、待っていてもお客さんは来ないということです。税金で運営されているわけですから、市民に使ってもらわないと意味がありません。外に出て、地域の皆さんの声をちゃんと聞くことが必要だと考えたんです。

 

普段は学芸員の集う研究室で、書類や本に囲まれて仕事をされているが、、、、。
各地で行われるアートイベントやトークなどにも積極的に参加されている。(ART BRIDGE INSTITUTEより)

 

—10年も前からの動きだったんですね。外に出ていったことで、小林さん自身が得られたものは、どのようなことでしたか?

小林:地域に出てみると、感じたことがいくつもあって、ありがたいことに博物館というもののフラットなイメージがまだ強く残っていたということです。2010年から3年間開催された「漆の芸術祭」というものがあります。会津には、漆に関わる人たちのヒエラルキーが強くあって、職人と商店の立場が違っていました。当時は、作り手の職人さんが名前を出して外に出ていくなんて、かなり珍しかったんです。

表に出るのは商店の方で、むしろ職人は裏方、下請けのような存在でした。ところが、漆の芸術祭を開催するということになると、このヒエラルキーがいい意味で崩れて、どちらの人たちも一緒に企画に関わってくれたんです。博物館のフラットさ、属性のなさ、このベースがあったからこそ、考え方の違う人たちが一緒に対話したり企画に関わってくれるのではないかと感じました。

-なるほど。博物館の持つフラットさ、いい意味で「なんでもあり」な感じというか。そのフラットさは、原発事故以降、より強く求められていることのように感じます。原発事故というものを受けての役割というのは、どのように考えていますか?

小林:アジール性というか、博物館には多様な人たちが駆け込める余白があると感じるんです。博物館の、一度現在を離れて、遠い過去を経由するような感覚が、二分化した議論を超えていくヒントを与えてくれるかもしれません。様々な立場を超えて対話できる場所としての博物館というものを考えるようになりました。

その意味で言うと、過去の遺物をそのまま展示しても意味はなくて、それらを通じて今を考えることができるようにしなければいけません。私が入館した当時は、「こういう古いものがありました」と伝えるだけで、過去は過去でしかなかった。そうではなく、昔はこれがあった。そしてそこから今の問題を考えることができる。そんな視点を博物館は提供できるはずです。

もちろん、それができるのは、博物館だけでなく、美術館も図書館もそうだと思います。過去の遺物を紹介するだけでなく、それを通じて今を見る目を養う。世の中がどんどん混乱して、排他的になっていく現代だからこそ、温故知新という言葉があるように、過去を通じて今を考えていくような回路が必要なんだと思います。

博物館本来の役割を逸脱しているのは理解しています。でも、震災があったからこそ新しい役割を意識することができました。そして、そこに新しい博物館の可能性があるのならば、自覚的にやるべきだと思っています。これから進めていきたいのは場を作るということです。緩やかに地域に開かれ、多様な人たちが集うことができる場を、博物館が作る。博物館にしかできない場づくりというものが、きっとあると思っています。

 

 

プロフィール 小林めぐみ
福島県立博物館主任学芸員。1996年より福島県立博物館に勤務。専門は美術工芸。
2010〜2012年、会津の文化資源である「漆」をテーマとした「会津・漆の芸術祭」を企画・運営。
震災、原発事故後は、文化芸術による福島の復興と再生を目的とするアートプロジェクトに携わる。
2011年〜いいたてミュージアム(いいたてまでいの会)、
2012年〜はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト(はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト実行委員会)、
2012年〜Art Support Tohoku Tokyo ×福島藝術計画(東京都/福島県)など。