古代の大地とアートを行き来する

化石とアートがコラボしたワークショップで講師を務めた地質学者、竹谷陽二郎さんへインタビュー。サイエンスとアートを行き来することの魅力、そして意義はどこにあるのでしょうか。

INTERVIEW

竹谷 陽二郎 | 福島県立博物館 専門員

古代の大地とアートを行き来する

南相馬市で、化石とアートがコラボした、「ミクロの化石からアートへ ~太古の浜通り・南相馬を感じよう~」という一風変わったワークショップが開催されました。アーティストの君平さんとコラボしたのは、福島をフィールドに地質学の調査・研究を行ってきた竹谷陽二郎さん。徹底的な正確さがもとめられるサイエンスと感覚的なアート、一見対称的にも思える二つを掛け合わせていくのはなぜなのでしょう?。

取材:小松理虔(ヘキレキ舎) 構成:千葉雄登

 

—今回、放散虫でアート作品をつくるという試みを行われていますが、この企画はどういった経緯で立ち上がったものなのでしょうか?

竹谷:実は昨年、アンモナイトとアートのコラボを南相馬市で行いました。その時は君平さんとこれまでも様々な取り組みをしてきた博物館の学芸員の方が自然科学的な要素をアートに取り入れたいというお話を持ってきてくださって。

君平さんはアンモナイトの形をもとにアート作品をつくる役割、私はアンモナイトの持つ意味や形態の面白さを伝える役割を担いました。アンモナイトは専門分野ではありませんが、南相馬の地層や化石を紹介させていただいて、その中でアンモナイトも発掘されているというお話をさせていただいたんです。

その時に放散虫も発掘されていますということをお伝えしたら、君平さんが興味を持ち、アートにできないかと考えはじめました。昨年10月には新潟で開催された放散虫の国際学会にもお越しになられて学ばれた上で、放散虫のアート作品に挑戦しています。

 

アーティストの君平さんとワークショップについての打ち合わせ。

 

—今回のワークショップは、放散虫がテーマです。その放散虫をわかりやすく伝えるとするならば、何と説明すれば良いのでしょうか。

竹谷:放散虫というのはプランクトンなんです。原生動物単細胞のプランクトンで、ほとんどはケイ酸質の硬い殻を持っていることが特徴です。大きさは0.1mm~0.3mmくらいのもので肉眼では見ることはできません。この放散虫が死ぬと殻が地層に残って化石となります。

この放散虫というのは海だけに住んでいる生き物だったので海の堆積物に残っているんです。進化して残っていく過程で、大量絶滅して、そしてまた新しいタイプのものが生まれて…という形で形態を変えながら種を残していました。

—これまでアーティストさんとタッグを組んでお仕事されたことはありましたか?

竹谷:ありませんでした。放散虫としてアート作品をつくるというのは初めての経験です。でも、化石生物って幾何学的に美しい形をしているんですよ。私自身、化石生物は自然がつくった芸術だという意識は持っていました。人間も芸術作品をつくりますが、自然界でもこんなに美しいものができるんだと考えていたのでアートと結びつくことに違和感はありませんでした。

アーティストの方と一緒に仕事をするなかで発見もありました。自然科学でやっていることは形状の記載やその形状を示すための写真撮影など、何よりもその正確さが求められます。でもアートは正確さだけではなく、美しさの中で印象に残ったことを作品へとするわけです。元々の化石をモチーフにしているけれども、できあがった作品はその個人の芸術観やアーティスティックなものが出てくる。これが面白いですね。

 

ひとつひとつ形状の違う放散虫。ワークショップでは、子どもたちが再度スケッチして作品を仕上げていく。

 

— 先生は南相馬の地層の研究をしているとのことですが、今回の展示はいわき市の石炭化石館にて開催されます。この地域にも他とは異なる特徴や独特な地層は存在していますか?

竹谷:ありますよ。東北地方の中でも福島県の太平洋岸から北上山地まで中生代や古生代という時代の地層、つまり三葉虫や恐竜、アンモナイトの生きていた非常に古い時代の地層が確認されています。

もともと私は古い時代の地層が好きなので、この福島県の浜通りを研究のフィールドにしてきました。この地域は地層が古いだけでなくたくさんの化石が発掘されるんです。化石を研究する上では非常に良いフィールドなんですよ。

—先生がこの分野に進まれたのは昔から化石が好きだったからでしょうか?

竹谷:化石少年という程ではありませんが、大地がどのように形成されていくのかということにすごく興味があったんです。だからこの地質学の分野に進みました。

—地質学を研究される中で、2011年3月11日の東日本大震災という出来事は大きなインパクトとして残っているのではないですか。

竹谷:あの日は会津若松にいました。突然、震度5強の大きな揺れがきて。会津若松でもすごい揺れ方だったので、てっきり震源は会津の近くだと思ったんですよ。なので浜通りが震源だとテレビで知り、驚きました。地震や火山の噴火といった自然災害は必ず起こることは地層にもしっかりと残っていますし、頭では理解していました。けれども、実際に体験したのは初めてでしたから。

—あるアーティストの方が「せいぜい僕らは孫の代、おじいちゃんの代までしか遡れない。でも芸術家は500年、1000年の文化を引き継いでいくんだ」とおっしゃっていたんです。地質学というのは何百万年という長い時間軸の中で人でもないし、哺乳類でもないけれどその時代に確かに存在した生き物の声を聞くことができるのではないかと思いました。

竹谷:そうですね。福島県の地質には5億年の歴史があります。5億年前から大地が形成され、生物が棲んでいた痕跡が残されています。

 

ワークショップの開かれた、いわき市石炭化石館「ほるる」。大地には、私たちの知らない豊穣な世界が幾層にも広がっている。
地質の専門家とアーティストのコラボ。竹谷先生の話には、思わずワクワクしてしまうような魅力が溢れていた。

 

— ワークショップを行った時の子供達の反応はどんなものでしたか?

竹谷:熱心に聞いてくれました。子供たちの作品って正確かどうかではなく、とても面白いものばかりなんですよ。私はサイエンスとアートは全く別のものとして考えていました。でも、自然を対象にアートをすることで自然や化石に興味を持ってくれると考えています。だから、これからもこういった分野はとても楽しみです。

—博物館というのは地質学のようなサイエンスの領域と、伝統工芸のようなカルチャーの領域が複雑に入り組んだ場所ですよね。

竹谷:博物館が大学や研究機関と異なるのは自然科学だけでなく人文系や美術系など様々な分野の専門分野を持つ学芸員が所属していることです。だから何か展示会をやるときも様々な分野の専門家が寄り集まってある一つのテーマについて取り組む。非常に学際的で、総合的に見ることができるのが博物館の強みだと感じています。

宝物って実はとても身近なところにあります。私の専門分野のミクロな化石も目で見ることはできませんが、山の中へ行けばいっぱい眠っています。いきなり難しく考えるんじゃなくて、本当に綺麗だなと感じることや、時にそれをスケッチしてみたりする中で、もっと知りたい、もっと調べたいという興味につながってくれると嬉しいです。

 

 

プロフィール 竹谷陽二郎
福島県立博物館専門員。1952年生まれ。東北大学理学部地学科卒業、1981年東北大学大学院理学研究科博士課程地学専攻修了。
専門は地質学・古生物学で、特に中生代の放散虫化石(プランクトン)の分布や分類。
現在は、相馬地域のジュラ紀の地層や化石を対象に調査・研究している。