どこに立つのか、という問いを突きつける

福島県内で太古の生物をテーマにしたワークショップを手がけてきた君平さん。アートや地質学を飛び越え、君平さんが得た「問い」とはどのようなものだったのか。

INTERVIEW

君平 | 美術家

どこに立つのか、という問いを突きつける

ここ数年、福島県内でアンモナイト、放散虫など、太古の生き物をテーマにしたワークショップを手がけてきたアーティストの君平さん。なぜアートとは無関係に思えるような地質学とコラボレーションし、制作活動を続けているのか。自然との対話、古代生物の声を聞くことを通じて君平さんが得たのは、「お前はどこに立つのか」という問いだったといいます。アートや地質学を飛び越えて人間の実存に近づく君平さんの言葉に、しばし耳を傾けます。

取材:小松理虔(ヘキレキ舎) 構成:千葉雄登

 

—今回の企画は、子どもたちに向けたワークショップです。福島県立博物館の武谷先生と、武谷先生が研究している放散虫を材料に使ったものになりますが、どんなことがきっかけで始まったんですか?

君平:「森のはこ舟アートプロジェクト」というプロジェクトに関わったとき、それに関連して、南相馬市博物館で何かワークショップができないかというお話をいただいたんです。あまり知られていませんが、福島県って化石の名産地なんですよ。僕は化石の専門家ではありませんが、面白いと思ったので色々と見せてもらいました。一体アンモナイトの専門家はどこを見ているのか気になって、教えて下さいとお願いしました。素人にとって専門家がどういったポイントでアンモナイトを見ているのか、全然わからないじゃないですか。その「プロの視点」をワークショップで使えないかと思ったんです。

アンモナイトには成長線といって、古い自分の型が筋となって残ります。これが層のように重なって、とても複雑な形をしているんです。これがすごく面白い。それを樹脂粘土でつくり、金太郎飴みたいにくっつけるワークショップが生まれました。ただ、素人だけで集まってもつまらないので、県立博物館の武谷先生をご紹介いただきました。そんな経緯でした。

—もともと君平さんはどのような活動をされていたのでしょう?

君平:僕はずっと鉄を材料に創作を続けてきました。鉄が専門なので、戦争や近代化をすることについて興味を持っていて、鉄を通じて見える世界を探していたんですよ。湾岸戦争の頃には空の薬莢にクレヨンを鋳造して、50色の弾頭をつくったりもしていました。でもね、戦争とか政治的なものってどうしても説教くさくなっちゃうんです。そこからもう少し大きな世界観に惹かれていって、2010年頃からは琵琶湖のほとりにある大学で巨大な鉄でプランクトンを製作したり。「僕らは何者か」という素朴な疑問はどこまでも存在するんです。アートもサイエンスもやっぱり原点はこの問いじゃないでしょうか。

 

ワークショップの準備に余念のない君平さん。

 

—そんな流れの中で次のテーマは放散虫です。どこに面白さを感じますか?

君平:微生物って寿命が短いので、どんどん形を変えて生き残るんです。だから化石の形を見るだけでその地層がいつの時代のものか特定できるらしいんですよ。武谷先生は地質学の専門ですから、生き物そのものについて調べているというより、その地層の特定のために微化石を調べているんです。

この微生物って一体なんなんですか? って聞くと「わからない」って答えるんですよ。良いですよね。そうやって学者なのに、やればやるほどわからないことがわかってくることってあるじゃないですか。そういったことがすごく好きなんです。あれもこれもわからない。そのわからないことを知るためにやっているって面白いですよね。

彼らの仕事って本当に地道で、すごいと心の底から思うんです。石を掘ってきて、酸で溶かして、ふるいにかけて、選び出す。10年、20年っていう短い尺で捉えたら福島と向き合うって辛い記憶と向き合うことかもしれないけど、ものすごく長い尺で捉えることを地質学は可能にしてくれるんです。放散虫も突然形が変わる場所がある。これは種が死滅するくらいのディープインパクトがあった証拠です。生き残った種が形を変えるんです。

こうした種を残していくことと、アートがやっていることって尺度は違っても同じことなんです。戦争が起こるとアートシーンが変化するように、福島に起こったことは僕らにとって間違いなくディープインパクトです。そこから時代精神を映すアートも当然変化している。これが企画展のコンセプトなんです。

 

ひとつとして同じ形のない放散虫。古代の生物が問いかけるものとは。

 

—人間の力で捉えられる社会はせいぜい孫の代です。例えば小説の多くでも江戸、戦国時代くらいまでしか遡れないことを考えると、この大地が重ねてきた年数には到底およばないと思います。君平さん自身、何千年、何億年という長い時間軸と向き合うというのはどんな意味を持つのでしょうか?

君平:どんどん根源的なところへ近づく試みですね。ルネッサンスってめちゃくちゃ昔のような気がしますけど、あれって日本で言えば戦国時代だしせいぜい500年前なんですよ。それと比べて、数万年とかわけがわからなくなりますよね。でも、そういうかなり根源的なところからつながりを感じながら視野を広げると目の前の物事の見え方も変わるんです。

僕がプランクトンと出会った時も、それまでの見慣れた琵琶湖が世界中から研究者が訪れる古代湖に変わったんです。琵琶湖は彼らにとって宝の山なんです。当時は狭いアートシーンで捉えていて、新しいものをつくるなんて無理だって絶望していたところもあったんですけど、そんな自分が情けなく思えてきますよね。スケールの尺度が変わるということが製作の原点になっています。

 

ワークショップでコラボする地質学者の武谷陽二郎先生と。

 

—福島は君平さんにとって、芸術家にとってどういう土地なのでしょう?

君平:芸術で世界を救うことはできません。僕は福島に育ててもらいました。原発に関しては、2年間働いていた会社が防災設備の会社で原子力発電所もお客さんだったんで何度か伺ったことがありました。鉄好きなので原発の世界観って魅力的だし不思議なものだったんですけど、結局のところ原子力発電は湯を沸かして回しているんです。あんなにハイテクなイメージなのにすごく原始的じゃないですか。この組み合わせの荒っぽさを考えると僕はどうとも言えないのが正直なところです。

でも事実として不幸なことが原発で起こりました。アーティストの中にはこの問題にしっかりとコミットしていこうとしている方もいらっしゃいます。それは大事なことです。芸術のための芸術が流行る時代があれば、もうちょっと社会に向き合おうという機運が高まる時期もあります。これは振れ幅もあるし、一種のサイクルではありますよね。でも、僕はこれをムーブメントにしてしまってはいけないと思っています。

良いか悪いかなんてわからないけど、この世にあるものは確実に存在しているんです。それぞれ立っている場所が違って、そこから見える景色は違うからそれぞれの正義や悪があるんです。じゃあアーティストに何ができるのか?って言われると、それはみんなに見えていない視点をプレゼントすることだと思うんですよ。

—あまりに人間の声だけに耳を傾けすぎているところがあるのかもしれませんね。太鼓の生き物も何万年、何億年昔に生きていたからといって劣っているわけじゃない。

君平:彼らの形状がなぜあのようなものなのか、よく聞くんですよ。でもね、「わからない」って言うんです。ただ生き残っただけなんじゃないかって。アートって何でもかんでも意味を求められますけど、ただ生き残ることの価値って間違いなくあるんです。それって良いもの、悪いものという尺度とはちょっと違う。例えば法隆寺はすごいって言われてますけど、大工の棟梁に言わせれば法隆寺がすごいのは残ったからなんですよ。

—君平さんの仕事はアンモナイトや放散虫などのメッセージを翻訳することなのかもしれませんね。

君平:そうですね。やっぱり視点が違うので、それを伝えるのがアートの役割なんですよ。やっぱり地質学者には地質学者の視点があります、それぞれ立っている場所や立場から何かを考えて伝えるしかないんです。でもアーティストってふらふらできるんですよ。あんまりろくなものじゃないかもしれないけど、色々な意見の間をふらふらとして「こんな風にみえるけど?」って伝えられる。

物質のスケール、時間のスケール、いろいろなものを揺さぶることで目の前の色々な問題に行き詰まっている人が少し楽になればいいなと思っています。僕もアートで行き詰まった時に救ってくれたのは全く異なる分野でした。視点を変えると、必然的に人は「お前はどこに立ちたいんだ?」」って問われることになりますから。これからも、ふらふらしたところから、問いをぶつけられたらと思っています。

 

 

プロフィール 君平(くんぺい)
1974年生まれ。成安造形大学立体造形クラス卒業、2001年筑波大学 大学院修士課程総合造形分野修了。
現在、成安造形大学美術領域主任・准教授。「鉄を通して見えてくるもの」をテーマに美術家として活動している。
近年は、溶接機とクレヨンを使った平面作品や、自然物をモチーフにした鉄の彫刻作品に取り組む。