リサーチとまち歩き、演劇がもたらすもの

いわき市内の文化事業に広く関わる郷土史研究家の江尻浩二郎さんへのインタビュー。地域のリサーチとまち歩き、そして演劇の関わりについてじっくりと話を聞きました。

INTERVIEW

江尻 浩二郎 | 郷土史研究家

リサーチとまち歩き、演劇がもたらすもの

福島藝術計画×Art Support Tohoku – Tokyoの公式プログラムとして、いわき市小名浜の復興公営住宅で繰り広げられてきた「ラジオ下神白」。アーティスト・編集者のアサダワタルさんを招き、団地の人たちとラジオ番組を収録し、コミュニティの今を探ろうという企画を進めてました。プロジェクトには、地元からもリサーチャーやコーディネーターが入っています。いわき市で様々な活動を続けている郷土史研究家の江尻浩二郎さんも一人。いわきでの活動やその理念だけでなく、江尻さんの手がける「ツアー演劇」などについても話を聞きました。

取材/構成:小松理虔(ヘキレキ舎)

 

−昨年からアサダさんのプロジェクトで、現地のサポート担当として動いてらっしゃいますが、元々どういうつながりからアサダさんプロジェクトに入ることになったんですか?

江尻:震災時、私は海外で文化交流事業に携わっていたのですが、10か月後いわきに戻り、地元のコミュニティFM局に勤めていました。当然、双葉8町村の取材も行いますし、市内の応急仮設住宅などにもよく出入りしていました。下神白団地は復興公営住宅の第一号であり、富岡、大熊、双葉、浪江の4町が一か所に入るということで、個人的にも大変注目していたのですが、ちょうど入居が始める頃に退職してしまったんですね。そのまま接点がなく、興味はあってもなかなか訪問する機会がないというような状況でした。

そんな時、アサダワタルさんという方が下神白団地に入って団地内ラジオ番組を作るという話を聞きまして「下神白団地で、しかもラジオ番組かよ!」と。それはまさに私ができなかったことですよね。そこで受け入れのNPO団体の方に「是非見学させてください!」とお願いした訳です。前職のこともあって入居者の方々の置かれている状況は多少なりとも理解できましたし、下神白団地のある小名浜が地元だということもあって、そのまま地元枠スタッフみたいな感じで継続的にお手伝いさせていただくことになりました。

最初にロゴを作ろうということになったのですが、いわき側のメンバーも「下神白のことはよく知らない」と言うんですね。確かに観光マップに載るようなトピックはありませんが、下神白というのは大変魅力的なエリアなんです。平安の昔にまでさかのぼる由緒ある地名。現在日本最大といってもいい漁業無線局。座礁の名所であり船の墓場であった下神白海岸。結局ロゴには、私のゴリ押しで5基の漁業無線塔を盛り込んでもらったんですが、デザイナーもよその人に頼むのではなく、私が紹介して、地元小名浜のいっちゃん(高木市之助)に入ってもらったし、そういう役割だったんだと思います。

-そんな経緯があったんですね。アーティストにとっても、江尻さんのような案内人がいることで、地域に対する理解も早まりますし、組織として役割分担できると、アーティストの専門性を発揮することにつながるような気もします。江尻さんは、昨年、その神白で町歩きの企画もされていますね。

江尻:ラジオ下神白のメンバーに「よく知らない」と言われたので、身の回りの人にも訊いてみたんです。下神白と言えば何を思い浮かべるか。そしたら地元の人でも何も知らないんですね。それでいっちゃん(高木市之助)が代表を務める「小名浜本町通り芸術祭」の中で、下神白のまち歩きをやってみようということになりました。それが「学歩(まなぼ)」という企画に発展していって、その後、いわき市の「潮目文化共創都市づくり」という文化事業の一プロジェクトで、ジオラマを作ったりもしました。

 

ツアーの様子。下神白地区を川づたいに歩き、江尻が注目する場所をめぐる。

 

—町歩き自体の着想はどこから得たのですか?

コミュニティFMに勤めていた時、私の担当は主に市内の中山間地域だったのですが、そのエリアの特集記事を広報誌に載せていこうということになりました。どんな誌面作りにしようかと、これまでに出されたいろいろなパンフレット、雑誌、記事などを読み漁りましたが、どれも似たような囲み記事が雑多に並んでるばかりで全然面白くない。こんなことはやりたくないなと。

実は私は23歳から10年ほど日本中をブラブラしていて、お金が無くなると住み込みで働かせてもらいながら当時の全市町村を回りました。全く知らないコミュニティに入り込んで、一緒に体を動かし、言葉を覚え、時にはケンカもしながら、棲みつく場所を探していました。その頃の自分の「地域を知るやり方」みたいなものがあったし、担当は私一人だけだったので、もうそれでやってみようと。

例えば川前特集の時は、国の天然記念物でありながら市内でも全く無名の巨木があって、まずノープランでこれに行ってみました。木の根元に祭祀の跡があってそれについて知りたいと思ったところ、案内板に管理人の名前がある。聞き込みしてみるとすぐ家が分かったので行ってみる。その玄関に葉たばこ生産の表彰がずらりと並んでいて、いつの間にかその話になる。原発事故後は栽培できなくなり、今は試験栽培をしている農家が一軒だけだというような話を聞きながら、そうか、私が子どものころ、福島県は葉たばこの生産が日本一だったなあなんて思う。

当時の集荷場を訪ねてみると、今はもう廃屋となっていましたが、大きな古時計が置いてあって、変な話ですけど、それが自分の訪問を待っていたように感じました。その時計には寄贈者である故人の名前があり、根本一(はしめ)さんという方なんですが、傷痍軍人として帰郷された後、乞われてたばこ耕作組合の指導員となり、よりよい葉たばこ生産のために川前をすみずみまで歩き回って努力された方でした。

それからは、どこへ行ってもハシメさんの名前を出すとみんなの顔がパッと明るくなって、どんどんいろんな話が出てくる。これがハシメさんから私へのプレゼントなんだと感じました。川前がどういうところかを私に教えるために、ハシメさんが私を呼び寄せてくれ、ずっと一緒に歩いてくれたんだなと。同行二人ですね。

それをそのまま記事にしたんです。架空の人物ミミちゃんが、歩いては何かを見つけ、人と出会い、話を聞き、また次の場所へ。それがどこまでも繋がっていき、やがてぼんやりとその地区が見えて来る。人は囲み記事が並んだように情報に触れる訳ではないですよね。結局は一本の糸を手繰っていくように出会うはずなんです。そしてなにより、地域の皆さんに配ってみたらとても喜んでくれた。「こんなことを記事にするのはアンタだけだね。でも川前ってこういうとこなんだよ。」と。

思い返すと、私はもともと演劇をやっていて、劇作や演出も担当していたので、どんな情報をどんな順番でどのように出すのかということを常に考えてしまうようです。いざ記事をまとめようとしている時、使っている頭が演劇作品を作っているときと同じだなあと思いました。ですからこの時は紙媒体でしたけども、自分としては演劇作品と変わらない、一つの上演なんだなと。

 

江尻の目線は、地域に暮らす私たちが忘れてしまう、見流してしまうところにも向けられている。

 

 

—なるほど、大変興味深い話です。ご自身が演劇をやっていたからこそ、町歩きも、それを書いた記事も、バラバラではなく、何らかの筋書きがあるかように感じられるわけですね。やはり江尻さんの活動の根底には演劇と歩くこと、放浪があるようですね。

江尻:実は震災後一本も演劇作品を作ってないのですが、他の演劇人が自分を奮い立たせて改めて演劇表現に向かっていくなか、違う方法もありかな、と感じていました。もちろん自分にとって演劇はとても大切なのですが、どうしてもやりたくなるまでそっとしておいてもいいのかなと。そんな中、当時いわき総合高校で演劇教育に携わっていた石井路子先生(現在追手門高校教諭)に出会い、路子先生が中心となって開催していた演劇フェス「I-Play Fes」のお手伝いをさせていただいたことがひとつの転機になっています。

その企画会議で私が言ったのは「今のフクシマだからこそ、おそらく世界初の、ツアー型演劇祭をやりたい」ということでした。当時被災地ではいわゆるアーティストバブルがあった訳ですが、自分の見聞きする範囲では、あまり地元との交流はなかったように思います。四捨五入して言ってしまうと、地元の人は手弁当のボランティアスタッフでアーティストと触れ合う機会もない。アーティストは自分のスタッフとやって来て駅と現場を往復するだけ。観客も東京から来る人がメインで、やはり駅と現場を往復するだけ。これでは誰のために何のためにやってるのか分からないなと。

これを一気に解消するのがツアー型なのかな思いました。ツアー型である以上、ここで新作を作るということになりますね。作品作りのために、それなりの回数現地に通ってリサーチしなければなりません。それをアテンドするために地元側も同じく歩き回るでしょう。作品を作って行く過程で、更なる地元衆との接触もあるはずです。本番では東京から来た客も歩き回らなければなりません。

そして、これも大変に重要なのですが、地元の客も改めて地元を歩き回らなければならない。歩けばきっと新しい発見があるに違いないんです。なんかつまり、当時のフクシマにとって、いいことだらけだなと。

その後「I-Play Fes」では、企画のひとつとして或るアーティストと交渉してみたり、小名浜から富岡まで船で行くツアーなどを画策してみたり、次年度以降を睨んで別のアーティストを招いてリサーチしてみたりと、いろいろ動きはありましたが、結局「ツアー型演劇」に関しては予算その他の問題で頓挫してしまいました。

しかし私は諦めきれず、なにかきっかけになればと、旧知の劇作家・岸井大輔氏をトークイベントに呼びました。その流れでアートコレクティブのカオス*ラウンジと繋がり、その後3年連続で、「カオス*ラウンジ新芸術祭」と銘打った「市街劇」が行われることになります。私はリサーチャーとして参加していますが、岸井くんも2年目に、いわきの龍を巡る作品「龍燈祭文」を残してくれました。

この市街劇ですが、実は2年目まではかなり遠慮した関わり方になっていました。正直言うと、もう少し頻繁に通って欲しかったし、もっと地元を巻き込めればいいなと思っていたし、何よりもっと地元の人に観て欲しかった。せっかくカオス*ラウンジがアートシーンの最前線で展覧会を開催しているのに勿体ないなと。そこで3年目は、もう少し自分事として関わろうと思ったんです。

やってみて分かったんですが、どういう提案をし、どういうリサーチをし、どういうアテンドをするかというだけでも、かなり主体的に企画に関われるんですよね。結果としては地元の歴史に深くコミットする内容になったと思いますし、地元の当事者と共創するというようなところまで出来た。地元向けのツアーを開催することもできたし、自分としてはかなり理想に近づけたと思います。

2017年のカオス*ラウンジ新芸術祭では、旧泉藩の廃仏毀釈をリサーチしたほか、個人の企画として町歩きを行った。

 

−これからはどのような活動を展開していこうと考えているのですか?

ここに来て、最近自分が関わっている「ツアーのようなもの」が、これまでの自分の様々な活動を包み込むように感じています。ツアーの制作は、リサーチにとても時間がかかるし、また、どれくらい時間をかけたかというのはダイレクトに作品に出てしまうものです。じっくり自分の足で歩いて、行く先々で人々の話を聞き、文献を読んだり事実を付き合わせたりしながら、そのリサーチ自体を楽しむようなスタイルで、地域に関わっていければと思います。

また、昨年市内泉地区で開催したカオス*ラウンジ新芸術祭/市街劇「百五〇年の孤独」ですが、現在は形を変えてスイスのチューリヒで展示されています。今後はドイツに巡回する予定ですが、それで興味を持ったヨーロッパのアーティストたちが、成田からまっすぐ泉駅に来たら面白いですよね。そしてそんなことが積もりに積もって、初志に戻りますが、福島沿岸地域全体を会場にした世界規模の「ツアー型演劇祭」になったら最高ですけども。

 

 

プロフィール 江尻浩二郎(えじり・こうじろう)
郷土史研究家。東日本国際大学 留学生別科 非常勤講師。
をちこち人/案内人/演出家/劇作家/太鼓奏者/郷土史調査員/伝承芸能調査員/語学教師。UDOK.部員。
「小名浜本町通り芸術祭」実行委員。いわき海洋調べ隊「うみラボ」研究員。「横川じゃんがら保存会」会員。
「ラジオ下神白」事務局。「風とカルマのツーリズム」ディレクター。未来会議「浜通り合衆国」建国準備委員。
「学歩」案内人。「カオス*ラウンジ新芸術祭」現地調整員。「廿三夜講復活プロジェクト」事務局。
「日本太鼓道場」メンバー。「キルギス大江戸太鼓」メンバー。小名浜諏訪神社「宮元会」会員。