EVENTSINFO

アートによる新生ふくしま交流事業「アートで広げるみんなの元気プロジェクト」第1弾のイベント「ミクロの化石からアートへ」が開催されます。会津や浜通りの本物の放散虫の化石をスケッチしてアートにチャレンジします。ミクロの化石の魅力から太古のふくしまを感じてみましょう。

 

【プログラム詳細】

アートによる新生ふくしま交流事業
「アートで広げるみんなの元気プロジェクト」

ミクロの化石からアートへ 〜太古の会津を感じてみよう〜

恐竜が生きた時代よりもはるか昔から、海の中で生きつづけている プランクトンである放散虫(ほうさんちゅう)というミクロな生き 物たちがいます。色はとうめいで、たくさんのトゲとかたいホネを もっていて、そのかたいホネは美しい化石になります。放散虫の化 石は、はるか昔は海だった浜通りでもたくさん発見されています。 ワークショップでは、放散虫を研究している元福島県立博物館学芸 員の竹谷陽二郎博士と、それをモチーフに作品を制作するアーティ ストの君平さんといっしょに、会津や浜通りの放散虫の化石をス ケッチしてアートにチャレンジします。ミクロの化石の魅力から太古のふくしまを感じてみましょう。

◎講師
君平(Kumpei)(アーティスト)
1974年生まれ。成安造形大学立体造形クラス卒業、2001年筑波大学 大学院修士課程総合造形分野修了。現在、成安造形大学美術領域主任・准教授。「鉄を通して見えてくるもの」をテーマに美術家として活動しています。近年は、溶接機とクレヨンを使った平面作品や、自然物をモチーフにした鉄の彫刻作品に取り組んでいます。

◎会場と日時
1、会津会場
日 程:平成30年9月22日(土)(13:00~15:20)
定 員:15名
会 場:福島県立博物館(〒965-0807 福島県会津若松市城東町1−25

アクセス
・磐越西線「会津若松」駅からタクシーで約10分まちなか周遊バス「ハイカラさん」にて約20分 三の丸口下車すぐ
・磐越道「会津若松IC」から車で約20分

2、猪苗代会場
日 程:平成30年9月23日(日)(13:00~15:20)
定 員:15名
会 場: はじまりの美術館(〒969-3122 福島県耶麻郡猪苗代町新町4873

アクセス
・磐越西線「猪苗代」駅からタクシーで約5分もしくは徒歩25分
・磐越道「猪苗代磐梯高原IC」から車で約15分

申し込み・お問い合わせ
特定非営利法人Wunderground(担当:會田)
〒970-8026 福島県いわき市平字白銀町 2-10 TATAKIAGE BASE 201
TEL:090-9538-5804 FAX:0246-23-6566
EMAIL:info@wangura.net

参加費:無 料
対 象:どなたでも参加できます。未就学児の方は保護者同伴でご参加ください。
主 催:福島県文化振興課 事業委託者:特定非営利活動法人Wunder ground
協 力:社会福祉法人安積愛育園、はじまりの美術館
後 援:福島県立博物館
助 成:アートによる新生ふくしま交流事業「アートで広げるみんなの元気プロジェクト」

EVENTSINFO

 

アートによる新生ふくしま交流事業「アートで広げるみんなの元気プロジェクト」の新しいプログラムが決定しました。今年度は、4つのプログラムが行われます。以前にも開催され好評だった「ミクロの化石からアートへ」「ロボットアームワークショップ」に加え、新プログラム「コールペイントワークショップ」「サンマパレード」が開催されます。

 

【プログラム詳細】

アートによる新生ふくしま交流事業
「アートで広げるみんなの元気プロジェクト」

①ミクロの化石からアートへ 〜太古の浜通りを感じてみよう〜

恐竜が生きた時代よりもはるか昔から、海の中で生きつづけているプランクトンである放散虫(ほうさんちゅう)というミクロな生き物たちがいます。ワークショップでは、放散虫を研究している元福島県立博物館学芸員の竹谷陽二郎博士と、それをモチーフに作品を制作するアーティストの君平さんといっしょに、浜通りの放散虫の化石をスケッチしてアートにチャレンジします。ミクロの化石の魅力から太古の浜通りを感じてみましょう。

◎講師
君平(Kumpei)(アーティスト)
1974年生まれ。成安造形大学立体造形クラス卒業、2001年筑波大学 大学院修士課程総合造形分野修了。現在、成安造形大学美術領域主任・准教授。「鉄を通して見えてくるもの」をテーマに美術家として活動しています。近年は、溶接機とクレヨンを使った平面作品や、自然物をモチーフにした鉄の彫刻作品に取り組んでいます。

 

②ロボットアームワークショップ〜コマ撮りアニメで自由な発想を!〜

立体アニメーション作家・パンタグラフが制作したロボットアームのキットを組み立て、色や形を自由にアレンジします。ワークショップ後半には、コマ撮りアニメーション手法でロボットアームを自由に動かし、参加者のアイデアを映像化します。ロボットアームのキットを組み立て、コマ撮りアニメーション手法で動かしてみよう。文字を書いたり、将棋をしたり、動物に変身するかも? 自由な発想でロボットの常識を覆そう!

◎講師
パンタグラフ(PANTOGRAPH)
立体造形と立体アニメーション専門のアーティストユニット。コマ撮り手法でのアニメーション制作ではCM や短編アニメーション、ゾートロープなど幅広い分野で活動を展開。作品や書籍、ワークショップを通じて実物の存在感 動きの本質を探る。

 

③コールペイントワークショップ〜石炭・石炭灰で自画像を描いてみよう!〜

石炭から石油への移行という「エネルギー革命」と震災を乗り越えた福島県は、再生可能エネルギーを活かした地産地消にチャレンジしています。今回、そのエネルギーの一つである「石炭」をテーマとしたワークショップを行います!石炭・石炭灰から作られた絵の具「COAL PAINT」を使って、自分の姿を描いてみませんか。絵が苦手でも大丈夫! 「いま、この地に住む私たち」を、見つめてみましょう。

◎講師
国盛麻衣佳(Maika Kunimori)
福岡県大牟田市生まれ。「炭鉱と美術」をテーマとし、旧産炭地で生まれた文化の再評価を、美術活動と研究の両方から行っている。国内外の旧産炭地から得た石炭・石炭灰などを素材とした画材を用い、作品制作やアートワークショップを行っている。

 

④サンマパレード〜さんまに願いを!〜

福島沖は、親潮と黒潮が出会う潮目の海とよばれています。ここで水揚げされた魚は古くから家庭の食卓を支え続けてきました。今回はその豊かな海を象徴するサンマをモチーフに作品をつくります。光を反射するアルミの素材をサンマの形に切り取り、切り取ったサンマにみんなの夢や願い事を書き込みましょう。みんなの想いをのせたサンマが、福島各地を泳ぎ回ります。

◎講師
高木一之助(Ichinosuke Takagi)
グラフィックデザイナー。小名浜本町通り芸術祭実行委員長。2011年より、地元小名浜を題材にしたアート企画活動を開始。まちあるきしながら景観をスケッチに残す企画や、まちあるきしながら、みんなでリリックを書いてラップを作るワークショップなどを開催。

 

 

【開催詳細】

開催時期:平成30年9月〜平成31年2月
開催場所:福島県内数カ所
対 象:小学3 年生から大人まで( 小学3 年生以下は保護者同伴でご参加ください。)
定 員:15名〜20名
主 催:福島県文化振興課
事業受託者:特定非営利活動法人Wunder ground

詳細な日程や開催場所が決まりましたら、県文化振興課WEBページか福島藝術計画にて掲載します。

INTERVIEW

INTERVIEW

二上 文彦 | 南相馬市博物館学芸員

歴史と文化で風化に抗う

福島市のクリエイティブユニット「フライデースクリーン」による「南相馬ジョッキーズ」。展示会場には、美術館ではなく博物館が選ばれました。その会場となった南相馬市博物館で、震災後たった一人の学芸員として再スタートを模索した学芸員が、今回紹介する二上文彦さん。博物館の学芸員でありながら、美術、アートに可能性を見出したといいます。事故当時のことを振り返ってもらいつつ、二上さんの考えるアートと博物館の関係を伺いました。

取材:小松理虔(ヘキレキ舎) 構成:千葉雄登

 

—今日は取材をお引き受け頂きありがとうございました。まず伺いたいのが、アートやデザインのワークショップを震災後の南相馬博物館で行っているということに強いインパクトを受けました。博物館のアート展。その狙いはどんなところにあったんですか?

皆さんご存知のように、南相馬というのは震災と原発事故後に20km、20km~30km、30km外という3つのエリアに分割されてしまった地域です。で、この博物館は原発からは23kmの位置にあります。20km圏内はもちろん入ることはできませんでしたが、このエリアも緊急時避難準備区域というものに指定されました。人が住むことは問題ないけれども、何かあればすぐに避難できるようにしておくように、という区域でした。

原発事故の直後には、当時の桜井市長がyoutubeで発信していたこともあり、南相馬という場所は知名度も高かったんです。しかも、20km、30kmの大きな丸の中に入ったこともあり、人が来たくない場所になってしまったんです。他の被災地に比べるとボランティアも少ないし、揶揄されることすらある。僕らはただ故郷にすんでいるだけなのに、「なんでお前らそんなところに住んでるのか?」って言われるわけですね。

震災直後は、南相馬発のニュースが非常に多かったんです。そのほとんどが悪いニュースでしたが・・・。じゃあどうやったら住んでいるいる僕らが情報を発信していけるかを考えたんです。正直、当時は文化行政どころじゃなかったです。一度博物館も閉館しました。9月に再開したときには学芸員は僕一人です。そこで考えたのは、何かを揶揄するようなことや、遠くの安全なところから石を投げるようなことではなくて、とにかくこの現場に連れて来たいということ、それから博物館として震災や原発事故をしっかりと後世に残したいということでした。

—そこでアートやデザインの力を借りることにしたんですね。

正直、最初は僕も懐疑的でしたよ。アートなんてわからないので。なかには好き勝手やって、「福島は〜〜」なんて語る人もいましたけど、きっちり対話して、作品を丁寧につくっていく人たちもいて、地元の人が共感する場面もありました。アートって理屈じゃなくて伝える力があるんですよ。彼らと触れ合い、僕の頭もだいぶ柔らかくなりました。

震災遺構、震災遺産と呼ばれるものがなくなってきるなかで、伝えられるものも失われてきています。そうしたなかでも、震災当初にきてくれたアーティストがつくってくれた写真、映像、ラップなどは作品として残すことができました。震災、原発事故関係なく、地域の歴史や文化を伝えるとき、アートのフィルターを通すことで、僕らが説明しにくいことを感覚的に伝えることができる。そんなことを感じました。

アートのど素人で、免疫力のない僕が初めてその世界に踏み込んで、なるほどと思ったわけです。「学芸員は資料保存だ第一の仕事だ!」という人もいますけれども、そういうものとはまた少し違った柔軟性を持つことができたかもしれません。そもそも「ミュージアム」ですから、博物館も美術館も。

 

二上さんの勤める南相馬市博物館。震災直後はたった一人の学芸員として力を尽くした。

 

門外漢だからこそアートの力を直に感じられたと語る二上さん。

 

—二上さんは震災を経てアーティストと関わり見えた学芸員の役割はありますか?

基本的なスタイルは変わりません。伝えること、残すことです。何から何まで残すことは難しいですが、有効的だと思う歴史はアートで残すことができると実感しました。後世の人たちが判断をしてくれればいい。けれど、僕らはまず後世に残さなくちゃいけないんです。いまはアートとして捉えられているものも数百年後には文化財になっている可能性もあります。いま僕らが生活している文化、あるいは震災を経て生まれたもの。震災がなければ生まれることのなかったものは確かに存在します。

—震災後の保存に関して、地元の人が話し合った結果、いつの間にか壊されてしまったものも少なくないように感じています。

そうですね、かなり出遅れてしまったように思います。震災って現在進行形なので躊躇する場面もあったんです。震災当初はそれが仕事だとはわかっていても頭の切り替えがなかなかできなくて、僕も後悔しています。力不足だったなと。例えば瓦礫になったもの、それからズタズタになった人形、これらを持っていくのはやっぱり躊躇します。もしかしたら誰かが取りに帰ってくるんじゃないか、って。写真を撮るためにシャッターを切ることすら躊躇するんですから。

アートでも残せると確信したのは、アーティストの岡部昌生さんが全身全霊かけて作品をつくっている場面を目にした時です。岡部さんのフロッタージュという手法はとても原始的なやり方かもしれませんが、壊れたものはなくなっても、記録は擦過痕として残るんです。素晴らしい作品だったと思います。

それから片桐功敦(かたぎり・あつのぶ)さんという華道家が、瓦礫に花を生けて写真を撮ったことも衝撃的でした。見る人が見れば被災地のどこかなんて一瞬でわかるんですよ。ある意味不謹慎ですよね。でもね、それを見た人が涙を流すんです。被災していない人にとっては、そこにあるのはただの瓦礫でゴミかもしれません。でもそれを宝物のように扱ってくれたことに「ありがとう」と言っている人もいました。賛否両論はあります、でも通じる人には通じるんです。得るものは大きかったと感じています。

 

岡部昌生によるフロッタージュの展示の模様。写真提供:はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト

 

華道家の片桐功敦もまた、震災後の福島で数多くの作品を残した。写真提供:はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト

 

— アーティストって完全に外部だからふらっと行って怒られながらでも作品をつくることってできるのかもしれません。でも学芸員としてそういったことをするというのは辛いですよね。後世に残さなくてはいけない残酷さ、といいますか。

歴史や文化で飯は食えないなんて言われていますが、どこで誰の役に立つかなんてわからないんですよ。それに、博物館というのは、残せる場所、伝える場所なんです。僕らは歴史を勉強していますし、なかには地質学を専門にしている人もいます。そうすると、長いスパンで物事を見ることができるんですよ。僕は幸運にも家族を失うこともなく、故郷を失うこともなく、家にも住めました。だからかもしれませんが、この震災と原発事故を一つの歴史として俯瞰的に見ようと思っているんです。

歴史から学ぶことって多いんですよ。天明の大飢饉の時にも、この地域から土地を捨てて逃げていく人がいました。それって今の状況と同じだなと感じます。これは歴史に記録されている一つの事実なんです。そういった状況から一歩ずつ持ち直してきたということを知ると、時に勇気づけられることもあります。震災後、市民の方たちから歴史を勉強したいという声を以前にも増して聞くようになりました。故郷を喪失しそうになったからこそ、自分たちで学ぼうと思う方がいらっしゃるのだと感じます。今ある確執を忘れて、自治体をまたいでつながれるのは歴史や文化なんですよ。これからも、その役割を忘れずに、歴史と文化で風化に抗っていければと思います。

 

 

プロフィール 二上 文彦(ふたかみ・ふみひこ)
1973年福島県原町市(現:南相馬市原町区)生まれ。
1996 年より、 野馬追の里歴史民俗資料館(現:南相馬市博物館)に勤務。
福島県相馬地方の伝統行事「相馬野馬追」を中心とした、相馬地方の歴史を研究するかたわら、
相馬野馬追保存専門委員として、野馬追の保存・伝承の指導に携わる。
震災後は国内外各地で野馬追に関する講演会・啓蒙普及活動のほか、
南相馬をフィールドとするアーティストの活動サポートを行っている。

 

INTERVIEW

INTERVIEW

江尻 浩二郎 | 郷土史研究家

リサーチとまち歩き、演劇がもたらすもの

福島藝術計画×Art Support Tohoku – Tokyoの公式プログラムとして、いわき市小名浜の復興公営住宅で繰り広げられてきた「ラジオ下神白」。アーティスト・編集者のアサダワタルさんを招き、団地の人たちとラジオ番組を収録し、コミュニティの今を探ろうという企画を進めてました。プロジェクトには、地元からもリサーチャーやコーディネーターが入っています。いわき市で様々な活動を続けている郷土史研究家の江尻浩二郎さんも一人。いわきでの活動やその理念だけでなく、江尻さんの手がける「ツアー演劇」などについても話を聞きました。

取材/構成:小松理虔(ヘキレキ舎)

 

−昨年からアサダさんのプロジェクトで、現地のサポート担当として動いてらっしゃいますが、元々どういうつながりからアサダさんプロジェクトに入ることになったんですか?

江尻:震災時、私は海外で文化交流事業に携わっていたのですが、10か月後いわきに戻り、地元のコミュニティFM局に勤めていました。当然、双葉8町村の取材も行いますし、市内の応急仮設住宅などにもよく出入りしていました。下神白団地は復興公営住宅の第一号であり、富岡、大熊、双葉、浪江の4町が一か所に入るということで、個人的にも大変注目していたのですが、ちょうど入居が始める頃に退職してしまったんですね。そのまま接点がなく、興味はあってもなかなか訪問する機会がないというような状況でした。

そんな時、アサダワタルさんという方が下神白団地に入って団地内ラジオ番組を作るという話を聞きまして「下神白団地で、しかもラジオ番組かよ!」と。それはまさに私ができなかったことですよね。そこで受け入れのNPO団体の方に「是非見学させてください!」とお願いした訳です。前職のこともあって入居者の方々の置かれている状況は多少なりとも理解できましたし、下神白団地のある小名浜が地元だということもあって、そのまま地元枠スタッフみたいな感じで継続的にお手伝いさせていただくことになりました。

最初にロゴを作ろうということになったのですが、いわき側のメンバーも「下神白のことはよく知らない」と言うんですね。確かに観光マップに載るようなトピックはありませんが、下神白というのは大変魅力的なエリアなんです。平安の昔にまでさかのぼる由緒ある地名。現在日本最大といってもいい漁業無線局。座礁の名所であり船の墓場であった下神白海岸。結局ロゴには、私のゴリ押しで5基の漁業無線塔を盛り込んでもらったんですが、デザイナーもよその人に頼むのではなく、私が紹介して、地元小名浜のいっちゃん(高木市之助)に入ってもらったし、そういう役割だったんだと思います。

-そんな経緯があったんですね。アーティストにとっても、江尻さんのような案内人がいることで、地域に対する理解も早まりますし、組織として役割分担できると、アーティストの専門性を発揮することにつながるような気もします。江尻さんは、昨年、その神白で町歩きの企画もされていますね。

江尻:ラジオ下神白のメンバーに「よく知らない」と言われたので、身の回りの人にも訊いてみたんです。下神白と言えば何を思い浮かべるか。そしたら地元の人でも何も知らないんですね。それでいっちゃん(高木市之助)が代表を務める「小名浜本町通り芸術祭」の中で、下神白のまち歩きをやってみようということになりました。それが「学歩(まなぼ)」という企画に発展していって、その後、いわき市の「潮目文化共創都市づくり」という文化事業の一プロジェクトで、ジオラマを作ったりもしました。

 

ツアーの様子。下神白地区を川づたいに歩き、江尻が注目する場所をめぐる。

 

—町歩き自体の着想はどこから得たのですか?

コミュニティFMに勤めていた時、私の担当は主に市内の中山間地域だったのですが、そのエリアの特集記事を広報誌に載せていこうということになりました。どんな誌面作りにしようかと、これまでに出されたいろいろなパンフレット、雑誌、記事などを読み漁りましたが、どれも似たような囲み記事が雑多に並んでるばかりで全然面白くない。こんなことはやりたくないなと。

実は私は23歳から10年ほど日本中をブラブラしていて、お金が無くなると住み込みで働かせてもらいながら当時の全市町村を回りました。全く知らないコミュニティに入り込んで、一緒に体を動かし、言葉を覚え、時にはケンカもしながら、棲みつく場所を探していました。その頃の自分の「地域を知るやり方」みたいなものがあったし、担当は私一人だけだったので、もうそれでやってみようと。

例えば川前特集の時は、国の天然記念物でありながら市内でも全く無名の巨木があって、まずノープランでこれに行ってみました。木の根元に祭祀の跡があってそれについて知りたいと思ったところ、案内板に管理人の名前がある。聞き込みしてみるとすぐ家が分かったので行ってみる。その玄関に葉たばこ生産の表彰がずらりと並んでいて、いつの間にかその話になる。原発事故後は栽培できなくなり、今は試験栽培をしている農家が一軒だけだというような話を聞きながら、そうか、私が子どものころ、福島県は葉たばこの生産が日本一だったなあなんて思う。

当時の集荷場を訪ねてみると、今はもう廃屋となっていましたが、大きな古時計が置いてあって、変な話ですけど、それが自分の訪問を待っていたように感じました。その時計には寄贈者である故人の名前があり、根本一(はしめ)さんという方なんですが、傷痍軍人として帰郷された後、乞われてたばこ耕作組合の指導員となり、よりよい葉たばこ生産のために川前をすみずみまで歩き回って努力された方でした。

それからは、どこへ行ってもハシメさんの名前を出すとみんなの顔がパッと明るくなって、どんどんいろんな話が出てくる。これがハシメさんから私へのプレゼントなんだと感じました。川前がどういうところかを私に教えるために、ハシメさんが私を呼び寄せてくれ、ずっと一緒に歩いてくれたんだなと。同行二人ですね。

それをそのまま記事にしたんです。架空の人物ミミちゃんが、歩いては何かを見つけ、人と出会い、話を聞き、また次の場所へ。それがどこまでも繋がっていき、やがてぼんやりとその地区が見えて来る。人は囲み記事が並んだように情報に触れる訳ではないですよね。結局は一本の糸を手繰っていくように出会うはずなんです。そしてなにより、地域の皆さんに配ってみたらとても喜んでくれた。「こんなことを記事にするのはアンタだけだね。でも川前ってこういうとこなんだよ。」と。

思い返すと、私はもともと演劇をやっていて、劇作や演出も担当していたので、どんな情報をどんな順番でどのように出すのかということを常に考えてしまうようです。いざ記事をまとめようとしている時、使っている頭が演劇作品を作っているときと同じだなあと思いました。ですからこの時は紙媒体でしたけども、自分としては演劇作品と変わらない、一つの上演なんだなと。

 

江尻の目線は、地域に暮らす私たちが忘れてしまう、見流してしまうところにも向けられている。

 

 

—なるほど、大変興味深い話です。ご自身が演劇をやっていたからこそ、町歩きも、それを書いた記事も、バラバラではなく、何らかの筋書きがあるかように感じられるわけですね。やはり江尻さんの活動の根底には演劇と歩くこと、放浪があるようですね。

江尻:実は震災後一本も演劇作品を作ってないのですが、他の演劇人が自分を奮い立たせて改めて演劇表現に向かっていくなか、違う方法もありかな、と感じていました。もちろん自分にとって演劇はとても大切なのですが、どうしてもやりたくなるまでそっとしておいてもいいのかなと。そんな中、当時いわき総合高校で演劇教育に携わっていた石井路子先生(現在追手門高校教諭)に出会い、路子先生が中心となって開催していた演劇フェス「I-Play Fes」のお手伝いをさせていただいたことがひとつの転機になっています。

その企画会議で私が言ったのは「今のフクシマだからこそ、おそらく世界初の、ツアー型演劇祭をやりたい」ということでした。当時被災地ではいわゆるアーティストバブルがあった訳ですが、自分の見聞きする範囲では、あまり地元との交流はなかったように思います。四捨五入して言ってしまうと、地元の人は手弁当のボランティアスタッフでアーティストと触れ合う機会もない。アーティストは自分のスタッフとやって来て駅と現場を往復するだけ。観客も東京から来る人がメインで、やはり駅と現場を往復するだけ。これでは誰のために何のためにやってるのか分からないなと。

これを一気に解消するのがツアー型なのかな思いました。ツアー型である以上、ここで新作を作るということになりますね。作品作りのために、それなりの回数現地に通ってリサーチしなければなりません。それをアテンドするために地元側も同じく歩き回るでしょう。作品を作って行く過程で、更なる地元衆との接触もあるはずです。本番では東京から来た客も歩き回らなければなりません。

そして、これも大変に重要なのですが、地元の客も改めて地元を歩き回らなければならない。歩けばきっと新しい発見があるに違いないんです。なんかつまり、当時のフクシマにとって、いいことだらけだなと。

その後「I-Play Fes」では、企画のひとつとして或るアーティストと交渉してみたり、小名浜から富岡まで船で行くツアーなどを画策してみたり、次年度以降を睨んで別のアーティストを招いてリサーチしてみたりと、いろいろ動きはありましたが、結局「ツアー型演劇」に関しては予算その他の問題で頓挫してしまいました。

しかし私は諦めきれず、なにかきっかけになればと、旧知の劇作家・岸井大輔氏をトークイベントに呼びました。その流れでアートコレクティブのカオス*ラウンジと繋がり、その後3年連続で、「カオス*ラウンジ新芸術祭」と銘打った「市街劇」が行われることになります。私はリサーチャーとして参加していますが、岸井くんも2年目に、いわきの龍を巡る作品「龍燈祭文」を残してくれました。

この市街劇ですが、実は2年目まではかなり遠慮した関わり方になっていました。正直言うと、もう少し頻繁に通って欲しかったし、もっと地元を巻き込めればいいなと思っていたし、何よりもっと地元の人に観て欲しかった。せっかくカオス*ラウンジがアートシーンの最前線で展覧会を開催しているのに勿体ないなと。そこで3年目は、もう少し自分事として関わろうと思ったんです。

やってみて分かったんですが、どういう提案をし、どういうリサーチをし、どういうアテンドをするかというだけでも、かなり主体的に企画に関われるんですよね。結果としては地元の歴史に深くコミットする内容になったと思いますし、地元の当事者と共創するというようなところまで出来た。地元向けのツアーを開催することもできたし、自分としてはかなり理想に近づけたと思います。

2017年のカオス*ラウンジ新芸術祭では、旧泉藩の廃仏毀釈をリサーチしたほか、個人の企画として町歩きを行った。

 

−これからはどのような活動を展開していこうと考えているのですか?

ここに来て、最近自分が関わっている「ツアーのようなもの」が、これまでの自分の様々な活動を包み込むように感じています。ツアーの制作は、リサーチにとても時間がかかるし、また、どれくらい時間をかけたかというのはダイレクトに作品に出てしまうものです。じっくり自分の足で歩いて、行く先々で人々の話を聞き、文献を読んだり事実を付き合わせたりしながら、そのリサーチ自体を楽しむようなスタイルで、地域に関わっていければと思います。

また、昨年市内泉地区で開催したカオス*ラウンジ新芸術祭/市街劇「百五〇年の孤独」ですが、現在は形を変えてスイスのチューリヒで展示されています。今後はドイツに巡回する予定ですが、それで興味を持ったヨーロッパのアーティストたちが、成田からまっすぐ泉駅に来たら面白いですよね。そしてそんなことが積もりに積もって、初志に戻りますが、福島沿岸地域全体を会場にした世界規模の「ツアー型演劇祭」になったら最高ですけども。

 

 

プロフィール 江尻浩二郎(えじり・こうじろう)
郷土史研究家。東日本国際大学 留学生別科 非常勤講師。
をちこち人/案内人/演出家/劇作家/太鼓奏者/郷土史調査員/伝承芸能調査員/語学教師。UDOK.部員。
「小名浜本町通り芸術祭」実行委員。いわき海洋調べ隊「うみラボ」研究員。「横川じゃんがら保存会」会員。
「ラジオ下神白」事務局。「風とカルマのツーリズム」ディレクター。未来会議「浜通り合衆国」建国準備委員。
「学歩」案内人。「カオス*ラウンジ新芸術祭」現地調整員。「廿三夜講復活プロジェクト」事務局。
「日本太鼓道場」メンバー。「キルギス大江戸太鼓」メンバー。小名浜諏訪神社「宮元会」会員。

 

INTERVIEW

INTERVIEW

フライデースクリーン | クリエリティブユニット

ワークショップの後も残る気づきを子どもたちに

今年、南相馬市で開催された「南相馬ジョッキーズ」。子どもたちに芸術の魅力を伝える「アートで広げるみんなの元気プロジェクト」の一環として開催され、南相馬市の子どもたちが、地元の伝統的神事「相馬野馬追」をテーマに騎馬武者と旗をつくり、それが1枚のアート作品になりました。ディレクションをしたのが、福島市を拠点に活動するクリエイティブユニット「フライデースクリーン」の鈴木孝昭さんと坂内まゆ子さん。企画に込めた思いや、子どもたちへのメッセージを伺ってきました。

取材:小松理虔(ヘキレキ舎) 構成:千葉雄登

 

—企画のお話に入る前に、まず「フライデースクリーン」というユニットについて聞かせて下さい。どんなデザイン事務所なのでしょうか?

鈴木:私たちは「何の」デザイン事務所ということを打ち出していないんです。普通のホームページやグラフィックの相談もありますし、ワークショップの依頼やイベント企画なども行います。どこそこで何かしたいとか、もっと人に楽しんでもらうためにどうしたらいいか、とか、何のデザインなのはよく分からない相談も多いです。

坂内:それから企画モノも。アートに近いモノや今回のワークショップのように子ども向け、お母さん向けのお仕事が多いんですよ。以前も、福島県立美術館でワークショップをたくさん集めた企画を行ったことがありました。そういう企画を見てくれた方から相談を頂くこともあります。

—フライデースクリーン自体はいつから活動が始まったんですか?

鈴木:結成したのは2015年です。もともと僕は福島市出身で震災後に戻ってきました。市内のデザイン事務所で3年間働き、独立して立ち上げたのがこの事務所です。

坂内:私も2011年に福島に帰ってきて、もともとあった「福島藝術計画」の事務局の仕事をしていた時に、鈴木が務めていたデザイン事務所に仕事をお願いしたりするなかで知り合いました。ちょうど独立のタイミングだったこともあり、一緒にやろうと。

 

南相馬市博物館に展示された作品。この日は展示の最終調整のため、二人は博物館を訪れていた。

 

武士にとって命と同じくらい重要な旗指物。そこに子どもたちが色とりどりの動物たちを描いていった作品。

 

—今回の企画展ですが、テーマは野馬追です。もともと2人のアイデアだったんですか?

鈴木:そうですね、まず「南相馬でワークショップをしたい」という依頼から始まって、それでまず頭に思い浮かんだのが野馬追でした。地元に根付いた伝統行事ですし、地元の子どもたちもきっと愛着があると思いました。それに、外から南相馬にやってくる人たちにも、野馬追であればよりイメージしやすいかなと考えました。

坂内:南相馬では大きな植樹祭も行われるので、そこで何か盛り上げられるような企画がいいと思ったんです。たとえば、遠くからでも見える作品だとか、そこにくると「おや?」っと目を向けてもらえるものとか。それぞれのジョッキーは小さな作品なんだけれど、それが集まってひとつの大きな作品になるようなものができれば、植樹祭の盛り上がりにもプラスになると思ったのもありました。

鈴木:具体的には、まず子どもたちにジョッキーと旗のデザインを考えてもらって、統一された下地にしたがって、各々が自由にシールを貼って、ジョッキーと旗を作るというものです。旗にはそれぞれの子どもたちの考えた架空の動物の絵が描かれています。怪獣とか、ミジンコとかいろいろあって、しかもそのひとつひとつにストーリーがあるんです。僕たちのスタイルって、ゼロから何かを表現したいというよりも、何かを伝えたい人がすでにそこにいて、僕らはその人たちにレスポンスするようにして作品をつくっていくという感じで。だから今回は野馬追にちなんでジョッキーズでいくことになりました。

—制作のプロセスはどんなものなのでしょう?

坂内:最初は子どもたちに質問をしていくんです。クイズ形式で、なんの動物が好き?というところから具体化させていきます。

鈴木:最初から絵を書こうというわけではなく、最初はイメージを膨らませていく時間が大事だと思うんです。そこさえ固まっていれば、あとあと形を作ったりという時間が楽しくなりますし、作業も進みます。イメージを膨らませていく時間を大事にしたいのと、僕たちの考えを押し付けたくないので、できるだけ子どもたちの答えを引き出すのに、クイズ形式にしています。

坂内:子どもたちに任せて色を塗るのもいいですが、絵を描くと個人差が出やすいんです。だけど、シールなら幼稚園前の子でもできるし、大きな子も楽しめるんです。上手か下手かも関係なくできるということで材料にはシールを選びました。クラスのなかにも、「わたしは絵が下手だから」って決めつけちゃう子っていますよね。それってもったいないと思うんです。

 

完成した作品を前にポーズを決める参加者たち。記念に残る作品となった。

 


大きなフラッグの作品だけでなく、今回は動画も作成された。それがこちら

 

—完成した作品も、ひとつひとつは個別の子どもたちの作品ですが、ちょっと離れたところから見るとジョッキーがとても元気よく見えてきますね。自由なんだけれど、そこに一定の規律があって。お二人のデザイン思考が感じられる作品にもなっていますね。

鈴木:全部ゼロからやるとどうしても “わちゃわちゃ” しちゃうじゃないですか。だからある程度のフレームはこちらが作ってあげたほうがいいと思っていて。特に今回は子ども向けのワークショップですし。そして、そこにはやっぱり統一感が必要です。それで子どもだからこそポップな感じで貼れるように、雨風にも強いシールを選びました。

坂内:大事なのはルールというか制約ですよね。あえて制約はつくります。私たちの仕事はクライアントワークがほとんどです。お客さまから「こうしてください」というオーダーがあるなかで、でも、自分のためのデザインもしたいなと思っているんです。

鈴木:できる限り斜め上のところに着地できるようにしています。だから題材もできるだけ身近なものを意図的に選んでいます。以前も、会津若松の中学校でやらせてもらったワークショップがあったんですが、身近にある音を探すために、レコーダーを持って学校中を歩き回ってもらったんです。普段聞いている音も、改めて自分から寄っていくと違う音に聞こえるんです。

坂内:そういう気づきって、ワークショップが終わった後も残ると思うんです。もともとフライデースクリーンを立ち上げた時のテーマが「地域資源を発見して、発信していく」というものでした。子どもたちが地元の良いところを発見できたら、そこに住むことが楽しくなると思います。それが将来的に地元に帰ってくるというようなことにつながるかもしれませんし。

鈴木:そうですね、確かに何かを持ち帰ってもらうことは意識しています。何か一つでもきっかけを届けたれたら、僕たちが離れた後もその気づきは残りますから。

 

絵について解説して頂いた坂内さん。福島を中心に県内各地でワークショップを行っている。

 

ジョッキーたちの「旗」に、子どもたちの描く架空の生き物たちが躍動している。

 

—改めて、今回のワークショップでお二人にとっての収穫はありましたか?

坂内:そうですね、クイズをしているとき「南相馬のいいところは?」って質問したら、たくさんの子たちが「人がいい」っていうんですよ。これって他の地域だとなかなか見られないので面白いなと思いました。それだけ地域のことを思っているんだなと伝わってきました。震災後、浜通りの子どもたちは大変なことも多かったと思いますが、子どもたちのよさを引き出すのも私たちの仕事なので、今回は、そういう言葉が出てきたところもそうですし、作品も形になったので、とても思い出に残る仕事になったと思います。

鈴木:雨にも強い素材を使っているので、植樹祭のときにも、このジョッキーの作品のところに、多くの子どもたちが集まってくれたらと思いますし、その時に「フライデースクリーン」という名前も誰かの記憶のなかに残ってくれたらいいと思います。なんかやっていることはよくわからないけど、フライデースクリーンっていう人たちがいるらしいよとか、ユニットの名前なのか、プロジェクトなのかよく分からない状態で、なぜか名前だけがだけが一人歩きしていく。そんな活動を続けていきたいと思います。

 

 

プロフィール フライデースクリーン
From Local, For Local, With Local をコンセプトに活動する、鈴木孝昭と坂内まゆ子によるクリエイティブユニット。
アート作品の制作や、地域に密着したプロダクト、グラフィック、空間といったデザインのほか、
イベントの企画や運営、他分野の専門家とコラボレーションした商品開発やワークショップを行うなど、
ジャンルを問わない様々な活動をコミュニケーションという視点で行っている。

INTERVIEW

INTERVIEW

佐藤 洋美 | デザイナー/コラージュ作家

子どもたちが「決めつけ」を外してくれた

学校教育の場にアーティストが入り、子どもたちと一緒に作品づくりを行うと、その場にはどんなことが起きるのか。福島藝術計画では、この数年、教育の現場にアーティストを派遣してプログラムを行う「学校連携プロジェクト」を行ってきました。今年は、福島市伊達市出身のグラフィックデザイナーでコラージュ作家の佐藤洋美さんを講師に、複数回のワークショップを行ってきました。その佐藤さんに伺うと、このプロジェクトで学びを得るのは、どうも子どもたちだけではないようです。

取材/構成:小松理虔(ヘキレキ舎)

 

—佐藤さんはこれまでも紙を使ったコラージュワークショップなどを手がけていらっしゃいますが、今回、学校連携事業として展開することになった経緯なども含めて、プロジェクトについて簡単に教えて頂けますか?

佐藤:基本的なコンセプトは、まちをコラージュによって再現するというものでしょうか。ワークショップを行ったのは、県内の中学校と幼稚園で、自分たちの暮らすまちにあるお店の包装紙などを破いたり、折ったり、貼ったりして、大きな紙の上に自分たちのまちを再現するという企画です。今回は幼稚園が多かったのですが、幼稚園には散歩の時間もあるので、意外と子どもたちはまちのことを知ってるんですよね。ポストの場所や、畑で採れる野菜、「かつや」のロゴマークとか(笑)まちのなかの愛着があるもの、好きな場所、そういうものを覚えてもらって、それを大きな紙の上で再現してもらいました。

紙を折ったり、破いたり丸めたりというのは、扱いやすいので子どもたちにもたくさん触れてもらいたいなと。通常は、私が持っている紙を色別に分けて、そのなかから紙を選んで制作してもらうのですが、今回は、地図の中に子供たちが常日頃触れ合っている紙を使うことで、より地域の地域性を出したいと思っていたので、親御さんたちも含めて、紙を集めるところからお願いしました。それぞれの町ならではのお店、その包装紙だったり袋だったり、そういう紙を集めてもらって参加してもらったんです。以前、福島県立美術館でワークショップをやったときに、コラージュでブックカバーを作ろうというのをやっていたのですが、それもあって、紙を使ったワークショップを学校教育の場でやってみようというお話に繋がったのかもしれません。

普段は「キャッサバ」の名義でグラフィックデザイナーをしている佐藤さん。

 

—今回は、中学校や高校よりも、幼稚園の参加が多かったと聞きました。子どもたちの雰囲気はいかがでしたか?

佐藤:はい、とても雰囲気がよくて、みんなテンション高めに取り組んでもらいました。今回は幼稚園が多くて、3歳〜5歳の子どもたちなので、年長さんが年少さんの面倒を見ながら、家につかう三角形を切ったり、四角に形を整えたりとか、みんなで楽しく作業してもらいました。最終的には、5メートル×5メートルくらいの大きさになったところもありました。

自分でコラージュしている時は、たとえば紙のなかの小さい人を切り抜いて貼ることで、なんだか面白い動きになっていたりとか、そういう細かなことを面白がるんですが、今回は、1回で120名くらい参加したところもあったので、家ではなかなか難しいくらいの紙の大きさで、のびのび、スカっとするよう、大胆にコラージュを楽しんでもらえたような気がします。

—ワークショップ自体は数時間くらいで終わるそうですが、今回の場合は、自分の暮らすまちを表現するので、制作の前のリサーチも必要ですね。準備の段階から制作が始まっているということでしょうか。

佐藤:そうですね。作品を作ることを通じて、子どもたちはもう一度町を見るんです。普通に散歩していたら流して見ちゃうようなものも、自分が作るとなると、屋根の色とか、建物の形とかを深く見るようになっていきますよね。幼稚園のなかには、園内のマップを再現しようというところがありました。遊具をどうやって紙でつくるか悩んでいた子供たちと、遊具の近くまで見に行って、「ここはこの紙で、細長いのを2つくっつければいいんだ!」などチェックしに走ったり。そういう作業で日々の暮らしを再確認していくという感じかもしれません。

 

幼稚園でのワークショップの模様。子どもたちは自由に紙を貼り付けていく。

 

既存の紙で、田んぼや畑をつくっていく園児たち。

 

子どもたちから教えられたことも多いと語る佐藤さん。

 

—ワークショップで気をつけたところはどんな点ですか?

佐藤:自分のなかで注意したのは、否定をしないということです。コラージュ自体、「ここに貼ってはいけない」なんてことはひとつもなく、貼り重ね、せめぎあっていくのが楽しさのひとつです。なので、そもそも自由なのですが、今回はとくに注意しました。貼りたかった場所にすでに貼られていたり、畑にもっとたくさんの人参を貼りたいのに貼れないという時も、「ここにあったらいいなぁと思うところに貼ってもいいよ」、「こんな貼り方もたのしそうだよ」と別の選択肢を提示してあげたり。すると子どもたちも子どもたちなりに考えるようになっていくんです。

紙を貼り重ねるだけでなく、折ってから貼る、立体的に作る、など色々なことができるんです。私以上に子どもたちのほうが柔軟で、逆に私のほうが紙の使い方や色彩感覚を子どもたちに教えてもらったような感じでした。

子どもたちは、見たままを作るんじゃなくて、こうだったりいいなっていう想像のものを紙で再現しようとします。だから、動物は立体的に作りたくなったり、上のほうに伸ばしてみたり、丸めてみたり。私のほうが「コラージュとはこういうものだ」というものを無意識に自分のなかで決めつけていたかもしれないと思いました。子どもたちの表現には、いつも新しい発見がありました。

—子どもたちに伝えたいメッセージのようなものはありましたか?

佐藤:子どもたちに伝えたかったのは、生活のなかから出てくる紙には、その人の暮らしの痕跡、町の息づかいも感じられるものだということです。包装紙って、町に溢れていますよね。その紙自体にも、いろいろな人たちの関わりあいや考え、物語があってそのデザインになっている。そこには人が人へ伝えたい想いがやさしく込められているということだと思います。

それは、大人向けのワークショップでも、今回の学校連携でも同じなんですが、ひとりひとりと分割された存在なのではなくて、相手の人を直接知らなかったとしても、たった1枚の紙に、いろいろな人たちの手やアイデアが詰め込まれているということです。それが分かるだけで、じゃあ自分も誰かのために何かをしてあげたいとか、何かをしたいとか、そういう気持ちになるといいなあと思っています。なんというか、関わりあいのなかに日常があるということだと思うんです。

 

子どもたちに伝えたかったのは「ひとつのデザインにも多くの関わりがあること」だと佐藤さんは語る。

 

—改めて、佐藤さんにとっても収穫の多いワークショップになったようですね。

佐藤:先生たちからも、「こういうことをもっとやっていきたい」と感想を頂きました。何だかよく知らない人がきて、何かを一緒にやるだけで、子どもたちはワクワクして、積極的になれるんだそうです。それに、コラージュのやり方を覚えたおかげで、後日、クリスマス用のリースを作った写真とお手紙をを送っていただいたり、ワークショップで作った地図にまた新しく何かを貼り足したりと、その後の動きにも繋がって、とてもうれしかったですね。

それに、紙というのは、基本的には暮らしのなかで出るものなので、コラージュをつくるというのが頭にあるだけで、ただゴミにしてしまうのではなく、ちょっと貯めがいができたり、集めたりするのが楽しくなってくるんです。すると、じゃあ今日はあの店の包装紙が欲しいから今度久しぶりに行ってみようかなとか、誰かからもらったおみやげが余計に楽しくなったり、そういうふうに暮らしがちょっと楽しくなる。そういうことも伝わって、本当によかったと思います。

改めて思うのは、子どもたちに教えているようで、私も教えられていて、先生も教えられているということの面白さというか。私自身、自分では思いつかないような使い方を子どもたちがしていて、これはもうお互いに学びあってるんだなと。そういうことが、この学校連携の面白さなんじゃないかと思います。

 

プロフィール 佐藤 洋美(さとう・ひろみ)
1985年福島県伊達市出身。多摩美術大学 造形表現学部を卒業後、GRAPH入社。北川一成に師事。
「捨てられない印刷物」づくりに携わる一方で「捨てられた印刷物」を収集し、コラージュ制作も続ける。
現在キャッサバ コラージュデザイン代表。コラージュや印刷を駆使した、手触りのあるデザインを提案。
いわきうふふ便(いわき )、はじまりの美術館《絶望でもなく、希望でもなく》(猪苗代)
ナラノハ(楢葉)など
県内でのデザイン多数。
2014年 時計ブランド「Time Lag」を開始。

 

INTERVIEW

INTERVIEW

君平 | 美術家

どこに立つのか、という問いを突きつける

ここ数年、福島県内でアンモナイト、放散虫など、太古の生き物をテーマにしたワークショップを手がけてきたアーティストの君平さん。なぜアートとは無関係に思えるような地質学とコラボレーションし、制作活動を続けているのか。自然との対話、古代生物の声を聞くことを通じて君平さんが得たのは、「お前はどこに立つのか」という問いだったといいます。アートや地質学を飛び越えて人間の実存に近づく君平さんの言葉に、しばし耳を傾けます。

取材:小松理虔(ヘキレキ舎) 構成:千葉雄登

 

—今回の企画は、子どもたちに向けたワークショップです。福島県立博物館の武谷先生と、武谷先生が研究している放散虫を材料に使ったものになりますが、どんなことがきっかけで始まったんですか?

君平:「森のはこ舟アートプロジェクト」というプロジェクトに関わったとき、それに関連して、南相馬市博物館で何かワークショップができないかというお話をいただいたんです。あまり知られていませんが、福島県って化石の名産地なんですよ。僕は化石の専門家ではありませんが、面白いと思ったので色々と見せてもらいました。一体アンモナイトの専門家はどこを見ているのか気になって、教えて下さいとお願いしました。素人にとって専門家がどういったポイントでアンモナイトを見ているのか、全然わからないじゃないですか。その「プロの視点」をワークショップで使えないかと思ったんです。

アンモナイトには成長線といって、古い自分の型が筋となって残ります。これが層のように重なって、とても複雑な形をしているんです。これがすごく面白い。それを樹脂粘土でつくり、金太郎飴みたいにくっつけるワークショップが生まれました。ただ、素人だけで集まってもつまらないので、県立博物館の武谷先生をご紹介いただきました。そんな経緯でした。

—もともと君平さんはどのような活動をされていたのでしょう?

君平:僕はずっと鉄を材料に創作を続けてきました。鉄が専門なので、戦争や近代化をすることについて興味を持っていて、鉄を通じて見える世界を探していたんですよ。湾岸戦争の頃には空の薬莢にクレヨンを鋳造して、50色の弾頭をつくったりもしていました。でもね、戦争とか政治的なものってどうしても説教くさくなっちゃうんです。そこからもう少し大きな世界観に惹かれていって、2010年頃からは琵琶湖のほとりにある大学で巨大な鉄でプランクトンを製作したり。「僕らは何者か」という素朴な疑問はどこまでも存在するんです。アートもサイエンスもやっぱり原点はこの問いじゃないでしょうか。

 

ワークショップの準備に余念のない君平さん。

 

—そんな流れの中で次のテーマは放散虫です。どこに面白さを感じますか?

君平:微生物って寿命が短いので、どんどん形を変えて生き残るんです。だから化石の形を見るだけでその地層がいつの時代のものか特定できるらしいんですよ。武谷先生は地質学の専門ですから、生き物そのものについて調べているというより、その地層の特定のために微化石を調べているんです。

この微生物って一体なんなんですか? って聞くと「わからない」って答えるんですよ。良いですよね。そうやって学者なのに、やればやるほどわからないことがわかってくることってあるじゃないですか。そういったことがすごく好きなんです。あれもこれもわからない。そのわからないことを知るためにやっているって面白いですよね。

彼らの仕事って本当に地道で、すごいと心の底から思うんです。石を掘ってきて、酸で溶かして、ふるいにかけて、選び出す。10年、20年っていう短い尺で捉えたら福島と向き合うって辛い記憶と向き合うことかもしれないけど、ものすごく長い尺で捉えることを地質学は可能にしてくれるんです。放散虫も突然形が変わる場所がある。これは種が死滅するくらいのディープインパクトがあった証拠です。生き残った種が形を変えるんです。

こうした種を残していくことと、アートがやっていることって尺度は違っても同じことなんです。戦争が起こるとアートシーンが変化するように、福島に起こったことは僕らにとって間違いなくディープインパクトです。そこから時代精神を映すアートも当然変化している。これが企画展のコンセプトなんです。

 

ひとつとして同じ形のない放散虫。古代の生物が問いかけるものとは。

 

—人間の力で捉えられる社会はせいぜい孫の代です。例えば小説の多くでも江戸、戦国時代くらいまでしか遡れないことを考えると、この大地が重ねてきた年数には到底およばないと思います。君平さん自身、何千年、何億年という長い時間軸と向き合うというのはどんな意味を持つのでしょうか?

君平:どんどん根源的なところへ近づく試みですね。ルネッサンスってめちゃくちゃ昔のような気がしますけど、あれって日本で言えば戦国時代だしせいぜい500年前なんですよ。それと比べて、数万年とかわけがわからなくなりますよね。でも、そういうかなり根源的なところからつながりを感じながら視野を広げると目の前の物事の見え方も変わるんです。

僕がプランクトンと出会った時も、それまでの見慣れた琵琶湖が世界中から研究者が訪れる古代湖に変わったんです。琵琶湖は彼らにとって宝の山なんです。当時は狭いアートシーンで捉えていて、新しいものをつくるなんて無理だって絶望していたところもあったんですけど、そんな自分が情けなく思えてきますよね。スケールの尺度が変わるということが製作の原点になっています。

 

ワークショップでコラボする地質学者の武谷陽二郎先生と。

 

—福島は君平さんにとって、芸術家にとってどういう土地なのでしょう?

君平:芸術で世界を救うことはできません。僕は福島に育ててもらいました。原発に関しては、2年間働いていた会社が防災設備の会社で原子力発電所もお客さんだったんで何度か伺ったことがありました。鉄好きなので原発の世界観って魅力的だし不思議なものだったんですけど、結局のところ原子力発電は湯を沸かして回しているんです。あんなにハイテクなイメージなのにすごく原始的じゃないですか。この組み合わせの荒っぽさを考えると僕はどうとも言えないのが正直なところです。

でも事実として不幸なことが原発で起こりました。アーティストの中にはこの問題にしっかりとコミットしていこうとしている方もいらっしゃいます。それは大事なことです。芸術のための芸術が流行る時代があれば、もうちょっと社会に向き合おうという機運が高まる時期もあります。これは振れ幅もあるし、一種のサイクルではありますよね。でも、僕はこれをムーブメントにしてしまってはいけないと思っています。

良いか悪いかなんてわからないけど、この世にあるものは確実に存在しているんです。それぞれ立っている場所が違って、そこから見える景色は違うからそれぞれの正義や悪があるんです。じゃあアーティストに何ができるのか?って言われると、それはみんなに見えていない視点をプレゼントすることだと思うんですよ。

—あまりに人間の声だけに耳を傾けすぎているところがあるのかもしれませんね。太鼓の生き物も何万年、何億年昔に生きていたからといって劣っているわけじゃない。

君平:彼らの形状がなぜあのようなものなのか、よく聞くんですよ。でもね、「わからない」って言うんです。ただ生き残っただけなんじゃないかって。アートって何でもかんでも意味を求められますけど、ただ生き残ることの価値って間違いなくあるんです。それって良いもの、悪いものという尺度とはちょっと違う。例えば法隆寺はすごいって言われてますけど、大工の棟梁に言わせれば法隆寺がすごいのは残ったからなんですよ。

—君平さんの仕事はアンモナイトや放散虫などのメッセージを翻訳することなのかもしれませんね。

君平:そうですね。やっぱり視点が違うので、それを伝えるのがアートの役割なんですよ。やっぱり地質学者には地質学者の視点があります、それぞれ立っている場所や立場から何かを考えて伝えるしかないんです。でもアーティストってふらふらできるんですよ。あんまりろくなものじゃないかもしれないけど、色々な意見の間をふらふらとして「こんな風にみえるけど?」って伝えられる。

物質のスケール、時間のスケール、いろいろなものを揺さぶることで目の前の色々な問題に行き詰まっている人が少し楽になればいいなと思っています。僕もアートで行き詰まった時に救ってくれたのは全く異なる分野でした。視点を変えると、必然的に人は「お前はどこに立ちたいんだ?」」って問われることになりますから。これからも、ふらふらしたところから、問いをぶつけられたらと思っています。

 

 

プロフィール 君平(くんぺい)
1974年生まれ。成安造形大学立体造形クラス卒業、2001年筑波大学 大学院修士課程総合造形分野修了。
現在、成安造形大学美術領域主任・准教授。「鉄を通して見えてくるもの」をテーマに美術家として活動している。
近年は、溶接機とクレヨンを使った平面作品や、自然物をモチーフにした鉄の彫刻作品に取り組む。

 

INTERVIEW

INTERVIEW

竹谷 陽二郎 | 福島県立博物館 専門員

古代の大地とアートを行き来する

南相馬市で、化石とアートがコラボした、「ミクロの化石からアートへ ~太古の浜通り・南相馬を感じよう~」という一風変わったワークショップが開催されました。アーティストの君平さんとコラボしたのは、福島をフィールドに地質学の調査・研究を行ってきた竹谷陽二郎さん。徹底的な正確さがもとめられるサイエンスと感覚的なアート、一見対称的にも思える二つを掛け合わせていくのはなぜなのでしょう?。

取材:小松理虔(ヘキレキ舎) 構成:千葉雄登

 

—今回、放散虫でアート作品をつくるという試みを行われていますが、この企画はどういった経緯で立ち上がったものなのでしょうか?

竹谷:実は昨年、アンモナイトとアートのコラボを南相馬市で行いました。その時は君平さんとこれまでも様々な取り組みをしてきた博物館の学芸員の方が自然科学的な要素をアートに取り入れたいというお話を持ってきてくださって。

君平さんはアンモナイトの形をもとにアート作品をつくる役割、私はアンモナイトの持つ意味や形態の面白さを伝える役割を担いました。アンモナイトは専門分野ではありませんが、南相馬の地層や化石を紹介させていただいて、その中でアンモナイトも発掘されているというお話をさせていただいたんです。

その時に放散虫も発掘されていますということをお伝えしたら、君平さんが興味を持ち、アートにできないかと考えはじめました。昨年10月には新潟で開催された放散虫の国際学会にもお越しになられて学ばれた上で、放散虫のアート作品に挑戦しています。

 

アーティストの君平さんとワークショップについての打ち合わせ。

 

—今回のワークショップは、放散虫がテーマです。その放散虫をわかりやすく伝えるとするならば、何と説明すれば良いのでしょうか。

竹谷:放散虫というのはプランクトンなんです。原生動物単細胞のプランクトンで、ほとんどはケイ酸質の硬い殻を持っていることが特徴です。大きさは0.1mm~0.3mmくらいのもので肉眼では見ることはできません。この放散虫が死ぬと殻が地層に残って化石となります。

この放散虫というのは海だけに住んでいる生き物だったので海の堆積物に残っているんです。進化して残っていく過程で、大量絶滅して、そしてまた新しいタイプのものが生まれて…という形で形態を変えながら種を残していました。

—これまでアーティストさんとタッグを組んでお仕事されたことはありましたか?

竹谷:ありませんでした。放散虫としてアート作品をつくるというのは初めての経験です。でも、化石生物って幾何学的に美しい形をしているんですよ。私自身、化石生物は自然がつくった芸術だという意識は持っていました。人間も芸術作品をつくりますが、自然界でもこんなに美しいものができるんだと考えていたのでアートと結びつくことに違和感はありませんでした。

アーティストの方と一緒に仕事をするなかで発見もありました。自然科学でやっていることは形状の記載やその形状を示すための写真撮影など、何よりもその正確さが求められます。でもアートは正確さだけではなく、美しさの中で印象に残ったことを作品へとするわけです。元々の化石をモチーフにしているけれども、できあがった作品はその個人の芸術観やアーティスティックなものが出てくる。これが面白いですね。

 

ひとつひとつ形状の違う放散虫。ワークショップでは、子どもたちが再度スケッチして作品を仕上げていく。

 

— 先生は南相馬の地層の研究をしているとのことですが、今回の展示はいわき市の石炭化石館にて開催されます。この地域にも他とは異なる特徴や独特な地層は存在していますか?

竹谷:ありますよ。東北地方の中でも福島県の太平洋岸から北上山地まで中生代や古生代という時代の地層、つまり三葉虫や恐竜、アンモナイトの生きていた非常に古い時代の地層が確認されています。

もともと私は古い時代の地層が好きなので、この福島県の浜通りを研究のフィールドにしてきました。この地域は地層が古いだけでなくたくさんの化石が発掘されるんです。化石を研究する上では非常に良いフィールドなんですよ。

—先生がこの分野に進まれたのは昔から化石が好きだったからでしょうか?

竹谷:化石少年という程ではありませんが、大地がどのように形成されていくのかということにすごく興味があったんです。だからこの地質学の分野に進みました。

—地質学を研究される中で、2011年3月11日の東日本大震災という出来事は大きなインパクトとして残っているのではないですか。

竹谷:あの日は会津若松にいました。突然、震度5強の大きな揺れがきて。会津若松でもすごい揺れ方だったので、てっきり震源は会津の近くだと思ったんですよ。なので浜通りが震源だとテレビで知り、驚きました。地震や火山の噴火といった自然災害は必ず起こることは地層にもしっかりと残っていますし、頭では理解していました。けれども、実際に体験したのは初めてでしたから。

—あるアーティストの方が「せいぜい僕らは孫の代、おじいちゃんの代までしか遡れない。でも芸術家は500年、1000年の文化を引き継いでいくんだ」とおっしゃっていたんです。地質学というのは何百万年という長い時間軸の中で人でもないし、哺乳類でもないけれどその時代に確かに存在した生き物の声を聞くことができるのではないかと思いました。

竹谷:そうですね。福島県の地質には5億年の歴史があります。5億年前から大地が形成され、生物が棲んでいた痕跡が残されています。

 

ワークショップの開かれた、いわき市石炭化石館「ほるる」。大地には、私たちの知らない豊穣な世界が幾層にも広がっている。
地質の専門家とアーティストのコラボ。竹谷先生の話には、思わずワクワクしてしまうような魅力が溢れていた。

 

— ワークショップを行った時の子供達の反応はどんなものでしたか?

竹谷:熱心に聞いてくれました。子供たちの作品って正確かどうかではなく、とても面白いものばかりなんですよ。私はサイエンスとアートは全く別のものとして考えていました。でも、自然を対象にアートをすることで自然や化石に興味を持ってくれると考えています。だから、これからもこういった分野はとても楽しみです。

—博物館というのは地質学のようなサイエンスの領域と、伝統工芸のようなカルチャーの領域が複雑に入り組んだ場所ですよね。

竹谷:博物館が大学や研究機関と異なるのは自然科学だけでなく人文系や美術系など様々な分野の専門分野を持つ学芸員が所属していることです。だから何か展示会をやるときも様々な分野の専門家が寄り集まってある一つのテーマについて取り組む。非常に学際的で、総合的に見ることができるのが博物館の強みだと感じています。

宝物って実はとても身近なところにあります。私の専門分野のミクロな化石も目で見ることはできませんが、山の中へ行けばいっぱい眠っています。いきなり難しく考えるんじゃなくて、本当に綺麗だなと感じることや、時にそれをスケッチしてみたりする中で、もっと知りたい、もっと調べたいという興味につながってくれると嬉しいです。

 

 

プロフィール 竹谷陽二郎
福島県立博物館専門員。1952年生まれ。東北大学理学部地学科卒業、1981年東北大学大学院理学研究科博士課程地学専攻修了。
専門は地質学・古生物学で、特に中生代の放散虫化石(プランクトン)の分布や分類。
現在は、相馬地域のジュラ紀の地層や化石を対象に調査・研究している。

 

INTERVIEW

INTERVIEW

小林 めぐみ | 福島県立博物館 主任学芸員

場をつくるという、博物館の新たな役割

福島藝術計画×ASTTでは、この数年、会津若松市にある福島県立博物館との協働を進めてきました。今年度、柳津町で企画された「福島こども藝術計画 私の好きな柳津」は、福島県立博物館が中心になって企画されたものです。しかしなぜ「博物館」が地域のなかで「アートプロジェクト」を行ってきたのでしょうか。学芸員の小林めぐみさんに話を伺ってみると、震災・原発事故後の博物館の役割の変化が見えてきました。

取材/構成:小松理虔(ヘキレキ舎)

 

-今年は、県立博物館(以下、県博)が中心になって、柳津町の斎藤清美術館で福島こども藝術計画が開催されますが、企画の経緯や狙いなどについて教えて下さい。

小林:福島藝術計画×ASTTでは、これまでずっと「学校連携ワークショップ」という企画を進めてきました。県立美術館が中心になって、福島県内の小中学校などに作家や芸術家を派遣して、そこで授業の一貫として作品を作るというものです。その事業に博物館も参画することになり、「福島こども藝術計画」というフレームの中で、福島県立博物館と福島県立美術館がワークショップの事業を行うことになりました。福島県立博物館担当の事業では柳津町との連携となったのですが、意識したのが、美術館のワークショッップとの差別化でした。

美術館は、同じプログラムを県内の学校にお持ちして、それぞれの会場でやっていくという形ですが、博物館は、パートナーを決めて一つの地域に密着し、その土地の歴史や文化を知りながら制作を進めるという形を考えました。様々な学校に機会を与えようという美術館、その土地だからこそできることをしようという博物館、そんなふうに差別化することで、学校にとっても選択肢が増えると考えたんです。

もう一つ意識したのは、ワークショップに関わる人材を育てる企画でありたいということです。美術館、博物館の学芸員だけでなく、学校の先生や連携のパートナーとなる会場館、コーディネーターを担ってくれる地域のアーティストにプログラムを運営する側に入ってもらって、今後もワークショップを担える人を育てていきたいと考えていました。そこでパートナーとして浮上したのが柳津町だったんです。

 

いつも気さくにインタビューや取材に応じてくれる小林学芸員。

 

-美術館が横に展開し、博物館は縦に展開していく、そんなイメージでしょうか。そのパートナーが柳津町になったのは、どういう理由だったんですか?

小林:柳津には、やないづ町立斎藤清美術館があります。この美術館は、斎藤清という作家の作品を展示する美術館として20年やってきましたが、町内の皆さんの利用が少なく、来場者の多くは観光客という状況が続いてきました。それで、一昨年から運営方針を変えて、町立の美術館として地域に開かれた美術館を目指そうということになったんです。そこにタイミングよくワークショップの企画が立ち上がり、柳津がいいと。

企画にあたっては、虚空蔵さまであったり、丘のある風景であったり、柳津ならではのものを取り入れていくということになりました。でも、方向性を共有するだけで、一方的にどちらかが何かを任されるというのではなく、お互いにとってプラスになるような関係づくりを意識してきました。

鍵を握っているのが、現地で企画に関わってくれている学芸補助員の幣島正彦さんです。幣島さんはこれまで、町の方との関わり、公民館との関係づくりだけでなく、作家さんでもあるので柳津町での滞在制作なども行なっていました。作家だからこそ、作家の気持ちを汲み取りながら企画に関わってくれて、この1年でメキメキ成長してくれました。地域に入り、柳津を吸収し、色々なものを私たちに教えてくれています。彼のような人材がいなければ、一つの地域に密着するということもできなかったと思います。

 

やないづ町立斎藤清美術館の幣島さん(写真/中)。小林さんの期待する人材の1人だ。

 

-小林さんご自身も、博物館と町立美術館をつなぐパイプとして動かれていると思いますが、博物館の学芸員というと、博物館内で研究したり、各地の文化財の保全に努めたりというイメージがあります。小林さんはむしろコーディネーター、コミュニケーターとして、むしろ博物館の外側に目線がいっているようにも感じます。博物館の学芸員の役割というものについて、どのように考えていらっしゃいますか?

小林:そうですね、役割の変化というのは、この10年くらい感じていることでもあります。県博に入って今年で21年になりますが、最初に来た頃は、やっぱり学芸員は博物館のなかで仕事をするものだと思っていました。なぜ外を目指すようになったかというと、私がここに来て10年目くらいでしょうか、博物館の入館者数が減ったことがきっかけです。

そこで感じたのは、地域の映画館や本屋さんが減っていく動きと、博物館の入館者数が減っていく動きは、底でつながっているのではないかということでした。当時は、映画にせよ、本にせよ文化財にせよ、それがある場所に直接足を運んで本物に触れるという選択肢がありました。個人のお店には、店主の方のセンスや感覚があふれていて、多様な選択肢があったわけです。現在は、映画は大きなシネコンになり、書店もまた大規模チェーンやネット通販になって、画一的なものを求めるようになっています。

そこで思ったのは、待っていてもお客さんは来ないということです。税金で運営されているわけですから、市民に使ってもらわないと意味がありません。外に出て、地域の皆さんの声をちゃんと聞くことが必要だと考えたんです。

 

普段は学芸員の集う研究室で、書類や本に囲まれて仕事をされているが、、、、。
各地で行われるアートイベントやトークなどにも積極的に参加されている。(ART BRIDGE INSTITUTEより)

 

—10年も前からの動きだったんですね。外に出ていったことで、小林さん自身が得られたものは、どのようなことでしたか?

小林:地域に出てみると、感じたことがいくつもあって、ありがたいことに博物館というもののフラットなイメージがまだ強く残っていたということです。2010年から3年間開催された「漆の芸術祭」というものがあります。会津には、漆に関わる人たちのヒエラルキーが強くあって、職人と商店の立場が違っていました。当時は、作り手の職人さんが名前を出して外に出ていくなんて、かなり珍しかったんです。

表に出るのは商店の方で、むしろ職人は裏方、下請けのような存在でした。ところが、漆の芸術祭を開催するということになると、このヒエラルキーがいい意味で崩れて、どちらの人たちも一緒に企画に関わってくれたんです。博物館のフラットさ、属性のなさ、このベースがあったからこそ、考え方の違う人たちが一緒に対話したり企画に関わってくれるのではないかと感じました。

-なるほど。博物館の持つフラットさ、いい意味で「なんでもあり」な感じというか。そのフラットさは、原発事故以降、より強く求められていることのように感じます。原発事故というものを受けての役割というのは、どのように考えていますか?

小林:アジール性というか、博物館には多様な人たちが駆け込める余白があると感じるんです。博物館の、一度現在を離れて、遠い過去を経由するような感覚が、二分化した議論を超えていくヒントを与えてくれるかもしれません。様々な立場を超えて対話できる場所としての博物館というものを考えるようになりました。

その意味で言うと、過去の遺物をそのまま展示しても意味はなくて、それらを通じて今を考えることができるようにしなければいけません。私が入館した当時は、「こういう古いものがありました」と伝えるだけで、過去は過去でしかなかった。そうではなく、昔はこれがあった。そしてそこから今の問題を考えることができる。そんな視点を博物館は提供できるはずです。

もちろん、それができるのは、博物館だけでなく、美術館も図書館もそうだと思います。過去の遺物を紹介するだけでなく、それを通じて今を見る目を養う。世の中がどんどん混乱して、排他的になっていく現代だからこそ、温故知新という言葉があるように、過去を通じて今を考えていくような回路が必要なんだと思います。

博物館本来の役割を逸脱しているのは理解しています。でも、震災があったからこそ新しい役割を意識することができました。そして、そこに新しい博物館の可能性があるのならば、自覚的にやるべきだと思っています。これから進めていきたいのは場を作るということです。緩やかに地域に開かれ、多様な人たちが集うことができる場を、博物館が作る。博物館にしかできない場づくりというものが、きっとあると思っています。

 

 

プロフィール 小林めぐみ
福島県立博物館主任学芸員。1996年より福島県立博物館に勤務。専門は美術工芸。
2010〜2012年、会津の文化資源である「漆」をテーマとした「会津・漆の芸術祭」を企画・運営。
震災、原発事故後は、文化芸術による福島の復興と再生を目的とするアートプロジェクトに携わる。
2011年〜いいたてミュージアム(いいたてまでいの会)、
2012年〜はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト(はま・なか・あいづ文化連携プロジェクト実行委員会)、
2012年〜Art Support Tohoku Tokyo ×福島藝術計画(東京都/福島県)など。

INFO

アートによる新生ふくしま交流事業として南相馬市で開催されたアートプロジェクト「南相馬ジョッキーズ」の成果展が、南相馬市博物館で開催されることになりました。南相馬ジョッキーズは、今年6月に南相馬市で開催される全国植樹祭に向けて、南相馬とアートをコラボレーションさせたプロジェクトの一つです。

クリエイティブユニット、フライデースクリーンが、南相馬の子どもたちと一緒に、地元の伝統的神事「相馬野馬追」をテーマに騎馬武者をつくるワークショップを開催しました。ワークショップには、南相馬市のおよそ40人の子どもたちが参加。「自分がなってみたい動物」をテーマに旗をデザインし、カラフルな旗をつけた騎馬武者が完成しました。

子どもたちが作った騎馬武者は、南相馬を駆け巡る動画となり、インターネットで配信されます。また、この作品と動画は「全国植樹祭」の会場でも展示される予定です。今回の成果展では、この作品は南相馬市博物館のエントランスホールに展示されます。ぜひこの機会に、作品と動画をご覧下さい。

 

アートによる新生ふくしま交流事業・アートで広げるみんなの元気プロジェクト
南相馬ジョッキーズ展

会期:2018年3月7日(水)〜3月18日(日)
会場:南相馬市博物館 エントランスホール
アーティスト:フライデースクリーン
料金:観覧無料
開館時間:午前9時〜午後4時45分まで
休館日:毎週月曜日
問い合わせ:南相馬市博物館(南相馬市原町区区牛来字出口194) 0244-23-6421
NPO法人ワンダーグラウンド(いわき市平字白銀町2−10TATAKIAGE BASE201)090-5849-5347
主催:福島県、NPO法人ワンダーグラウンド

 

EVENTSINFO

福島こども藝術計画(アートで広げる子どもの未来プロジェクト)では、主に柳津町の小学生を対象として、2017年11月に3回、2018年1月に2回のワークショップを行いました。テーマは「わたしの好きな柳津」。第1回では、柳津町を通る只見線にみんなで乗って車窓から柳津町を観察しました。その後は、柳津駅から斎藤清美術館まで歩きながら、こどもたちのオススメ柳津スポットに講師のアミイゴさんをガイド。にぎやかな「わたしの好きな柳津」探しでした。

第2~第5回は、斎藤清美術館のアートテラスで「わたしの好きな柳津」を描きました。こどもたちがアミイゴさんとの時間の中でのびのびと描いたそれぞれの作品は、どれもエネルギーに満ちています。それらをご紹介する成果展を、ワークショップ会場だった斎藤清美術館アートテラスで行います。ぜひご覧ください。

 

福島藝術計画 × Art Support Tohoku-Tokyo2017
福島こども藝術計画(アートで広げる子どもの未来プロジェクト)

小池アミイゴの誰でも絵が描けるワークショップ成果展 わたしの好きな柳津

 

会期:2018年2月23日(金)~3月11日(日)
休館日:2月26日(月)、3月5日(月)
観覧時間:9:00~17:00(入館は16:30)
料金:観覧無料
会場:斎藤清美術館アートテラス(福島県河沼郡柳津町大字柳津字下平乙187)

講師:小池アミイゴ
群馬県生まれ。会津若松市出身の長澤節主催のセツモードセミナーで絵と生き方を学ぶ。フリーのイラストレーターとして1988年から活動スタート。
書籍や雑誌、広告等の仕事に加え、クラムボンのアートワークなど音楽家との仕事多数。2000年以降は大阪や福岡や沖縄を始め日本各地を巡り、地方発信のムーブメントをサポート。より小さな場所で唄を手渡すようなLIVEイベントや絵のワークショップを重ねる。

主催:福島県(文化振興課)、東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
特定非営利活動法人Wunder ground
共催:斎藤清美術館
協力:柳津町中央公民館

福島藝術計画 × Art Support Tohoku-Tokyo
福島藝術計画×Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)は、福島県、東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)の三者が共催し、地域の団体と協働してアートプログラムを実施する事業です。文化芸術に触れる機会や地域コミュニティの交流の場をつくり、文化芸術による地域活力の創出と心のケアという視点から復旧・復興を支援します。

■事業のお問い合わせ
福島藝術計画×Art Support Tohoku-Tokyo 事務局
tel:090-2997-1849
e-mail:tas.fukushima@gmail.com

■会場のお問合せ
斎藤清美術館
tel:0241-42-3630
https://www.town.yanaizu.fukushima.jp/bijutsu/

 

INTERVIEW

INTERVIEW

幣島 正彦さん(画家/やないづ町立斎藤清美術館学芸補助員)

アートプロジェクトの「目的」と「結末」

福島藝術計画×ASTTが今年、柳津町で繰り広げてきた「福島こども芸術計画」。イラストレーターの小池アミイゴさんを講師に迎え、「わたしの好きな柳津」と題して、地域の子供たちと美術作品を制作するワークショップを行ってきました。企画に関わったスタッフの一人が、同美術館で学芸補助の担当島正彦さん。一昨年、柳津町の隣にある三島町に移住し、美術館の学芸補助として様々な企画に関わっています。画家としても活動する島さんに、この企画や中山間地域での文化事業はどのように映っているのでしょうか。お話を伺いました。

小池アミイゴさんを講師に迎えたワークショップもいよいよ成果展です。改めてワークショップ全体を振り返って頂きつつ、島さんの得た収穫などがあれば教えてください。

:この企画は、斎藤清美術館からアミイゴさんにお願いをして企画されたというわけではなく、もともとは福島県立博物館から「子供たちを対象にしたワークショップを開催したい」という相談があって、そこから始まった企画です。ただ、子どもを対象にした企画ということ以外に特に縛りはなく、とても自由の利く企画だったので、まずはとにかくやってみようということで始まりました。事前に目的や成果などを明確に決めなかったことで、新鮮な気づきが多く、おもしろい企画になったと思います。

今まで美術館で行われた子ども向けワークショップは、全てではないですが講師と参加者の関係性の中で教える/教えられるという立場が明確なものが多い印象でした。一方、アミイゴさんのワークショップはその立場が崩れていて、子どもたちよりもむしろ大人が戸惑っているというのが実際に参加している立場からみて面白かったですね。ワークショップ中、大人たちは良かれと思って「こういう風に描いたら?」と誘導したり、「こんな感じで描こうよ」などと介入したりしてしまうんですが、アミイゴさんが「そういうのはやめて下さい」と、大人の介入を止めてしまうんです。

それから、アミイゴさんは子どもたちに対してはとにかく褒めていました。これはどういう意図があるの? なんて聞くこともせず、とにかく、その色、形がいいね、かっこいいねかわいいねなど終始褒めることをやめませんでした。それを見ている大人たちのなかには、アミイゴさんのやり方に戸惑っている人もいたと思いますが、それも含めて価値の転倒が起こった現場の雰囲気になっているというか。介入を止められて、最初は戸惑っていた大人たちも子どもたちと一緒になって絵を描いてたりして、いろいろなものがごちゃまぜになって展開してい、立場がフラットになっていくところがとても印象的でした。

普段は学芸補助員として働く幣島さん。画家でもいらっしゃる。

地方での芸術のワークショップというと、なかなか人が集まらないと想像してしまうのですが、今回ワークショップにはかなりの数の子どもが参加したと伺っています。参加していた子供たちはどうやって集められたんですか?

幣島:子供たちは、柳津の公民館に集まってくる、いわゆる学童の子たちが中心になっています。実は、アミイゴさんの話がある前から、斎藤清美術館をいかに地域に開かれた美術館にしていくかという模索が始まりまして、まず地元子どもたちがよく利用する公民館とのつながりを作ろうということで、昨年から美術館と公民館との連携が始まり、ゆるやかに関係性を築きあげていく中でアミイゴさんの企画が持ち上がったというかたちです。

斎藤清美術館というのは、その名の通り、画家の斎藤清個人の名前を冠する美術館ですので、当然、斎藤清の作品をメインに展示やイベントの企画をしてきました。しかし、数年前から、客足の伸び悩みや、町立の美術館の役割などを考慮して、もっと地域に開かれた美術館にしていく方向で運営することになり、様々な取り組みを進めてきました。

そういう方向転換の中で私も採用されまして、学芸補助という立場で関わらせて頂いていますが、仕事はいろいろとやらせていただいています。小さな美術館ですし、展示だけでなく各種イベントの企画、地域の人との連絡業務などもやらせていただいています大学で絵を学んでいたこともあって、美術館内のスペースをしばらくお借りして制作させて頂いたこともありました

学芸補助の仕事は多岐にわたる。試行錯誤の連続だ。

都市部では美術やアートのイベントも盛んですが、柳津のような中山間地域だと人口も少なく、文化事業の立案や企画にあたって苦労が多いのではないですか?

幣島:そうですね、柳津に来て1年半になりますが、やはりいろいろネガティブな発見も多かったです。そもそも、ここに来る前は大学院で油絵を専攻していて、地域の皆さんとはもちろん、他人と企画を作るという経験がほとんどありませんでした。これが初めての仕事ですし。また、私の移住と、斎藤清美術館が地域に開かれた美術館を模索し始めた時期と重なるので、美術館も私も両方とも試行錯誤というような感じで、戸惑うことも正直多くありました。

例えば、何かイベントをやるとして、何を評価にすべきか、何をゴールにするかということが決まらないままイベントが行われたり、既存の観光事業と同じように「何人お客さんが来たか」ということだけが評価の対象になったり、何をもって事業を評価するのか、地元に何を残したいのかということについて認識をすり合わせることに困難がありました。

お客を呼ぶために、作品や地域とじっくりと向き合うということよりも、観覧する人にインパクトを与える、見た目にもわかりやすいものが用いられたりします。昨年10月には斎藤清美術館の開館20周年の関連企画が多くあったのですが、やはりインパクト重視の企画という面が否めず、お客さんには多く来て頂けて嬉しく思う反面、個人的には、話題性があったり、わかりやすいものでないと人は集まらないのかなと少し寂しく思う面もあります。

地域における芸術、文化事業の問題点を率直に語って頂きました。

確かに、島さんがいうように、多くの地方でいわゆる「地域アート」がもてはやされ、社会課題の解決のため、様々な文化事業が行われていますが、達成されるべき成果や目的が初めから設定されているものが多いですね。

幣島:文化事業や芸術、何が成果になり、どのような結果が生まれるか分からないということに魅力があり、可能性もあるのだと思いますが、自治体の事業となると、やはり得られるべき成果や目的が事前に決まっていないといけませんから。そのあたりの矛盾が絶えず付きまとうことになります。

初めから何かの結末を想定して、それに沿うように運営していくのではなくて、結果として何かが生まれる、ということもひとつの芸術のかたちなのだと思います。ところが、現状は、結果的にもたらされるものが初めから企画の段階でこうあるべきと書かれてしまっていて、手段と目的が転倒しているんじゃないかと感じる企画も少なくありません。準備期間やリサーチの期間も満足にないものもあります。だからこそわかりやすくなったり、インパクト重視のものになってしまうのだとは思いますが。

福島に来てから、やはり地域のアートプロジェクトが多盛んだなという印象がありますが、個人的には懐疑的になってしまうところもあって。芸術、最終的な帰結がどうなるか分からないものだと思いますし、想定していたものとは別に物事が進んで、違うベクトルから何かがもたらされたり、継承とは違う形で散布されて何かが受け継がれるということもあると思います。もちろん、時には言葉に偏重して考えることも重要だと思いますが、先に何かを狙いすぎては、偶然性や余白のような遊びの部分小さくなっていくような気がしますしかし、そういった間隙にこそ芸術があるんじゃないかと考えています。

地域に開かれた美術館になれるか。真価が問われる斎藤清美術館。

よくわかります。自治体が運営するような施設の企画だからこそ、最初からある程度の方向性が決まっていないと予算も執行できないでしょうし、そこからズレることが悪とされてしまう。でも芸術ってそもそもそういう思惑を外れていくところに醍醐味があるものですよね。

幣島:その意味でいうと、今回印象的だったのが、アミイゴさんが「子供たちが絵を描かなくても幸せならそれでいいじゃないの?話をしていたことですね。全く美術に偏向せず、いくらでもそのバランスが変わっていけるような感じがとても良かったんです。大事な視点を改めて確認することができました。

そこで得たものを、いかにこの場所にまた展開していくのか。初めから何かの答えや目的を明確に意識するというだけではなく、試行錯誤を繰り返しながら、斎藤清美術館の役割や今後の展開を考えていきたいと思います。成果展にも、ぜひみなさんお越しください。

 

小池アミイゴの誰でも絵が描けるワークショップ成果展 わたしのすきな柳津

 

プロフィール 幣島正彦(へいじま・まさひこ)
1991年大分県生まれ。2016年筑波大学大学院 博士前期課程 人間総合科学研究科 芸術専攻 修了。
2016年6月より やないづ町立斎藤清美術館 で臨時職員として勤務。

INTERVIEW

INTERVIEW

小池アミイゴ

大人は子どもに自由を与えられない

福島藝術計画×ASTTが今年、柳津町で繰り広げてきた「福島こども芸術計画」。会津地方の柳津町で「わたしの好きな柳津」と題して、地域の子供たちと美術作品を制作するワークショップを行ってきました。講師として関わって頂いたのが、画家の小池アミイゴさん。そのアミイゴさんに、ワークショップの模様や、子供たちの創造性について話を伺いました。

ここ数年、子供たちとのワークショップなど、様々なプログラムを企画して来たと思いますが、柳津の子供たちはどうでしたか? ワークショップの雰囲気や、子供たちとの交流を通じて得られた経験などを教えてください。

アミイゴ柳津の子供たちには色々なことを教えられました。完成まで何度かワークショップを繰り返して来ましたけど、ぼくがやってることはアートじゃないぞ、デスアートっていうかアンチアートっていうか、とにかくアートじゃないなって思ってて(笑)、すごく大変だったけれども、想像をはるかに超えるような瞬間瞬間の美しさがあって、子供たちから色々なものが飛び出してきました。とても楽しかったです。

ワークショップの初回は町歩きでした。ぼく自身、柳津について何もわからない状態で来るので、まずはぼくが子供たちから色々なものを教えてもらうというコンセプトにしました。「只見線を素材として使って欲しい」なんて依頼が最初にあったんだけど、大人たちの思惑で何かをやらされるようなプログラムにはしたくなかったし、通る道も、見るものも、すべて子供たちに考えてもらいました。

やっぱり「東京から素敵なものが降ってくる」みたいな企画なんて要らないし、素敵なのはお前たちだろうって感じでした。彼らはみんな子供だけれど、生まれてからもう10年近くここに住んで、震災後の大変な社会に生きてきて、ぼくたちのほうが学ばないといけないって思ってますよ。

実際に彼らは本当に面白くて。最初は「仲良くなんてなりたくねえ」って雰囲気なんだけど、虚空蔵尊に行った時に、子供たちがお寺の境内から「ヤッホー」って叫んでね。でもそのヤッホーが下手でさ、「やまびこはこうやるんだ」って、ぼくも「ヤッホー」って叫んだら寺の中からお坊さんが出てきて「大人まで一緒になって何やってるんだ!」って怒られて。最初はちょっと雰囲気が良くなかったけど、それで団結しましたね(笑)。

成果展準備中のアミイゴさんにお話を伺いました。

とてもいいエピソードですね。柳津の子供たちの雰囲気が伝わってきます。アミイゴさんは全国各地で同様の子供向けのワークショップの経験があるかと思いますが、子供たちとの共同作業は独特の難しさがあるのではないですか?

アミイゴそうだね、都市部でやると、子供たちがやりたいってことよりも、そういうワークショップに連れてきたってことをSNSで投稿したいだけの親も多くて、子供の方なんて見てないですよ。インスタ映えしたいだけじゃんって感じで。子供にかわいい絵を描かせてそれをシェアする。そんな場面に遭遇することが多いです。

震災後の熊本でやらせてもらったことがありました。親御さんたちが震災復興のバザーを開いていて、その脇で絵を描くって企画だったんだけど、子供たちは、親が頑張ろうとしているのに、おれたちはこんな楽しいことしていいのかって思っていて、ぼくに挑んでくるんですよ。子供は背負ってしまってる。気仙沼でもそうでした。楽しそうに絵を描いてたのに、最後になって一人の子供がすごい険しい顔して、真っ黒の絵の具で「復興するぞ」って書いちゃう。よく考えると、それらはみんな大人が喜ぶからなんですね。

東京の天王洲って街でやった時は、みんなとてもおしゃれで頭も良さそうなんだけど、なかなか描けない。遠慮してるんだね。それで「無理して描かなくていいぞ」って、時間をかけてコミュニケーションしていくと、少しずつ描き始めて。彼らは小さい時からものすごくいいものを与えられている子たちだから、描き始めるとものすごいものを描きますよ。ダントツで創造性あるのに遠慮しちゃう。それも子供たちの姿です。

震災以降、子供たちが遠慮するようになってる気がします。おそらく大人たちがいろんな部分で自分を出すのをためらっているのかもしれない。あれを言っちゃいけない、これを言っちゃいけないってね。でも、子供たちって別に政治的なことを言うわけじゃないし、言葉で言えないようなものを絵で出して欲しい。そして、そこで子供たちが描いたものを通じて大人が会話できるようになったり、子供への向き合い方が変わってくる。絵のワークショップをやるのは、半分以上は大人のためかもしれないね。

雪の降りしきる柳津。その雪が光を反射し、美術館の室内に光をもたらしている。

柳津の子供たちも一筋縄ではいかなかったのでは?

アミイゴ:いやあもう柳津も大変でした。学童クラブが中心になっているので、コミュニティがまとまって美術館にくるわけです。そこにはすでにルールがあるんですね、子供たちなりの。体を使って他の子供の邪魔をする子とか、ヤンキーっぽさをあえて出してる女の子とか、すでに子供たちのキャラ設定があって、それを解きほぐしていくのはとても大変でした。そのために意識したのは、絵とかどうこうではなく、とにかく会話して、いいね、かっこいいねって、自分の感動をそのままの言葉で伝えるようにしたことです。

ちょっと乱暴な男の子がいて、他の子が絵を描いているところにガーッと線を引いちゃったりしてね、それで学童のスタッフの人なんかは「邪魔しちゃダメでしょ?」って介入してしまうんだけど、そこの間にぼくが入って大人の方に「あとはぼくに任せてください」って大人を引き離しちゃいます。もしかしたら、その男の子にとっては命をかけた線かもしれない。だから「お前の線はワイルドでいいな、最高だな」って一旦引き受けて、「そんなに描きたいんならあそこの白いところに描いていいぞ」って誘導してあげる。そしてすぐに邪魔された子のところに行って、「次はおれが守ってやるから好きに描いていいから」とフォローしてちゃんと話す。するとね、子供たちも自分たちで考えて行動を変えていくようになるんです。

なるほど、先ほどのエピソードと同じように、子供たちの方が何かを演じていたりする。すると本当に描きたいものを描くんじゃなくて、大人が求めるような子供らしい絵を再現してしまうという感じになるのでしょうね。

アミイゴ子供たちと何かを作るという時、大人たちは「子供らしさ」を先回りして考えがちです。赤とかピンクとかそういう色が子供らしくてかわいいとか思っちゃう。けれど、大人たちが考える色じゃなくて全然いいんですよ。子供たちと「犬のうんこ色」なんて言ったりしてさ。そんな茶色だって綺麗で、誰かがそこにバーっと描き足してぐちゃぐちゃになっちゃうけど、その瞬間瞬間はとても綺麗で、いい色だったり、いい線がいっぱいある。それを発見するのが大人の役割なんじゃないでしょうか。

二日目のワークショップには、学童の大人たちの関わりかたが変わっていました。みなさん「これはいいわね」なんて言ってて。やる前は、ぼくのことをきっと危ないおじさんだと思って、みんな離れていくんじゃないかと思っていたんだけどね。子供たちに対するスタッフの関わりが変わった。それがいちばんの財産かもしれないね。

ぼくだってね、なにかのメソッドがあるわけじゃない。でも、やっぱり自分の想像を超えたものを見たいと思っていて。人智を超えたもの、それを子供たちが作っちゃう、そういう瞬間が見たいんです。大人が先回りした価値観で子供たちを縛っちゃうのはとてもつまらない。参加しただけじゃ意味がないと思っています。

子どもたちの一瞬一瞬の美しさが閉じ込められた作品たち。

アミイゴさんの話を伺っていると、徹底して「価値の転倒」や「新しいコミュニティの可視化」に徹していて、つまりこれまでの価値をひっくり返すようなことを徹底してやっているように見えます。もちろん子供たちだけでそれをすることはできないから、大人の関わりというものが鍵になりますね。

アミイゴ:よく、絵の具に手をぺったんして、手型でアートみたいなプロジェクトがあるけれど、あれもまた大人がやらせるものですよね。子供たちにとっては、いきなり手にペンキをつけるのって多分気持ち悪いことです。指や手に絵の具をつけて、そして少しずつ絵の具に触れ合って、そのうち自分で発見してペタってやるのが面白いんだと思います。失敗しながらトライして、絵の具と体が気持ちいいって思える時にやっていけばいい。

子供っていっぺんにババっと描いているように見えるんだけれど、実は周囲をよく見ていて、余白を見ながら描いてる。つまり構図を考えて作っているってことなんです。だからやっぱり大人が先回りしちゃいけない。子供たちは絵の中でちゃんとコミュニケーションしてますから。親がそれを発見してあげる。

だから大人ができることは、一瞬のなかの子供の輝きに感動してあげて、それをシンプルな言葉で伝えて、美しさを発見することだと思います。それができたら子供たちはどこまでも行きますよ。こんな体験を、人生で1回経験できればいいかも知れないなって、そういう気持ちで今回も関わらせて頂きました。

大人と子どもたちの心の関わりについて話して下さったアミイゴさん。

子供たちが輝く瞬間を見逃さない。その意味では、今回の作品は子供たちの作品とも言えるし、大人たちも含めたみんなの関わりの結末でもありますね。初めから結末を決めてそこに寄せていくのではなく、本当にハプニングの結末というか。それを作家として受け入れるのには勇気が要ることだと思います。

アミイゴ:そうかもしれないね。大事なのは、別に作品なんて残らなくていいし、絵だって本当に描きたくないなら描かなくていいってことだと思うんです。子供たちが幸せなら別にいいじゃんって。

ワークショップも3回目、4回目になると、子供たちの間にも関係性が生まれて、女の子たちもぼくに「キモい」とか「私たちは描きたくない」なんて言ってくるから、いいぞお前らは描かなくていいよって返したんです。そしたら、女の子たちはパレットの上で絵の具を作ることに楽しみを感じたみたいで、延々と絵の具を作ってる。それもその子たちの輝きなんですよね。

展示されるのは、そういう一瞬一瞬の輝きの結果でしかない。もちろん大人たちにも思惑はあります。今回も「柳津に雪を降らそう」とか言っちゃってね、狙いを作っていたんだけど、大人の意図と子供たちのクリエイティビティが重なる瞬間が来る。それがまたいいんだよね。

今回は、ずっと言うことを聞かなかった子が、「ロール紙の芯の先に筆をつけたい」って言うから、それを作って最後は雪を降らせました。その時に痛感したんだけど、大人たちの仕事は子供に自由を与えることじゃないって。そうじゃなくて、子供が自ら立ち上がって、ロール紙の芯に筆をつけるような知恵を獲得する現場を作り続けるってことなんだ。

それは、大人たちにとっては分からなさを楽しむってことでもある。ぼくも初めての柳津にやって来て、何が生まれるかなんてまったく分からないわけ。その分からなさが楽しくて、こういう仕事を続けていられるのかも知れませんね。だから、分からなさを排除しないこと。子供たちを信じること。一瞬一瞬を褒めること。それを改めて痛感したワークショップになりました。

 

小池アミイゴの誰でも絵が描けるワークショップ成果展 わたしのすきな柳津

 

プロフィール 小池アミイゴ
群馬県生まれ。会津若松市出身の長澤節主催のセツモードセミナーで絵と生き方を学ぶ。
フリーのイラストレーターとして1988年から活動スタート。書籍や雑誌、広告等の仕事に加え、
クラムボンのアートワークなど音楽家との仕事多数。
2000年以降は大阪や福岡や沖縄を始め日本各地を巡り、地方発信のムーブメントをサポート。
より小さな場所で唄を手渡すようなLIVEイベントや絵のワークショップを重ねる。

EVENTSINFO

今期、福島藝術計画が公式プログラムとして開催してきた「学校連携共同ワークショップ」は、美術作家を先生として招き、各学校で子どもたちを対象としたワークショップを開催するプログラムです。作家が学校に出向いて子どもたちと交流しながら、いっしょに創作活動を楽しみます。今年度のワークショップは、昨年に引き続き『おとなりアーティスト』と題し、福島県出身のアーティスト2名(工芸家/デコ屋敷本家大黒屋21代当主・橋本彰一 氏、デザイナー/コラージュ作家・佐藤洋美 氏)を招いて、県内12カ所の幼稚園から高校でワークショップを開催しました。参加者総数500名以上。本展覧会では、ワークショップで作られた作品を展示いたします。子ども達の思いやときめきがギッシリ詰まった素敵な作品をぜひご堪能ください!

 

 

【開催概要】
学校連携共同ワークショップ参加校作品展 in いわき

会期:平成30年2月7日(水)~2月12日(月・祝)
時間:9 : 00~17 : 00(入館は16 : 30まで)※最終日は13 : 00まで
会場:いわき市暮らしの伝承郷 企画展示室(いわき市鹿島町下矢田飯野14-16 TEL : 0246-29-2230)
料金:入場無料

 

EVENTSINFO

アートによる新生ふくしま交流事業「アートで広げるみんなの元気プロジェクト」の新しいプログラムが決定しました。アーティストの君平さんをお招きし、「ミクロの化石からアートへ ~太古の浜通り・南相馬を感じよう~」を開催いたします。

恐竜が生きた時代よりもはるか昔から、海の中で生きつづけているプランクトンである放散虫(ほうさんちゅう)というミクロな生き物たちがいます。色は透明で、たくさんのトゲと、硬い骨を持っていて、その硬い骨は美しい化石になります。放散虫の化石は、はるか昔は海だった浜通りでもたくさん発見されています。ワークショップでは、放散虫を研究している福島県立博物館の竹谷陽二郎博士と、それをモチーフに作品を制作するアーティストの君平さんといっしょに、浜通りの放散虫の化石をスケッチしてアートにチャレンジします。ミクロの化石の魅力から太古の浜通りを感じてみましょう。

【開催概要】

アートによる新生ふくしま交流事業「アートで広げるみんなの元気プロジェクト」
ミクロの化石からアートへ ~太古の浜通り・南相馬を感じよう~

◎講師
君平(Kumpei)(アーティスト)
1974年生まれ。成安造形大学立体造形クラス卒業、2001年筑波大学 大学院修士課程総合造形分野修了。現在、成安造形大学美術領域主任・准教授。「鉄を通して見えてくるもの」をテーマに美術家として活動しています。近年は、溶接機とクレヨンを使った平面作品や、自然物をモチーフにした鉄の彫刻作品に取り組んでいます。

竹谷 陽二郎 (Yojiro Taketani)(福島県立博物館専門員)
1952年生まれ。東北大学理学部地学科卒業、1981年東北大学大学院理学研究科博士課程地学専攻修了。現在、福島県立博物館専門員。専門は地質学・古生物学で、特に中生代の放散虫化石(プランクトン)の分布や分類です。現在は、相馬地域のジュラ紀の地層や化石を対象に調査・研究しています。

◎会場と日時
1、南相馬会場
日 程:平成30年2月18日(日)(10:00~12:00)
会 場:南相馬市博物館(〒975-0051 福島県南相馬市牛来出口194)
申し込み・お問い合わせ
南相馬市博物館
〒975-0051 福島県南相馬市牛来出口194
Tel 0244-23-6421 (問い合わせ時間 9:00~17:00)/Fax 0244-24-6933
Mail hakubutsukan@city.minamisoma.lg.jp
アクセス
・常磐線「原ノ町」駅からタクシーで約10分
・常磐道「南相馬IC」から車で約20分

2、いわき会場
日 程:平成30年3月4日(日)(10:00~12:00)
会 場: いわき市石炭・化石館 ほるる(〒972-8321 いわき市常磐湯本町向田3-1)
申し込み・お問い合わせ
いわき市石炭・化石館 ほるる
〒972-8321 いわき市常磐湯本町向田3-1
TEL:0246-42-3155 FAX:0246-42-3157
URL:http://www.sekitankasekikan.or.jp/

参加費:無 料
対 象:どなたでも参加できます。未就学児の方は保護者同伴でご参加ください。
主 催:福島県|特定非営利活動法人Wunder ground
共 催:南相馬市教育委員会、いわき市石炭・化石館 ほるる
後 援:いわき市
助 成:アートによる新生ふくしま交流事業「アートで広げるみんなの元気プロジェクト」

EVENTSINFO

アートによる新生ふくしま交流事業が始まります。今回開催されるのは、子ども向けのロボットアームをつくるワークショップになります。ロボットアームのキットを組み立て、コマドリアニメーションの手法をつかって動かします。文字を書いたり、将棋をしたり、動物に変身させたり? 自由な発想でロボットの常識を覆そう!

立体アニメーション作家・パンタグラフが制作したロボットアームのキットを組み立て、色や形を自由にアレンジします。ワークショップ後半には、コマ撮りアニメーション手法でロボットアームを自由に動かし、参加者のアイデアを映像化します。ぜひご参加下さい。

ワークショップの紹介ムービー。

【開催概要】

アートによる新生ふくしま交流事業「アートで広げるみんなの元気プロジェクト」
コマ撮りアニメで自由な発想を! ロボットアーム・ワークショップ

会場と日時:
◎いわき会場
日 程:平成30年2月24日(土)(10:00~16:00)
会 場:アートスタジオもりたか屋

◎南相馬会場
日 程:平成30年2月25日(日)(10:00~16:00)
会 場:テクノアカデミー浜(〒975-0036 福島県南相馬市原町区萱浜巣掛場45-112)
(アクセス) ・常磐線「原ノ町」駅からタクシーで約10分 ・常磐道「南相馬IC」から車で約20分

講師:パンタグラフ(アーティスト)
立体造形と立体アニメーション専門のアーティストユニット。コマ撮り手法でのアニメーション制作ではCMや短編アニメーション、ゾートロープなど幅広い分野で活動を展開。作品や書籍、ワークショップを通じて“実物”の存在感 や“動き”の本質を探る。

対象:小学生高学年〜大人まで(保護者の同席も可能です)

行程:
10:00 スタート 自己紹介
10:20 キット配布 内容説明
10:45 工作スタート(塗装含む)
12:00 工作終了 昼休憩
12:45 ワーキングエリアで行うコマ撮りのサンプルを見せながらレクチャー
13:15 どんな動きをするかスケッチ、思案
14:00 コマ撮り開始
15:30 コマ撮り上映
16:00 終了

参加者が用意するもの:
コマ撮りアプリ(無料)がダウンロード可能なスマートフォンやタブレットをお持ちください。
お持ちでない方はお申し込み時にご相談ください。

申し込み・お問い合わせ:特定非営利活動法人Wunder ground(担当:榊・会田)
〒970-8026 いわき市平字白銀町2-10 TATAKIAGE BASE201
TEL:090-5849-5347  E-MAIL: info@wangura.net

主催:福島県 文化振興課|特定非営利活動法人Wunder ground
後援: いわき市