INTERVIEW

INTERVIEW

三浦 麻梨乃 |銅版画家

子どもたちに伝えたい、他愛のない日常

福島藝術計画×Art Support Tohoku-Tokyoがこの数年力を入れている学校連携ワークショップ。2018年度、2019年度の2年間、この企画に関わっていただいた銅版画家の三浦麻梨乃さんに、これまでのワークショップの模様や、銅版画の魅力について伺いました。銅版画制作と学校教育の現場は、どのように結びつくのでしょうか。

-三浦さんは2年連続での招聘でした。どんな子どもたちを相手に、どんな制作を行ったのですか? まずはこの2年を振り返っての感想を聞かせてください。

2018年は二本松市にある渋川小学校の4年生、それから会津若松市の第一中学校、第二中学校美術部の生徒たちとワークショップをやりました。今年度は、郡山市の御舘中学校の2年生、それから「ふれあい学級」という不登校の子どもたちが通う教室で取り組みました。子ども向けのワークショップは過去にも何回か経験していますが、美術館など希望者が集まるタイプものだったので、いろいろな学校に出向くというのは初めてでした。

やっぱり学校によって特色が様々ですし、応募してくるのは学校の先生で、先生の考えも様々あります。いろいろな問題を抱えている子たちがいる中で、子どもたちが自信を持ったり心の扉を開くきっかけにしたいという先生が多くいらっしゃいました。子どもの時期というのは、大人の階段をのぼる途中の、土づくりのための栄養を蓄える時期。何かきっかけを掴んで欲しいという先生たちの思いを感じました。ですので、作品を完成させるだけでなく、制作の過程で培われて生まれてくるものを大切にしようと心がけました。

例えば、ふれあい学級の場合は、1人がひとつの作品、ではなく、グループごとに共同でひとつの作品を作る形式にしました。紙の素材で作った版画を切り取って、動物とか自由な形を作り、それを自分の分身に見立て、背景となる作品に並べてみんなで作品を作るというものでした。

作業が速い子も遅い子もいますから、速い子は背景となる作品を作ってもらって、遅い子は自分自身のキャラクターをじっくりと作る、というような感じでしたね。共同作品なので、みんな同じ構図だけど、配置や色を変えることでバリエーションが豊富になりました。そういう変化を楽しめるのも版画のいいところだと思います。

「背景となる絵」と「自分の分身」を組み合わせて1枚の作品に

-学校でのワークショップの場合、制作の進度だけでなく、興味のあるなしも難しそうですね。やる気のある子ばかりではないでしょうし。子どもたちと向き合ううえで気をつけられたのはどんなところでしたか?

そうですね、やっぱり一番は私自身も一緒に楽しむことを大事にしたいと考えていました。それから、うまくやってもらおうというより、会話をしながらリラックスしてもらうこと。くだらない話のように思えて、でもそういう時に意外と作業が進んだりするんです。先生方の関わりがあったり、担当学芸員の大北さんのアイデアを取り入れてみたり、展開が多様に変化していくのを楽しむことができたように思います。

絵を描くことって楽しいことです。何が楽しいかって、自分の好きなものを描くことが楽しいわけですよね。実は私にも、大学時代、絵を描くことに悩んでいた時期がありました。その時に楽しさを取り戻すきっかけが、今描いているような小動物だったんです。子どもの頃過ごした福島の、楽しみながら触れ合っていた小さな動物たち。それを描いてると、絵って楽しいなって気持ちを思い出すことができたんです。

今回、中学校の美術部も担当しましたが、そこで分かったのは、美術部なのに絵が好きで入部したわけでなくて、人間関係から入部した子たちがいることでした。美術部なのに、絵が苦手だっていう子が少なくないんです。そういう子たちに「楽しい」という気持ちを演出するにはどうしたらいいだろうと思った時、やっぱり自分本人が楽しいと感じていること、ゲームとかおしゃべりとか車とか、なんでもいいから自分の好きなことを描いてもらうことが大事だなって。考えていて楽しい、取り組んでいて楽しい、そういうことを描いてもらうことで、何か、自分自身を見つめるきっかけを掴んで欲しいなと思いました。

-楽しいことを描く。こんなシンプルなことなのに、なかなか難しいですよね。どうしてもうまく描こう、教科書のようにやろうと思ってしまうという・・・。

逆に小学生のワークショップではみんな迷いがないんです。こんなに色を混ぜ込んで大丈夫かなって私は思ってしまうようなものも、逆に不完全なところ、知らないがゆえにできる大胆な発想が作品を豊かにするんです。大人はどうしても失敗を回避しようと思ってしまうけど、怖いもの知らずでぶつかる強さが小学生にはあります。だから作品にエネルギーがあるように感じました。

そういう意味でも、自分自身が楽しむというのは達成できた気がしますね。いい意味で適当というか、流れの中でなんとなくできるということも大事だな、それでいいんじゃないかって思えるようになってきました。やりっぱなしなのに、それが伸びやかさになって、作品に広がりや動きが出ている。それを感じられたことは刺激になりました。

同じ「円」を描くにも、様々な「点と線」のアプローチがある

-失敗を恐れないとか、大胆に楽しくやるとか、それがそもそもの美術の魅力かもしれませんね。決して教科書的な「上手」さが求められているわけではないはずです。でも、自由に描いていいと言われると臆病になってしまうものですよね。

確かにそうかもしれません。自由に描いていいと言われると難しいですよね。銅版画は、実はいろいろな不自由さがあるんです。まず描いて、彫って、刷るという複数の工程がありますし、実際にできる絵は版画なので反転されています。ペンで描くより圧倒的に不自由なんです。最終的な作品も、プレス機の大きさより大きい作品は作れません。制限されるんです。

けれど、その不自由さが、かえって無駄なことを削ぎ落としてくれたというか、余計なことを考えなくて済むようになったというか。私の描きたい世界は、小動物の細やかな表情や何気ない日常の風景なので、そんなに大きな作品を作る必要はないんです。今までは絵画ならやっぱり大きな作品を描かないといけないみたいな固定観念があったのですが、版画に出会ってから等身大の自分になれた気がします。

最初は油絵を制作していました。でも、どうも細かく描き過ぎてしまって抑揚がなくなったり、絵の具を重ね過ぎて鈍くなってしまったりということがあって。それで悩んでいた頃、大学で版画の授業に参加したんです。版画って、さっき言ったように、描く、彫る、刷ると段階が分かれているのですが、次の工程に移るときに客観的に作品を見ることができるんです。まだ描き足りないなとか、一旦冷静になって作品の展開を考えられる。それがすごくいいなって。

それに、銅版画は木版画と違って点と線のアプローチを主体に表現していきます。油絵の頃はどうしても作り込み過ぎてしまっていたのに、点と線しかないという制限が、むしろ逆に自分の無駄なものを削ぎ落としてくれた感じですね。いい意味で諦めがついてやりたいことが絞れたというか。私の描きたいものにもマッチしているし、銅版画によって自分の表現が磨かれてきた、そんな感覚があります。

銅版画の「制限」が、三浦さんの表現を結果的に磨いたのだという

-非常に面白い話ですね。版画の工程、大きさの制限、表現の不自由さ。それが三浦さんの表現を磨き上げてくれた。そしてそれこそ版画の魅力にも思えます。普段の何気ない日常、生まれ育った福島の動物たちを描くという三浦さんにぴったりだったわけですね。

そうですね、特に震災を経験したからこそ強く思います。あの震災を経験して、何気なく過ごしている日常こそ幸せなんだと気づかされました。身近な何気ない生活の中に、実は、自分自身を支えている土台の部分がある。何気なく暮らせる日常って、本当に恵まれたものなんです。子どもたちも、制作を通じて日々の生活を振り返るなかで、自分自身を見つめてもらえたらと思います。

子どものときの何事も無意識に過ごす時間って、現在進行形で土が作られている大事な時期。子ども時代に過ごした日常って大人になってから効いてくることって結構ありますよね。忘れようと思っても体に染み込んでいて、それが助けになる時がある気がするんですよ。

東京で予備校に通っていたころ、予備校も競争の世界で、自分より圧倒的な技術があったり魅力的な絵を描いている人がたくさんいました。そんななかで自信を失っていた時、なんとなく道端を歩いていたら、とある家の玄関にお盆の時に飾る精霊馬が置かれていて。懐かしい気持ちが起きて元気が出てきたことがあるんです。子どもの時も目にしていた精霊馬に「ふるさとのぬくもり」を感じました。私は、そういうものこそ作品にしたいと思っています。日常の何気ないもの、自然との触れ合い。その象徴が、私の描く蛙です。

そういう何気ないものに、作品を見てくれた方が共感してくれたり、楽しんでくれたり懐かしんでくれたり、そうして人との交流が生まれたりしています。福島で育って何気なく過ごしていた日常が創造の種になり、時間をかけて今、花開いているのかもしれませんね。今の子どもたちも、大人になっていくにつれて、幸せの形は変化していくと思うけれど、体の中にある芯の部分、土の部分って変わらず続いていくものだと思うんです。

三浦さんの作品に登場する「カエル」は、他愛ない、しかしとても貴重な「日常」の象徴

-そうですね。そして、そのかけがえのない日常が傷つけられたのが原発事故でした。

私は自分の作品展を栃木県内でも開催しているのですが、震災でこちらに避難して住んでいる人も結構いらっしゃいます。私の作品の中には震災をテーマにしたものもあるので、それを見て嫌な思いをさせてしまうかなと思いましたが、あのことを忘れたくないんだって見に来てくださる方がいらっしゃいます。絵を通じた対話やコミュニケーションも大切なんです。

それと同じように、他者との対話で気づけるものって少なくないと思います。今の子供たちって、ひとり遊び慣れしているというか、1人でも充実できる世代に見えます。でも、大勢の中で育まれる個性もあるはずですよね。中学校の美術部のワークショップもそうかもしれません。誰かの作品を見て刺激を受けたり、作品を通じて起きるコミュニケーションを通じて、生徒たちに成長のきっかけを与えたいという先生の気持ちが感じられました。

生徒の中に「白米を食べる時が一番幸せだ」って子がいました。それでいいんですよ。他愛ないことが作品になる。そういう経験を味わってもらいたいし、自分の中や暮らしの中にある他愛ないものを見つけることが、自分を吐き出すことになるって知ってもらいたい。こういう体験をしておくことが、後になって花開くような気がします。

小さい時、友達ができないくらい人と話すのが苦手で、黙々と絵を描いていました。でも、その絵が褒められたり、絵を通じてコミュニケーションが生まれて、それが自信になったことがあります。それからずっと、作品を発表しなかったら出会えなかった人間関係に救われている気がします。

栃木県内にある三浦さんのアトリエで話を伺った

-他愛もないものがモチーフになって、色々な角度から客観的に見ることができて、作品を通じてコミュニケーションが生まれる。そんな版画的な行いが福島で求められている気がします。

今回も「何をモチーフにしたらいいか分からない」って生徒がいて。みんなで美術を難しくしてしまっているような気がするんです。決められている固定観念に縛られたり、間違いを恐れて自分の意見を言わない傾向にあるのかもしれません。本当は、もっと臆せずに自分はこういうのを描いたんだって言っていいんだと思いますし、自分が好きなことや、他愛もない日常に、モチーフは転がっているはずです。

私は、震災を経験したからこそ、かけがえのない日常に目を向けながら、今後も作品を作り続けたいなと思っています。2020年は、福島だけでなく、栃木県内でもワークショップを行う予定ですし、個展も行っていきます。また、呼んでくださることがあれば福島の子どもたちと一緒に制作したいですね。

 

プロフィール 三浦 麻梨乃(みうら・まりの)
1981年福島県福島市生まれ。銅版画家。小動物の姿に人間の営みを重ね小さな命の物語を描く。蛙をモチーフに「童心にかえる」気持ちを表現する事が多い。大学卒業後、南会津地方の中学校で美術の非常勤講師、福島県立美術館で監視員を務め、栃木県の文星芸術大学の研究室助手を経て独立。毎年福島県をはじめ国内各地、海外のギャラリーや美術館で作品を発表し受注制作、美術館のワークショップ講師を仕事にしている。2006年から福島県ゆかりの版画家で構成される「版で発信する作家たち展」に参加。福島県再生をテーマにした三部作を2012年に須賀川市のCCGA現代グラフィックアートセンターで開催された企画展「AFTER3.11」に出品。その後も同作品を広島、新潟、栃木、横浜、千葉、東京の展示会に出品。

 

INTERVIEW

INTERVIEW

國盛 麻衣佳 |美術家

アートプロジェクトの源流としての炭鉱

2016年より、いわき市で石炭を使ったアートワークショップが開かれています。作家として参加しているのが、福岡県を中心に作家・リサーチャーとして活動する國盛麻衣佳さんです。「現代のアートプロジェクトの源流が炭鉱にあった」と語る國盛さんに話を伺うと、福島県浜通りにあった常磐炭鉱と、世界の文化的潮流が混じり合う潮目がうっすらと見えてきました。

-今回は取材を引き受けて頂きありがとうございます。まず、國盛さんがいわきに関わりを持ったきっかけからお話いただけますか?

2016年に、いわきのNPOワンダーグラウンドさんから声をかけてもらって、最初のワークショップを開催させてもらいました。いわきに初めて行ったのは2012年です。常磐炭田史研究会からお声がけいただいて、その時はまだ軽い視察のような形でした。その後、2015年に「文化資源学会」の視察でいわきを訪ねました。その時に、ワンダーグラウンドの会田さんに出会い、現在のような関係が続いています。

いわきでは、いわき産、北海道産、福岡産の石炭・石炭灰・赤ズリを粉砕したものを絵の具にして似顔絵を描くワークショップをやったり、参加者と一緒に炭鉱遺産を歩いてルートマップを考えたり、活用アイデアや課題を見つけるプログラムを行ったりと、数年間にわたって活動させてもらっています。2007年に炭鉱に関わり始めて以来、北海道や筑豊には入っていましたが常磐はしばらく経ってからでした。いつか行ってみたいなと思っていたので、とてもありがたい話です。

いわきには、炭鉱だけではない産業がたくさんあって、炭鉱の歴史とか魅力というのはいわきの魅力の一部なんだなと思います。例えば北海道は、炭鉱がなくなったら街自体が失われるという状況がありました。夕張メロンも名産だけれど、炭鉱産業から十分転換できているとは言い難く、町がなくなって森に還っていく地域もあります。

そういうのを見ると、いわきはまた違うなと思います。山口の宇部も産業転換していますが、それは工場町としての活気と魅力です。漁業もあれば農業もあり、工場地帯もあるけれど観光業も盛んという、複数の要素が魅力を作っているのがいわきだと感じています。

福島県内でも開催されたコールペイントワークショップでの國盛さん

-いわきでは作家としてワークショップに参加されるだけでなく、リサーチャーとしての立場から講演やまち歩きの企画もありました。國盛さんから見て、炭鉱の面白さとはどこにあるのでしょうか。

炭鉱をテーマとし始めた頃は美術の制作をしていたのですが、ずっとひとつの疑問がありました。極端に言えば、石炭を掘り出すためだけにできた場所に、なぜ文化が生まれて普及したのか、ということです。古い城下町などではなく、炭を掘るための場所なのに、なぜ文化や音楽や芸術が生まれていったのか、それがどのように形作られていったのかを知りたいと思うようになりました。現在は、作家活動というより歴史の検証や調査が多くなり、今年1月7日にはそれらをまとめた『炭鉱と美術』(九州大学出版)という本も出版されました。

本を書くために色々調べてみて興味深かったのは、衰退する炭鉱町から今日的なアートプロジェクトの先駆けになるような事例がいくつも出ていることです。例えば、1961年から山口県宇部市で開催されている日本初の大規模な野外彫刻展「現代日本彫刻展(現UBEビエンナーレ)」がそうです。コンペ型の企画なのですが、地域の衰退を食い止めようと、まちなかに大規模な野外彫刻展という形で作品を展示する国内では初めての事例となりました。

また、国際的に活躍する芸術家の川俣正は1996年から福岡県田川市で「コールマイン田川」というプロジェクトを10年というロングスパンで開催しています。現在ではありふれた言葉になっている「アートプロジェクト」という言葉や表現形式も、川俣正らによって普及してゆきました。

北海道でも、1992年から彫刻家の安田侃らによって、廃校を芸術文化交流施設「アルテピアッツァ美唄」にするという取り組みが行われてきました。アートによる公的な廃校の再生としては、国内でも最も初期の事例です。まちなかへの展示、市民参加、廃校利用など、全国で行われているアートプロジェクトの動きが、筑豊や、宇部や北海道といったいろいろな旧産炭地を起点に行われていたわけです。

なぜそうなったのかと言えば、大きな社会問題をその都度抱えていたのが炭鉱町だったからだと考えています。1950年代に福岡市を中心に隆盛した美術集団「九州派」たちのパフォーマンスは、当時の労働争議に影響を受けていて、その一つに戦後最大の三池争議がありました。宇部の彫刻展も、地域が衰退し環境が悪化するという課題を克服するべく行われた側面があります。

炭鉱というのは、近代の社会的課題が凝縮され、象徴的に現れる場所でもあり、だからこそそれらに対する克服を試みるするような先駆的な表現が生まれていったのだと思います。

猪苗代町、はじまりの美術館では、子どもたちにもわかりやすくレクチャーいただいた

-炭鉱に現代美術のひとつの大きな流れがあったというのは、本当に面白いお話ですね。いわきにも共通することがたくさんありそうです。もともと炭鉱に関わりを持ったのはどのような経緯があったんですか?

炭鉱に関わり始めたのは、2007年の頃でした。地元の三池炭鉱が閉山して10年程経ってから制作のテーマとなりました。地元では応援してくれる人もいる反面、風当たりも強かったです。そこで、どうやら炭鉱というのは自分一人が興味を持ったところで勝手に触れたり触ったりできるテーマではないと気付き、他に炭鉱をテーマとしている美術表現を探すようになりました。何十年も前から、様々な表現者たちの動きがあったことを知りました。次第に、炭鉱の歴史と現在アートの関わりについて興味を持つようになったんです。

それから数年にわたって研究を続けてきましたが、強く思うのは、炭鉱は扱うテーマがとても多いということ。面白いけれど、範囲も広いし、深いし、扱いが難しいものもあります。労働がテーマになる人もいれば、ジェンダーを研究対象にする人、囚人の歴史を研究する人もいます。とにかく研究対象、テーマが多様なんです。

衰退する炭鉱町が今後存続していくための鍵となるのは、いかに地域の外の人との関わりを増やしていけるか、ということだと考えています。炭鉱の歴史は郷土史ですが、いかにして様々な角度から普遍的な歴史としていくか。幸い、産炭地には欧米や韓国はじめ世界各地からも研究者などが訪れます。そういう外部の担い手によっても歴史の検証や保存の機運をサポートしてもらわないと、地元だけでは手に負えません。いかにして興味を持ってくれている人々に地域を開いていくか、外からの関わりを増やすか、それを考えることが地域の存続に関わります。

海外にも間口を開いていくためには、一次資料にあたることができるようなデジタルアーカイブを作ることも大切です。最近では、資料の面白さや保存の必要性から、作家活動というよりも調査やアーカイブがメインになっているのですが・・・。一次資料に触れられる環境にいるわけですから、とても面白いしやりがいも感じてはいますが、これを最終的にどう表現に結びつけるかも考えていかないと、と思っています。

いわき市の炭鉱遺構。どのように活用できるだろうか

-作家としての活動が、次第に調査やアーカイブになっているというのが面白いですね。いわきでも、実在する元炭鉱夫が高齢化してきていたり、歴史の保存のギリギリのタイミングになってきていると感じます。けれども、炭鉱町のリサーチには、独特の難しさがありませんか? いわきでも、有志たちがアートプロジェクトのためにリサーチに入っていますが、なかなか一筋縄ではいかないと聞いています。

私の場合は、ひいおじいちゃん、おじいちゃん、おばあちゃんが炭鉱関係の仕事に勤めていました。炭鉱の発展や衰退の中で形成された人間関係もあったと思います。三池では、戦後最大の労働争議「三池争議」がありましたので、組合の分裂もありましたし、あの人はよそに出て行ったとか、あの人は残ったとか、職種や、賠償問題や、出身地だとか、いろいろな階層や差異や分断があったようです。

閉山して、当事者が少なくなっていく中で歴史を継承する必要がある一方、さまざまな分断や人間関係を想起し返すようなことはしたくない、という心情も一方であるようです。
私の家族親戚の中でも、炭鉱の話題は全盛期の頃や、ひいおじいちゃんの職場の待遇が良くなった以降の話が多かったです。それ以前の苦しい時代や苦い記憶といったものは語られていないです。自分はそのルーツも知ってみたいが、そこになかなかたどり着けない。そんな難しさがありました。

私自身は、長らく地元が好きではありませんでした。日々寂れていく街で生きていくのかとネガティブな気持ちになってました。でも、炭鉱にまつわる家族のルーツを知ることによって、とてもしっくりきたのを覚えています。アイデンティティを得た瞬間、というか。やっぱり地域の歴史を知ることって必要なんですね。そういう体験があったので、まずは石炭に触れられる場所から作ろうということで、石炭を使った絵画のワークショップを始めたんです。

-そんな難しさがあったんですね。そのような困難さがありながらも関わり続けるのは、やはり魅力や文化的な価値があるからですよね。今後の展望を教えていただけますか?

いま関心があるのが、炭鉱から生まれた美術以外の文化も視野に入れることです。当時の機関紙や同人誌を集めたり、当時を知る人に話を聞きに行ったりしています。もらった資料は地道にスキャンして、リストも作っていつか公開できるようにしています。炭鉱労働者というとものすごく単純なイメージを持たれがちですが、労働が終わった後に、音楽が好きな人がジャズバンドを組んでいたり、オーケストラに入っていたり、俳句を読んだりカメラを撮ったり、スポーツをしたりと、ものすごく豊かな文化があった。まだまだフォーカスされてない文化活動にも、今日の文化を知るためのヒントがあると感じています。

また、文化活動の他にも、産炭地特有の精神性というものにも関心を持っています。地方の炭鉱町に多様性や寛容性が生まれた背景には、さまざまな出自や事情を持つ人たちの著しい流入出と、公私共にある共同体としての暮らしがあったからでした。炭鉱町での暮らしはプライバシーもないので、いろいろなものを割り切って寛容し、受け入れて暮らさなければいけなかったからかもしれません。そういうコミュニティのあり方、精神のあり方は、あらゆるところで分断が叫ばれる現代にも参照すべきところがあるような気がします。

茨城県内の常磐炭田の遺構は、次々にメガソーラーへと姿を変えている

-そうですね、大変示唆に富む話です。炭鉱的な関わり合い、いわきでも「一山一家」なんて言われていますが、現代にも必要なコミュニティのあり方ですね。

もうひとつ興味があるのが、旧産炭地に関する世界的な動きです。1990年代の後半からヨーロッパを中心に「クリエイティブシティ」という動きが活発になりました。芸術文化や創造的な産業によって都市の再生を促そうというもので、その走りの一つに、イギリスやドイツの炭鉱町があります。それらが隆盛して約20年になるので、創造都市の検証も可能となるでしょう。私自身も、この功罪について調べてみたいと思っています。炭鉱の歴史にもつながりますし、日本のアートプロジェクトをいかに持続可能なものにしていけるのかのヒントになるような気がしています。

最近、日本の各地で「シビックプライド」という言葉をよく耳にしますが、この言葉も19世紀のイギリスの炭鉱町から生まれたと言われています。当時、イギリスで産業革命が起き、農村からたくさん人が石炭産業に集まってきました。その時、どうやったら縁もゆかりもなかった人が、新しい街に愛着を持ってもらえるだろうかを考え、様々な文化政策が行われました。

今は、自分たちの故郷やルーツに対する誇りとして使われる言葉ですが、当時は、外から移住した人々に愛着を持ってもらうための政策、つまり逆の意味の言葉だったんです。そういうところにも地域づくり、アートプロジェクトとの関連やヒントがある気がしています。

炭鉱というテーマは早々に終わらせたいと思っていたのに、調べれば調べるほど深みにはまってしまい、今もリサーチやアーカイブが続いています。今後は検証に加えて、再び作家としても美術活動を続けていきたいと思っています。いわきにもぜひまた伺えたらと思っています。常磐炭鉱にまつわる話も、ぜひ教えてください。

 

プロフィール 國盛麻衣佳(くにもり・まいか)
福岡県大牟田市生まれ。女子美術大学美術学科洋画卒、東京芸術大学大学院修士課程美術研究科壁画専攻卒、九州大学大学院芸術工学府環境・遺産デザインコース卒、博士(芸術工学)。炭鉱をテーマとし、国内外の炭鉱町から石炭や石炭灰などを収集して顔料にし、作品制作やワークショップを行っている。また、炭鉱から生まれた美術に関する研究も行なっている。2020年に『炭鉱と美術―旧産炭地における美術活動の変遷―』(九州大学出版社)を出版。

 

EVENTS

 

なんの変哲もない公民館が、アトリエに変わると聞くとなぜかワクワクしませんか? 公民館を「アトリエしょうわのこども」に変え、アーティストと子どもたちが交流しながら作品を作るワークショップが福島県昭和村の公民館で行われます。

アーティスト講師は小池アミイゴさん。長年イラストレーターとして活動している傍ら、日本全国を巡りながら、絵のワークショップを開催、地方発信のムーブメントをサポートしています。

「アトリエしょうわのこども」は、去年に引き続きの開催。子どもたちと小池アミイゴさんの交わりからどのような作品が生まれてくるのでしょうか。

 

 

【プログラム詳細】

昭和のこども×小池アミイゴワークショップ
アトリエしょうわのこども

◎講師
小池アミイゴ氏
群馬県生まれ。長澤節主催のセツモードセミナーで絵と生き方を学ぶ。フリーのイラストレーターとして1988年から活動スタート。 書籍や雑誌、広告等の仕事に加え、クラムボンのアートワークなど音楽家との仕事多数。2000年以降は大阪や福岡や沖縄を始め日本各地を巡り、地方発信のムーブメントをサポート。より小さな場所で唄を手渡すようなLIVEイベントや絵のワークショップを重ねる。

◎開催日時
2月4日・5日・6日・7日・9日・27日・28日
会場は昭和村公民館(5・9日以外の日程)・からむし工芸博物館(5日)・すみれ荘(9日)。

◎お問い合わせ
昭和村役場保健福祉課 菅家
TEL:0241-57-2645

主催:福島県文化振興課、東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)
事業委託者:特定非営利活動法人Wunder ground
共催:昭和村
協力:からむし工芸博物館
企画運営:福島県立博物館、江畑芳(アーティスト)

EVENTS

 

福島県立美術館にて、「おとなりアーティストー学校連携共同ワークショップ作品展」と銘打ち、福島県出身のアーティストと幼稚園・小学校・中学校・高校の子どもたちが共に制作した作品が展示されます。

「おとなりアーティストー学校連携共同ワークショップ」とは、福島県出身のアーティストが学校に訪れ、子どもたちと交流しながら一緒に制作を楽しみ、「つくる喜び」を共に体験するプログラムです。今年度のワークショップは、銅板画家の三浦麻梨乃さんと、画家の坂内直美さんのアーティスト二人が県内各地の小中高・幼稚園を回って行われました。

2人の作家と、子どもたちが出会った時、どのような個性豊かな作品が生まれるのでしょうか。会期は1月25日(土)から2月2日(日)までの約1週間、入場は無料です。ぜひ福島県立美術館にてご覧ください。

 

 

【プログラム詳細】

おとなりアーティスト
学校連携共同ワークショップ参加校作品展

福島県出身のアーティストを講師に招き、各学校でワークショップを開催しました。アーティスト二人と子どもたちから生まれた作品をご覧いただけます。

◎参加アーティストと参加校
▶︎三浦麻梨乃氏(銅板画家)
・郡山市立御館中学校2年生
・福島市教育委員会教育研修課(ふれあい教室)
▶︎坂内直美氏(画家)
・川俣町立富田幼稚園(5歳児)
・二本松市立渋川小学校3年生
・会津若松市立第一中学校美術部
・会津若松市立第二中学校美術部
・福島県立相馬東高等学校美術部

◎開催日時・概要
日 程:2020年1月25日(土)〜2月2日(日)*1月27日は休館
会館日時:9:30~17:00(入館16:30まで)
入 場:無料
会 場:福島県立美術館(〒960-8003 福島県福島市 森合西養山1)
アクセス
・福島交通飯坂線「美術館図書館前」駅から徒歩3分
・東北自動車道「福島飯坂IC」から車で約15分

◎お問い合わせ
福島県立美術館
TEL:024-531-5511

EVENTS

 

例年福島県各地で開催し、お子様連れを中心に好評を博している「アートで広げるみんなの元気プロジェクト」。今年度は、福島県桑折町と楢葉町にて初開催となります! 参加できるアートワークショップは2種類。石炭絵の具を使ったコールペイントワークショップと放散虫の絵を描くワークショップ。1時間程度のワークショップなので、どちらともに参加することも可能ですよ。お子さまから大人の方まで、ぜひお越しくださいませ!

 

桑折会場のチラシ
楢葉会場のチラシ

 

【プログラム詳細】

ワークショップ①
「コールペイントワークショップ」

石炭・石炭灰から作られたえのぐ「COAL PAINT」を使って、自分の姿や似顔絵を描いてみませんか。絵が苦手でも大丈夫!「いま、この地に住む私たち」を見つめてみましょう。

◎講師
国盛 麻衣佳氏
「炭鉱と芸術」をテーマとし、旧産炭地で生まれた文化の再評価を、美術活動と研究の両方から行なっている。国内外の各旧産炭地から得た石炭・石炭灰などを素材にした画材を用い、作品制作やアートワークショップを行なっている。

ワークショップ②
ミクロの化石からアートへ 〜太古の会津を感じてみよう〜

恐竜が生きた時代よりもはるか昔から、海の中で生きつづけている プランクトンである放散虫(ほうさんちゅう)というミクロな生き 物たちがいます。色はとうめいで、たくさんのトゲとかたいホネを もっていて、そのかたいホネは美しい化石になります。放散虫の化 石は、はるか昔は海だった浜通りでもたくさん発見されています。その化石をモチーフに作品を制作するアーティ ストの君平さんといっしょに、浜通りの放散虫の化石をス ケッチしてアートにチャレンジします。ミクロの化石の魅力から太古の浜通りを感じてみましょう。

◎講師
君平(Kumpei)(アーティスト)
1974年生まれ。成安造形大学立体造形クラス卒業、2001年筑波大学 大学院修士課程総合造形分野修了。現在、成安造形大学美術領域主任・准教授。「鉄を通して見えてくるもの」をテーマに美術家として活動しています。近年は、溶接機とクレヨンを使った平面作品や、自然物をモチーフにした鉄の彫刻作品に取り組んでいます。

 

◎会場と日時
●桑折会場
▶︎日 程:2020年2月8日(土)  14:00~17:00
▶︎定 員:20名
▶︎参加費:無料
▶︎会 場:桑折町民研修センター うぶかの郷(〒969-1641 福島県伊達郡桑折町大字南半田川端22)
▶︎アクセス
・JR東北本線「桑折」駅からタクシーで約5分
・東北自動車道「国見」ICから車で約10分
▶︎申し込み・お問い合わせ
・桑折町民研修センター うぶかの郷
TEL:024-582-4500 FAX:024-582-4600
・特定非営利法人Wunderground(担当:阿部)
TEL:090-2997-1849 FAX:0246-23-6566
EMAIL:lift047@gmail.com

●楢葉会場
▶︎日 程:2020年2月9日(日)  13:00~16:00
▶︎定 員:20名
▶︎参加費:無料
▶︎会 場:みんなの交流館ならはCANvas(〒979-0604 福島県双葉郡楢葉町大字北田字中満260)
▶︎アクセス
・JR常磐線「竜田」駅から徒歩で約20分
・常磐自動車道「ならはスマート」ICから車で約5分
▶︎申し込み・お問い合わせ
・みんなの交流館ならはCANvas
TEL:0240-25-5670
・特定非営利法人Wunderground(担当:阿部)
TEL:090-2997-1849 FAX:0246-23-6566
EMAIL:lift047@gmail.com

主 催:福島県 事業受託者:特定非営利活動法人Wunder ground
後 援:一般社団法人ならはみらい(楢葉開催のみ)

EVENTSINFO

 

伝統文化を体験する2日間と称して、2月13日(木)に伝統の和紙づくりを体験するツアーと、2月18日(火)には手作りした和紙を使って書道教室が開催されます。どちらも和紙製造の専門家や書道家が講師として同行するなど、質の高い体験もできる2日間となるでしょう。会津発着のコースとなっています。

和紙づくりの舞台は、西会津。かつて西会津町下谷地区出ヶ原(いずがはら)で生産されていた「出ヶ原和紙」。旧会津藩の御用紙として、公文書や障子紙などにも使われていました。その伝統は後継者不足などで途切れそうになるものの、今回の講師でもある滝澤さんが出ヶ原和紙再生に向けて活動されています。

そんな伝統ある和紙づくりを、材料づくりから紙漉きまでを体験します。そして、その作った和紙に、「旅する書道家」千葉清藍さんの指導の元文字をしたためる書道教室。自分が作った和紙に文字を書く体験はなかなかできません。ぜひ参加してみませんか?

 

 

【プログラム詳細】

伝統文化を体験する2日間
「西会津 和紙づくりツアー&書道教室」

暮らす町や人、そして故郷の記憶とのつながりを深める2日間の文化体験プログラム。西会津で伝統の「和紙」作りに挑戦。手作りした和紙に、筆で思いをしたためましょう。

◎講師
滝澤 徹也氏
東京都出身。東京造形大学造形学部美術学科絵画専攻版表現卒業。2009年「小川和紙」の技術継承者育成事業を修了後、東京都無形文化財「軍道紙」の再生に関わる。現在は西会津町を拠点に会津藩御用紙「出ヶ原和紙」の復元・再生に取り組んでいる。伝統的な手漉和紙の研究、製造を行う一方、場の歴史や自然と人間のものづくりの営みの関係をテーマに、日本のみならずインド・ノルウェー・リトアニア・ハワイなど各地で滞在しながら絵画や紙を媒介とした制作・展示を行なっている。

千葉 清藍氏(旅する書道家)
東京都出身。福島県在住。国内外で活動する「旅する書道家」。2000年に福島に移住後、2010年「福島県全58全市町村」、2012年「会津三十三観音めぐり書道の旅」を実施。また仮設住宅でワークショップを行う。2013年よりアメリカでの活動を開始。大学・領事館等でのパフォーマンスやレクチャーを行う。2016年には初の海外個展をアメリカ・シカゴで開催。2018年香港・イギリス・フランスで開催された福島県農産物PRイベントに同行。現在、福島県大沼郡三島町宮下地区での活動を継続中。

◎開催日時・概要
伝統文化体験プログラム1 西会津 和紙づくりツアー
西会津までのバスツアー! 材料づくりから紙漉きまで、本物の「和紙」作りを体験
日 程:令和2年2月13日(木)(10:30~17:00)
集 合:年貢町団地1号棟駐車場(会津若松市門田町大字年貢町地内)
会 場:和紙づくり体験:出ケ原和紙工房 昼食/温泉:ロータスイン
講 師:滝澤 徹也氏
伝統文化体験プログラム2 書道教室
手作りした和紙に、おもいおもいの文字を筆でしたためましょう
日 程:令和2年2月18日(火)(10:00~11:30)
会 場:年貢町団地1号棟集会所(会津若松市門田町大字年貢町地内)
講 師:千葉 清藍氏

参加費:無料
定 員:20名(事前申し込み制)
対 象:どなたでも参加いただけますが、プログラムに2日間ともご参加いただける方に限ります。未就学児の方は保護者同伴でご参加ください。
応募締切:2月2日(日)

◎申し込み
メールにて、「お名前(ふりがな)」、「年齢」、「参加人数」、「住所」、「電話番号」、「メールアドレス」をお書きの上、以下のアドレスにご送信ください。
特定非営利活動法人Wunder ground(担当:阿部) lift047@gmail.com

◎お問い合わせ
特定非営利法人みんぷく(担当:長谷川)
TEL:080-92522-4021
E-MAIL:yoshikazu.hasegawa@minpuku.net
主 催:福島県、東京都、公益財団法人東京都歴史文化財団 アーツカウンシル東京
事業委託者:特定非営利活動法人Wunder ground(担当:阿部)

 

INTERVIEW

INTERVIEW

鈴木 美佐子 |工房おりをり 主宰/福島市民家園手織りの会会長

織物の文化を世界に、そして暮らしに

福島市の中心部から車で30分ほど。自然豊かな飯坂地区の片隅に、先人たちの知恵を次世代に引き継ごうという「工房おりをり」があります。工房を主宰する鈴木美佐子さんは、福島県内に伝わる「織物」の、その養蚕から加工までを一貫して守り伝える活動を続けています。活動に秘められた思いを伺ってきました。

-先日まで、イタリアに行かれていたそうですね? 帰国したばかりのタイミングで取材に押しかけてしまい申し訳ありませんでした。今日はよろしくお願いします。

今回はイタリアのシチリアに行ってきました。現地の2つの大学で、福島の織物の話をしたりしてきたんです。シチリアは島のなかに7つもの世界遺産がある島です。漁業が盛んな島だから、網の技術が今も伝わっていますし、伝統的な織物の柄の中には「魚の骨」だとか「魚の目」があったり、「麦畑が風で揺れる様」があったりと、その土地の自然の風景が織物の柄になっていることが改めて確認できました。そういうものが継承されて、今の産業につながっているんですね。

それと同じように、福島という地域の中に残っているもののルーツを調べて、ちゃんとした形で残していくのが大事だということも改めて考えました。福島県にも、全国でも貴重な弓棚式高機(ゆみだなしきたかばた)や、時代としては最も古い地機(じばた)、織物でも八ツ橋織りなど昔から伝わる貴重な組織織りがあります。

福島市民家園手織りの会が保存と継承に取り組んでいるのですが、顧問をして下さっている佐藤和子さんが復元したものがあります。佐藤和子さんは、手書きの図で織り方を記した「織り方手引書」の収集・研究をしてきた方で、私たちが先生と仰ぐ方です。

この額を見てみてください(写真・下)。これは、慶応2年に作られた織物手帳を佐藤さんが解読して、それをもとに私たちが織ったものです。こんなに多くの柄があって、全てネーミングが異なるんです。これは宝物ですね。地元の福島に、世界に誇れるこういう文化があったわけですから。私たちは、こういう文化を伝えるために、織物を経験している会員で日々勉強し、活動しています。

海外に行くと、震災や原発事故のイメージが強く残ってしまっている国も多いようですね。今回も、シチリアの方に「原発事故から8年が経って、福島県に暮らす人たちも落ち着いてきていますよ」と伝えると、「それは政府から言わされているんじゃないか」と一人の学生から言われました。でも、本音を言ってくれてよかったと思いますし、そのあとに、じゃあどうして今日は参加したのと聞くと、自分たちが知らない素材、絹というものに興味があるんだと彼らは答えるんですね。

佐藤和子さんが解読した織物手帳を再現したもの。多様な柄、多様な織り方があったことがわかる
ひとつひとつの質問に丁寧に答えてくださった美佐子さん

-原発事故の負のイメージを、伝統産業が超えていく。そこが対話のチャンネルになるというのは興味深い話です。原発事故は、海外の人たちだけでなく、県内に暮らす人たちにとっても、地域が何によって成り立っていたのかを考える、大きな契機になりましたね。

原発事故が起きて、草木染も絹もダメなのかなと思った時に、自分のやるべきことは何だろうと考えました。それは、時間をかけて技術を残すことじゃないかと。川俣には1200年の歴史を持つ絹織物技術があります。保原にも400年の真綿の技術があります。川俣や飯野、二本松では今なお養蚕が行われています。福島の中で最初から最後まで完結できるのは世界的に見てもすごいことなんです。

ただ、各地で技術はあるけれど「製糸」が途絶えてしまいました。だからここで糸つむぎをやったらどうだろうと、原発事故の年に仲間たち4人に声をかけて、糸つむぎを始めました。「工房おりをり」自体はスタートして19年になります。今では、織物だけではなく、ワークショップをやったり、地域づくりに関わる大学生を受け入れたり、様々な活動をするようになりました。

それから今は、織ることだけではなく、養蚕からプロジェクトを始めています。東北で1軒しか残っていない伊達市の富田蚕種製造所から蚕種(蚕の卵)を頂いてそこから始めるんです。普通は卵から2齢まで育てられて、それが養蚕農家に届いてから始まるんですが、昨年は卵から始めました。やってみて分かることがたくさんありますね。やってみて初めて人に伝えられるんだなと思います。

養蚕はシルクロードを通じてヨーロッパにも伝わりましたが、昔、フランスで蚕の微粒子病が流行ったとき、梁川や保原の蚕がフランスの養蚕を救ったという歴史があります。フランスのリヨンにある織物装飾芸術博物館には、その時の蚕卵紙(蚕の卵が産み付けられた紙)が展示されていて梁川と記されているそうです。今回シチリアに行った時に絶対に行きたいと思っていたんですが、行けずじまいでした。機会があれば行きたいと思っています。

技術継承については、これまでも常に意識してやってきました。けれど、正直、養蚕に対してはそこまでの意識はなかったんです。意識が変わったのは原発事故があってからです。福島に残さなければいけないものってなんなんだろうって思った時に、やっぱり織物、養蚕、真綿、ここかなと。

以前、映画監督の熊谷友幸さんがこの工房にいらっしゃった時、「世界でも蚕種から織物までひとつの県で完結できるのは福島しかないんだ」と知らされて、それもきっかけになって、福島に残されたものをしっかりと守り伝えていかなければならないと思うようになりました。それが今の活動につながっています。

織物の機械がごくごく自然に置かれている工房。温もりと静謐さが同居している

-プロセスを1から辿るのは本当に根気のいる仕事ですね。ましてや、技術を若い世代に伝えるには、いろいろなツールも使って、自分たちで情報発信しなければなりませんし。

そうですね。今の時代は情報発信の時代でしょう? それに追いつけなくて精一杯です。写真を撮ったりイベントの情報をSNSに書き込んだりね。その時間を制作に充てられたらどれだけいいかと思いますよ。今は共感してくれている人たちが一緒に動いてくれているからいいけれど、課題は、それをしっかり形に残していくことです。

先人たちに恩返しをしなくてはという思いが強いですね。もう10年もしたら、技術を学ばせてもらう方もお亡くなりになるかも知れません。私だってどうなるかわからない。技術を伝えるには、私が学ぶところから始めなくてはいけませんから。だから焦る気持ちもすごくあるんです。糸作りから織物までの技術の継承なんて、全部やるのは欲張りなのかもしれないけれど、まずは自分がやってみてその大変さを知るところからやっていきたいと思います。

若い人たちが少しでも興味を持ってやってくれたら、少しは発信などもうまく行くのかもしれません。この部屋に泊まり込んで行く学生も多くいますよ。「帰りたくない」なんて言って、ずっと日向ぼっこしてたり。そういう学生の中からインターン生がやって来てくれたらいいなと思っています。私の生活も含めて、織物の隅から隅までを見せたいですね。その時間は惜しまないつもりです。

でも、私だってまだまだ勉強中の身。さっき紹介した佐藤和子先生と比べたら技術も知識もまだまだ足りていません。織物って本当に奥が深い。深すぎるほど深いと思います。

美佐子さんたちが商品開発した洗顔クロス「mawata bijin」
工房に置かれているあらゆるものが「手仕事」の賜物だ

-織物の技術だけではなく、染料もまた地域のものが使われたりするものですよね。草木染などはまさにそうですが、里山の豊かな自然が自分の着る服につながっている。そういうことを学べるのは、学生にとっても有意義なはずです。

そう。自然由来の色を身に纏うということはとても贅沢なことじゃないかしら。草木染は、元々は漢方の色で染めていたもので、薬ですから、体の中だけではなく肌も、体の外側も大切にという意味が込められたものとして扱われていました。

今回シチリアに行ったときに、18世紀から続く薬局が保存されていて、植物染めの材料がビンに入って売られているのを見ました。薬局に植物染の染料が売られているのを見ただけで来た甲斐があったと思いましたね。ただのきれいな色、ただの自然の恵み、というわけではなくて、身を守る、健康であるためのものなんだという意識が今も伝えられていた。それは改めて大きな再発見でした。

自然由来というと、じゃあ化学繊維はダメなのかという声も出てきますが、日本は織物技術が優れているので、化学繊維でも、私は用途に合わせて着ればいいと思っています。自然素材は不自由なこともありますからね。大事なことは、今自分が着ているものがどうやってできているのか、その素材はどのようなものなのか、肌に身につけるものですから、その由来をしっかりと理解することではないでしょうか。

講演したときには、参加者に洋服のタグを見てもらうようにしています。自然素材も化学繊維も良し悪しがあります。それに100%自然素材というのはコストもかかります。だからこそ糸から作って織ってできあがったものは粗末にできないわけですよね。昔の人は最後の最後まで「裂き織り」にして、帯にしたり、おんぶ紐にしたりしていました。

織物の研究に余念のない美佐子さん。さらに高み、深みを目指していらっしゃる
イタリアに持参した茜色の着物。これを纏うことは、福島の風景を纏うということだと美佐子さんは言う

-住宅なども、古材が次の新しい家に引き継がれたりしますが、そうやって素材が分解されて次の世代に受け継がれて行くのも自然由来の素材いいところですね。

そうですね。こういう所に住んで、田舎は循環の生活をしているとそう思います。風が吹いて、草木が芽吹いて、畑がある。どれも自然に合わせた時間配分で仕事をするわけですから、ある意味、時間の贅沢をしている。けれど、自然相手の作業ですからのんびりしているわけじゃありません。作業も自然とともに循環しているのかなと思います。これが人間の原点かもしれませんね。

-ここで話を伺っていると、確かにその循環を感じることができますね。そういうなかで、かつての暮らしの有り様を想像してみたり、昔の人たちと同じものを作ってみる。その経験は、今の実生活にもきっと生かされると思います。

若い人たちだからこそ、自然な驚きをもって織物や養蚕と向き合ってくれるかもしれませんね。だから一層、閉じた世界の中だけでなく、色々な人たちと連携していかなければならないのかもしれません。自分が種から織物まで一人でやって気が付いたことは、養蚕の人も織物の人も、お互いの顔が見えていないということでした。一緒の産業に取り組んでいるという意識が薄いんです。

これを繋げられたらいいかなと、「ふくしま絹の道」というイベントを企画したり、異なる業種が連携する取り組みをやってみました。今後は1年おき、3年おきくらいで続けていければいいなと思っています。と同時に、それぞれの仕事の後継者がいないという問題もあります。事業継続の取り組みも、どんどん輪が広がればいいなと思っています。

そういうことを継続しながら、自然に「福島にはこんな豊かな暮らしがあるよ」って、そういうふうに自然に福島のことを伝えていきたいですね。「原発事故のあった福島から来ました」なんてわざわざ言わなくてもいい。私たちが大事にしてきたものを素直に伝えていけばいいと思うんです。

シチリアに、糸から紡いで織った茜染の振袖を持っていきました。茜色の意味は「明日は晴れるね」という夕陽の色。福島の明日も晴れますようにというメッセージを込めました。糸も細くて、この色は17、8回と重ねて仕上げた末の色です。二度とこんな織物はできないだろうと思うくらい根詰めて織りました。これは、福島の風景そのものなんです。

そしてこの織物の中には、養蚕から加工までに関わるすべての人たちの思いも込められています。風景と、人の思いと、文化、全部詰まっている。だから福島について語るときには、これを持っていけば何も言う必要ないなと思って。織物ってそういうものなんです。それを身につけることができるって、やっぱり素晴らしいものだと思いませんか?

 

プロフィール 鈴木美佐子(すずき みさこ)
工房おりをり主宰。福島市民家園手織りの会会長。2001年「工房おりをり」を立ち上げ、2010年に福島県福島市にある古民家を改修して「染織工房おりをり」を主宰。福島の真綿を使い、草木で染め、手で紡ぎ、織る。全ての工程をこの地で完結させることで、技術と伝統を後世に残していきたいと活動を続けている。

 

INTERVIEW

INTERVIEW

志賀 風夏 | 陶芸家、川内村 天山文庫 管理人

蜂の巣を突っつく場づくり

浜通りの中山間部にある川内村。かつて詩人・草野心平が暮らした「天山文庫」は、村のシンボルとして今なお多くの村民、心平のファンたちに愛されています。風夏さんはその管理人を務めながら、陶芸家として、またある時はカフェの店員、地域のプロジェクトのメンバーとして、幅広い活動を続けています。作家でもありアクティビストでもある風夏さんに、地域に必要な「場づくり」とその役割について話を伺ってきました。

取材・構成:小松理虔(ヘキレキ舎)

-先ほど天山文庫を見させて頂きましたが、本当にすばらしいところですね。風夏さんが感じる天山文庫の魅力とは、どのようなものでしょうか。

天山文庫の魅力は、一人の詩人のために村が総出で作ったという、その建てられ方にあると感じています。地方にある文化財というと、その土地の資産家や文豪たちが自ら建てたものが多いのですが、天山文庫は川内の出身でもない心平に居てもらうために村人たちが作ったものです。建具ひとつにも村民の思いが込められている。そんなところに注目してもらいたいですね。

それから、心平は当時の文豪との繋がりが広くありました。天山文庫の発起人には詩人の谷川俊太郎の父である哲学者の谷川鐵三、作家の川端康成が名を連ねていますし、宮沢賢治、中原中也、高村光太郎といった日本を代表する詩人たちとの交流もあって、彼らのファンたちが天山文庫を訪れてくれることも増えてきています。もちろん心平の詩も魅力的ですが、文豪たちとの交流というものも天山文庫の大きな魅力のひとつです。

ですから、私の場合は、心平の詩よりも、そういう心平の人付き合いや、愛され方というか、人との関わりがすばらしくて、こういう建物を村民からプレゼントされる心平さんってどんな人だったんだろうと、そういうところから興味を持ち始めたという感じです。

心平ってとにかく破天荒で、人間としてめちゃくちゃ面白いんですよ。とにかく人が好き。自分が好きな人のためには損得考えないような人です。例えば、宮沢賢治を発掘したのもそうかもしれませんし、自分の本だけでなく、実は高村光太郎や村山槐多らの本も出していたりして、愛した人のために思わず動いてしまう。それがいいですよね。

天山文庫があるのも心平の魅力あってのこと。川内の人って仲良くなるまでにはバリアがすごく強いんですが、そんな川内でこれだけの建物を贈られたわけですから、よほど愛されたのだろうと思います。心平は昭和の終わりに亡くなったので、村の中には心平と会ったことがある方がまだいらっしゃいます。みなさん「あの笑顔が良かったんだ」とおっしゃいます。天山文庫は人と人の関わりの象徴なんだと思います。

かつて心平が暮らした天山文庫。自然が室内に溶け込んでくるようだ
美しい自然に囲まれた天山文庫。訪れたら、じっくりと外を歩いてみてほしい

-もともと天山文庫とはどんな関わりがあったんですか? 

もともと古民家というものにものすごく興味があったんです。私の生まれ育った家も古民家でした。そこで育ってきて思うのは、古民家って使う人がいないとすぐにダメになってしまうということ。人と空気の出入りがないとあっという間に朽ちてしまうし、一旦ダメになってしまうと直すのが難しい。逆にいえば、古民家って人が関わるほど長生きするものだと思うんです。

そういう目線でみると、天山文庫はもっと人が集っていいはずだと感じていましたし、村の職員からも「天山文庫は暗いしジメッとしてて怖い」なんて言われてて、すごく勿体ないなと思ってました。もともと川内生まれですし、以前からいつかは天山文庫で働いてみたいなとは思っていたんです。たまたま前任の方が管理人を辞められて、それで採用につながり、今は、村の嘱託職員というかたちで管理人として働いています。

主な仕事は、お客様に天山文庫を案内することですが、パンフレットを整備したり、SNSの運用を始めたり、発信にも力を入れています。村出身の若い世代が管理人をしているということで注目してくれる方もいて、いろいろな人たちが集まってくれるようになりました。

今では地域づくり系の人たちがきてくれたり、福島大学の授業で天山文庫の場づくりのアイデアを考える授業が生まれたりもしています。あとは、政治家や文化人たちが来村したときに迎賓館のように使われたり、天山文庫を通じて川内の盛り上がりが少しずつ生まれているような気がします。

天山文庫の中には図書館がある。村の「知」が集まる場所だ

-風夏さんがある種「アーティスト・イン・レジデンス」のように、地域をかき回しながら、この場を活性化させている、そういうイメージかもしれませんね。天山文庫以外にも、様々な活動に広がっているようですね。

そうですね、今では地域づくり、コミュニティの再生プロジェクトのようなものにも関わっています。ひとつは、福島大学の天野和彦先生たちと立ち上げた「川内コミュニティ未来プロジェクト」という取り組み。もともとはオルタナティブ教育の場として作られたものですが、今では、川内が好きな人たちが集まって村のプロたちに話を聞きに行って、まずは大人たちが川内の魅力を知ろう的な、ゆるいコミュニティになっています。

今、私が一番やりたいと思っているのは自宅の脇にある古民家の活用です。もともとうちの父が、いわきで壊される予定だったものを買い取り、川内村に移設したものなのですが、昔はコンサートの会場になったり、陶芸の作品を展示するギャラリーとして使われていました。その古民家を、もう一度人の集まる場所にしたいと思ってるんです。

具体的には、川内村に移住してきたり、川内を好きでいてくれる人たちとカフェをやりたいと話しています。川内って、親戚じゃないとお家を貸してくれなかったりとか、住めるかもしれないけどキッチンを自由に使わせてもらえないとか、色々な障害があります。

それに、カフェで独立するのは採算を取るのも難しそうだしハードルが高いですよね。だから、毎日誰かひとりが運営するカフェではなくて、「ちょっとカフェやりたいかも」という人たちが集まって、日替わりで別のスタッフが運営したり、そもそものアイデアを考えるところから使えるような場所を作りたいなと思っています。

カフェって、飲み物や食べ物を楽しむだけではない、いろいろなものと出会う場所ですよね。例えば、両親の器もそうですが、食器だって使ってもらってなんぼというか、口につけてみたり、実際に手に取ってもらわないと、その良さがわかりません。家具や食器や、絵画の作品やお花や、それぞれが思う「いいもの」を持ち寄れるようなカフェできたら面白いですよね。

活動の理念や思想について、風夏さんのアトリエで話を伺った

-商品を提供するだけでなく、そこを人やもの、物語が集まる場所として機能させるというのは、さっき話してくれた天山文庫の話とつながりますね。

そうかもしれません。古民家が使われないということは、そこで起きてきた交流や出会いも喪失してしまうし、そこで送られてきたライフスタイルや、提供されてきた食文化も絶えてしまうということになります。古民家ってその土地の文化の象徴なんだと思うんです。それは天山文庫で働くようになって、より強く感じてきたことでした。

これまでずっと震災復興のあり方を見てきて、新しいものはできるけれど、古くからあるものや生活の知恵みたいなものが失われるスピードが速くなってると感じています。たとえば、草野心平ひとつとっても、心平と仲がよかった人、心平を詳しく知る人が亡くなってしまったり、貴重な話が聞けない時代になってきました。早急にやらないとあれもこれもやばいじゃんと、すごく焦る気持ちがあります。

昔からあるものを継いでいくって、とても面倒じゃないですか。教えて下さいって訪ねて行っても教えてくれるわけじゃない。一から人間関係を作らないといけません。それに、地元の人のほうも「よその人には教えるほどでもない」とか思ってたりしてて、それがまた文化を継いでいくことを難しくしてる。そこに関わりを作っていくことは、川内出身だけど「外もの」の目線もある私のような人間が適任だと思うし、私は、新しいものではなく気づいたらなくなってしまう文化のほうを見ていこうと思っています。

今、多くの地方で、小学校の教育から音楽や美術の時間が削られていると聞きます。川内でも同じで、複数の学校を掛け持ちしてる先生がいたり、専門じゃない先生が音楽や美術を教えているケースもあります。昔私がそうだったように、音楽や美術に関心のある子たちが自分を表現する場が、どんどんなくなってきているんです。体育会系ではない、なんというか「文化部」の代わりになる場所が、地域に求められているような気がします。

自宅兼アトリエの「土志工房」には風夏さんとご両親の作品が展示・販売されている

-川内村出身だからこそ感じる切迫感が風夏さんの背中を押していたんですね。ただ、その切迫感を出せば出すほど、人は関わりにくくなってしまうものですよね。でも、その出会いが「カフェ」だと確かに入りやすいし、想定外の出会いのチャンスが増えますね。美味しい食べ物があれば、それに吸い寄せられる人も多いはずです。

はい。私は最初の入り口を作りたいんです。まず出会う。そのあとは勝手にそれぞれがやればいい。だから私は興味を持つきっかけを作りたいと思っているんです。そこで大事なことは、オタクが喋ることだと思っています。私もそうなんですけど、オタクって好きなことについて聞かれると急にスイッチが入りますよね? 「いや、そこまで詳しい話は大丈夫です」って言われても喋ってしまう。そういう過剰なものこそ私は刺さると思っていて。

だから、自分が愛してるものとか、自分の専門的なこと、川内のことや心平のこと、食事や陶芸、自分の得意なことや興味のあること、そういう自分のなかのオタクらしさを持ち寄れる場所を作りたい。でも、オタクは黙っていたら何も話してくれなくて、こちらから「その話、詳しく聞かせて下さい」って突っつかないと話をしてくれないじゃないですか。だから私の役割は、蜂の巣を突っつくようにオタクたちを刺激することかもしれませんね。

真っ直ぐに伸びる、川内村の農道にて

-蜂の巣の例えはすごくわかりやすいですね! 確かに、それぞれのオタクなものを持ち寄れたら、そこに何より地域性が出てくるはずです。もしかしたら、古民家というのは、地域の色々なオタクたちが集まる「蜂の巣」なのかもしれませんね。

そうですね。天山文庫もオタクが話すとめっちゃ盛り上がりますし、そういう盛り上がりを感じると、やっぱりそれを突っつく人がいなくちゃいけないし、私は一度川内から出て戻ってきた人間なので、村の人に、自分たちの魅力に気づいて欲しいという思いが強いんです。

きれいな田んぼを眺めていると、「なんでそんなに田んぼを眺めてるの」って言われます。「きれいだよ」って返しても「そうなのか」ってそっけない。村の人たちは「こんなところなんもない」っていう人たちが多いし、それは謙遜なのかもしれないけれど、自信を持って続けてもらわなかったら村のいいものがどんどん失われてしまいます。天山文庫だって同じで、放っておいたら朽ち果ててしまうかもしれない。文化全般に言えることだと思います。

なんか、いろいろなことに手を出して、自分がやりたいことも多くて、肩書きもないので「志賀さんって何をしてる人ですか」と不思議がられることもよくありますが、結局、天山文庫で働いていることも、コミュニティに関わったり、カフェをやろうとしていることも、私がやっていることって、一旦は村から出たよそ者として、川内の田んぼってきれいだよっていうことを川内の人たちに伝え続ける、そういうことなんだと思います。

 

プロフィール 志賀 風夏(しが・ふうか)
1994年、川内村生まれ。2012年、福島県立相馬高校時代に大阪芸術大学高校生アートコンペティション受賞。2013年に福島大学人間発達文化学類芸術創造専攻美術学科に入学。また同年に渋谷アツコ・バルーにて個展を開催。2015年には鎌倉市や新宿などで「志賀敏広、風夏合同展」を開催。2017年に川内村に帰村し、現在は天山文庫管理人を務める。

 

INTERVIEW

INTERVIEW

渡辺 仁子 | NPO法人 蓮笑庵くらしの学校 代表

自然を生かすのではなく、生かされる場づくり

船引町の、まるで桃源郷のような里山にある「蓮笑庵」。民画家、渡辺俊明のアトリエだったこの場所は、多くの人たちの心を癒すだけでなく、新たな文化活動を生み出し、人と人をつなげるハブになっています。今回お話を伺ったのは、この場所を主宰するNPO法人「蓮笑庵くらしの学校」の代表、渡辺仁子さん。どのような理念で、場づくりが行われているのでしょうか。

取材・構成:小松理虔(ヘキレキ舎)

-本当に素晴らしい場所ですね。四季が感じられて、自然のなかに芸術作品があって。思わず一息ついて、物思いに耽りたくなるような。

蓮笑庵は、亡くなって今年で14年になる渡辺俊明、私の主人になりますが、その俊明が自分を表現した場所です。主人は「苦労もいい人間を作るけれど、いい思い出がいい大人を作るんだから、みんなで思い出を作る場所にしよう」とよく言っていました。それで大地に絵を描くようにして、里山に小道を作ったり、職人たちと木を植えたり建物を作ったりしてこの場所ができました。俊明にしてみれば蓮笑庵は大地に描いた絵なんです。本人の思いが全部入っている場所なんですね。

ですから、この蓮笑庵は民画家、渡辺俊明が構えたアトリエ、そこに触れたいという変わらぬファンの方が来てくださる場所というのが大きな軸になっています。個人で数名でいらっしゃる方もいれば、この秋も色々な団体がバスをチャーターして4、50人くらいの規模でいらっしゃった方たちもいます。絵を描いている人たちが多いです。

一方で、震災後に始まったものとしては、福島でいろいろなことを学ぼうという人たちが集う場所にもなってきています。地域の文化や歴史、心理学や地域経済学など、震災後の福島で学ぼうという人たちがスタディツアーというかたちでいらっしゃり、ここを学びの場で使ってくれているわけです。ほとんどの皆さんが原発に関連するところを見てきますが、それだけを持ち帰るのではなく、最後にこういう自然豊かな場所で学びをシェアする。そんな場所になってきました。

「この世はご縁をいただきにきたところ」と俊明も書いていますが、新しくやってきた人がまた次のご縁を結んでくれて、いろいろな方が集まるようになってきました。例えば、社会の中で立ち止まって少しリセットしたい方。会社勤めとかに疲れて一旦休暇をとったりとか、退職されたりとか、そういう方がいらっしゃってここに住み込む時もあります。そして、回復して戻っていくという、何か寺みたいな役割も生まれてきているような気もします。

柔和な表情でインタビューにじっくりと答えてくださった仁子さん

-まさにハブのような場所になってきているんですね。

そうですね、まさにハブかもしれません。ここで音楽会を主催をする方もいらっしゃいます。いろいろな国から船がやってきて港になるように、いろいろな人たちがやってきて、自然と集いや宴になっていく。主人は「国籍も宗教も年齢も関係なくいろいろな方が自由に使える寺のような場所になれたらいい」と言っていましたので、その流れになってきたのかもしれません。

それに、主人はとても季節を大事にして、お彼岸、七夕、お月見、そういう季節の催しをとても大事していました。そこで音楽会をしたり朗読会をしたり。以前は自分たちでやってきましたが、今は、ここに来てくださる人が、自分たちで企画して一緒にやりましょうと主催してくれるんです。本当にありがたいと思っています。

先ほどハブとおっしゃって頂きましたが、ここに逗留して、また別の場所で活動するという人たちもいます。友人たちの音楽家たちが、毎年名古屋からやってきて、彼らはそれぞれが独立した音楽家たちですが、ここに来るときだけ「ソレイユ」というチームを組んで福島県内の小学校などを数カ所回ってくれているんです。彼らは他県でも活動していますし、震災から時間が経てば「福島で開催するのは充分じゃないか」ということにもなるのですが、現地の人たちとも関わりができたからと続けて訪問してくださっています。

ここが起点になって、ハブになっていろいろな出会い、ご縁が生まれて、この場所に継続して関わってくださっている。県外の人も国外の人たちも、福島に起きたことは人ごとではない、自分たちも考えなければいけないと。そう思ってずっと継続して関わってくださっています。

以前こんなことがありました。アメリカのカリフォルニアで大きな山火事がありましたね。そこから若い方たちがやってきて、福島はどうやって回復したのか学びたいというんですね。彼らの町は面積の80%が焼けてしまい住宅に使われた建材に含まれる物質で環境が汚染されてしまった。それで、福島の復興を学びたいと。すると、この件ならここを学ぶといい、この場所に行って見たらいいと、次々に目的地が生まれていくんです。本当に、いろいろな船があちらこちらからやってきます。

建物のいたるところに俊明の作品が展示されている

-その大きなきっかけが、福島第一原発の事故だったということですね。

はい。やはり原発事故が大きかったのだと思います。事故当初はボランティアの方たちが集まるようになりました。その流れが大きかったですね。それまでは俊明のファンの方たちが集まっていた。けれど、そこからはボランティアが集まる場所にもなった。より多目的な場になってきたのだと思います。

NPO法人の名前にも「くらしの学校」と入れています。先人たちの暮らし、生き方、季節を感じて人々と交流すること、つながりを作っていくことが大事だというメッセージを込めました。あの当時は本当に心がガサガサして辛かったという方が多かったと思います。でもそんな時期だからこそ、香りやお茶、自然をゆっくり見つめて見ることも大事なんじゃないかと。

以前、ここで勉強会を主催された方がおりました。そこには避難者のリーダーをしていた方が参加して下さいました。被曝の影響を懸念した母子たちを県外へ避難する手助けをされていた方です。もう一方には、地元に残って、この福島で生きるんだと決意して様々な支援を行なっていた人がいました。そんな人たちが一緒に交わる勉強会をガチンコでやったわけです。でも、いきなりこの場所で議論するのではなくて、まずは自分が気に入った場所で好きなように時間を使っていいということになりました。

避難者のリーダーの方も、この建物の外に出て水の流れる音を聞いたりしていました。あとから聞いてみたら「こんなところで何をしてるんだ、もっと支援が必要な人がいるはずだと思ったけど、こんなふうに過ごす時間を忘れていたかもしれない」とおっしゃっていました。私は私で、彼らの原発事故に対する怒りを聞いて、ああ、私ももっと怒ってもよかったんだと気づかされたんです。

分断していたけれど、ここに集まり、自然や芸術とともに時間を過ごしたことで、そういう現象が生まれたんだと思います。自分でも不思議なくらいでした。立場や意見は異なっても同じテーブルにつくことができる。これは場の力なんだと思うんです。一度、自然から感性を刺激されて、そこから学ばされるのがいいのかもしれません。主人もよく言っていました。人は、人から学ぶだけでなくて、自然からもたくさんのことを学べるんだと。

俊明の作品には、その土地の草花や神仏が描かれている
草木の揺れる音を聞きながら、仁子さんとの対話が続いた

-それは大変すばらしいエピソードですね。文化や芸術、自然の持つ力だけでなく、人間はそういうものから力を得て、変わることができるという希望に満ちていると思います。

そうです。芸術や自然には、人の感性を深くする力があるんだと思うんです。けれども、もっと大事なのは、それを受け取れる力がなければいけないということ。自然はそこにあっても、そこから受け取れる力、感性がなければ学ぶことができないわけですから。だからこそ、私たちは「くらしの学校」と名付けました。自然から学ぶことができる、その感性こそを深めようと。

今は技術によってなんでもできる時代になってしまったけれど、こういう時代だからこそ、立ち止まって、自然から大切なことを受け取ることができる感性を大事にしなければいけないと思います。蓮笑庵は、その感性を取り戻し、学ぼうというさまざまな人たちと一緒に歩いて行く場所でありたいですね。

-確かにそうですね。より快適に、より便利に、より経済的に、という考えの延長線上に原発事故もある気がします。

そうですね、そういう社会では、要らないもの、捨てられてしまうもの、ボロボロのものは相手にされないかもしれない。けれども、そういうものを人は大事に生かすことだってできるんです。そういう体験や思い出がないだけで、人が集まればまた別の力が生まれるはずです。今、この里山の裏手にある古民家の再生プロジェクトが動いています。そのプロジェクトで、生かすのでなく生かされることの大事さを噛み締めています。

今は「雀のお宿」という名前がつけられて、いろいろな企画が行われるようになりましたが、最初はもう誰がどう見てもボロボロの家でした。不思議なものですね、ボロボロの時は誰も見向きもしなかったけれど、少しずつゴミが片付いて中が見えてきた途端、多くの人たちが関わってくれるようになりました。

地元にある大学の学生さんたちやボランティアの皆さんのおかげで改修工事が進められてきて、見違えるような姿になってきました。要らなくなった火鉢とか、解体される住宅からいただいた欄間や建具などで作った場所です。どれもこれも、必要なくなってしまったものだけれど、活かされればこんなにすばらしい場所になるんですね。

蓮笑庵は、俊明と腕のいい職人たちが最高の素材を作って作り上げた、ある意味では完成された場所です。でも、同じ里山の中にそれとは全く違う自由な場所ができた。世間で要らないものから始まりましたが、だからこそ自由に多様な人たちがいろいろなものを表現できる。「すずめのお宿」は、大衆のアイデアによる未完成の場所です。

そこで思い出したのは、主人が言っていた、「里山というのは、一度切り開いたら、人が手を加え、そして手を携えて守っていかなければいけない。そこから恵みをいただく場所なんだ」という言葉でした。つまり、里山というのは人間がそれを生かす場所ではなく、生かされる場所というわけですね。蓮笑庵も、すずめのお宿も異なる性格の場ですけれども、この里山の豊かさに生かされる場所だということは共通している気がします。

インタビューの後、仁子さんに「雀のお宿」を案内していただいた
日大工学部の学生を中心に場づくりが行われている

-芸術や自然があることで感性を刺激され、対話の空間が生まれたり、立ち止まって考えたり、自由な表現が生まれたりする。それは偶然ではなく、芸術家である俊明がマスタープランを描いた場所だからこそ広がりがあったのでしょうね。

そうかもしれませんね。特に震災後に、そういう新しい流れが出てきました。それによって、すずめのお宿のような自由な場所が生まれたわけですけれども、蓮笑庵も含めて、それこそ皆で絵を描くようにして、この里山が育ってきたということなのかもしれません。本当に奇跡的なことだと思います。

主人とここに来た頃、家の前の池を作って、魚を放したことがあるんです。私は、せっかく魚を入れても泥でかき回されて何も見えないじゃないって文句を言ったんですね。すると、主人はこんなことを言っていました。「泥は決して汚いものじゃない。この見えない泥の中にどんな生き物がいるのかを想像するのが楽しいよ。泳いでいるものが見えるより、見えないものを想像することが面白いんだ」って。

もしかすると、この場所もそうかもしれませんね。仲間が増えて、関わってくれる人たちが増えて、さあこの先どうしようと思ったこともありますが、行き止まりかと思っても、次の橋がすっと現れてくるんです。これからの時代もそうかもしれません。ここが起点になって集った次の世代の人たちが、こんなことをしてみようって、きっと新しい橋をかけてくれる。そう思っています。

 

プロフィール:渡辺仁子(わたなべ・じんこ)
福島県田村市生まれ。武蔵野女子大学日本文学科卒業後、教員を経て工芸店に勤務、独立。画家渡辺俊明と出会い、生まれ育った田村市にてアトリエ蓮笑庵を開く。(有)蓮笑庵代表取締役就任。夫・俊明が他界後、蓮笑庵を共に感じ学び合う共有の場として開放する。NPO法人蓮笑庵暮らしの学校設立・代表理事。四女の母。

 

INTERVIEW

INTERVIEW

千葉 清藍 | 書家

先人への敬意が、環境をつくる

郡山市在住の書家、千葉清藍さん。福島に59あるすべての市町村をめぐり、そこで見た景色、インスピレーションを受けた風景を作品にする活動など「旅する書道家」として知られています。現在では海外にも活動の場を広げている千葉さんに、旅の思い出や、福島の魅力、現在の活動などについてお話を伺ってきました。

取材・構成:小松理虔(ヘキレキ舎)

-福島を代表する書家として、現在は海外でも活動の場を広げていらっしゃいますが、もともと福島に来たのはどんな経緯があったのですか?

福島に来て19年になりますが、もともとはテレビのカメラマンを目指していたんです。東京のプロダクションに入社し、福島県内の民放局に配属されました。最初はカメラマンと二足のわらじで書道をやっていました。後に音声を担当するようになり、震災のときは、いわき市から新地町まで中継しました。あの時、被災した浜辺を見て、自分にはやり残していることがあるんじゃないかと自覚して。それから3年後に退職して、書家として活動しています。

千葉清藍として活動し始めたのは、2009年です。書の先生から「清」の字をいただき、私が「藍」の字を選びました。先生が亡くなったとき、自分で個展をやってみようと思って開催したのですが、「作品がただ佇んでいるだけに見える」と、作品を見た方から言われたんです。展示の空間を意識しすぎたこと、そして書に気持ちが入っていないと自分でも感じていました。恩師を亡くして何を書いたらいいか分からないまま、作品を書いていたんだと気づきました。

そんなこともあって、2010年に、道具を持って福島県全59市町村を巡る旅に出ました。旅に出てからは、文字に迷うことが無くなりました。伊佐須美神社でアヤメをテーマに書いた時は、ちょうど雨上がりのアヤメが色彩を増してキラキラしていたんです。それで「彩」と「雨」と書いて、「彩雨(あやめ)」と書きました。福島をめぐる旅では、五感で感じるままに表現していきました。

旅では、感性にも新鮮さがあったり、書の中に自由があるということを楽しむことができました。それに、人や自然との出会いは一期一会というか、そこにしかない空気感を持っているということも肌で感じました。部屋の中で書くことも大事だけれど、それとは別に、自分の書の追求には旅が重要だったんだと思います。

千葉さんのアトリエでお話を伺いました

-そうですか。震災の時には報道の仕事と書家の仕事を掛け持ちしていらっしゃったんですね。

そうです。53市町村目がちょうど終わったとき、あの震災がありました。でも、すぐに旅を再開して、残りの6つの市町村を回りました。旅では、立ち上がる人たちの強い思い、震災があっても変わらない風景の美しさを感じました。それを、書を通じて世界の人たちに伝えなければって、勝手な使命感を抱きながら、自分がやり残していることを全うしたいという思いが強かったです。突き動かされるようにして6市町村を回りました。

最後の締めくくりの書は、2011年11月、長床の大イチョウでした。旅を終えて59市町村ゴールしたけれど、ここからが始まりだと書が教えてくれた気がします。それからすぐに、仮設住宅で書道を教えて欲しいという話を頂きました。一つの旅が終われば、その次の光が見えてくるような、そんな書道人生だと感じています。

仮設住宅で書を教える時間は、とても充実していました。それまでは指導したことがなかったので戸惑いもありましたが、自分が福島を巡る中で心に生まれた新鮮な感情を、自由に素直に表現できたと実感していたので、それと同じように、敢えてお手本は用意しないで、それぞれ自由に書を書いてもらいました。

高齢の皆さんは、最初は「字がうまく書けないから」と出て来なかったけれど、若い人に引っ張られるようにして集会場に来てくださって、だんだんと緊張がほぐれて笑顔になっていく様子が印象的でした。みなさんがお書きになったのは、前向き、前進、笑顔、絆、感謝という言葉が多かった気がします。自分へのメッセージとか、お世話になった方への言葉が溢れていました。墨の香りに癒されて、どんどんリラックスしていかれる様子も印象深かったです。子どもからおじいちゃんおばあちゃんまで、自分の時間を愉しむひと時だったなと思います。

最終的には仮設住宅や集会所を12ケ所まわって、書の力を一緒に感じることができました。でも、私自身がもっと書を知らなければいけないと思い、ここ数年は、和紙の里や筆、墨、硯の産地を巡って、書に関わるものについて勉強しています。出会った職人さんたちの想いに触れ、きちんと書を伝えられる書家にならなければいけないという自覚と覚悟を教えてもらった気がします。

阿吽。静けさのなかに、躍動的な息遣いが感じられる作品

-ここ数年は、海外での活動も盛んになって来ているようですね。最近まで、アメリカにも訪問されたと聞きました。現地の反応はいかがでしたか?

今年は5つの州の8都市をまわってきました。近年は、一度伺うと1ヶ月を越える活動をしています。平日は小学校から大学まで書を教え、土日はフェスティバルや式典で、パフォーマーのようなかたちで大きな文字を書いています。

私は福島から行くわけですから、フェスティバルのような場所で震災のことを話すと、雰囲気を壊してしまうんじゃないか? といった空気になったこともありましたが、福島から来た者が、お祭りを祝って愉しみながらも、世界が抱えている問題のひとつとして福島のことを発信することはとても意味があると思っています。

福島のことを話すとき、同情して欲しいとは思っていません。けれど、共感することはできると思うんです。例えば、アメリカ滞在中にハリケーンの被害があったり、年々深刻な災害がアメリカでも起きています。そんな時、お見舞いの気持ちを伝えたり、お互いの文化や痛みに触れて共感することは未来の平和や友好につながると信じています。私は、書は1日で伝えられるものではないと思っているので、腹を割って話すことができる環境に感謝しながら、信頼関係を、その土地の人と築くことが何より大事だと思っています。

海外と言っても、例えばヨーロッパ、アメリカ、オーストラリア、それぞれで反応は違います。ヨーロッパは何かロマンを感じてくれているところがあります。ロサンゼルスやニューヨークには、実は書家が多く、子どもたちが学校で書にふれあう機会も比較的多い地域です。けれど、私が行っている中西部や南部は初めて書に触れる人々が多いので、教育としての書道も、芸術としての書の魅力も、どちらも伝えられるように、そして楽しんでもらえるように心がけています。

県内の新聞社から依頼で書かれたという「令和」の書

-すでに書家が多いというのは驚きですね!

セントルイスでは、趣味で書道をやっているという愛好家が一人、また一人と集まってきて、ついには「セントルイス筆の会」ができたということもありました。今では、若い人からご高齢の方まで書道が人気になっているそうです。そういう報告が一番うれしいですね。私は1年に1回しか行けないけれど、地元の人たちが思いに共感して、自分たちのために動いた、というのがまたうれしいです。

以前、私が書いた書を「ここに入れたんだ」と言って、タトゥーにしてきた人がいました。その時、ああ、この国では、自分がさっと書いたものが、体の一部になってしまうこともあるんだな、もっと自分の字に責任を持たなければいけないなと思いました。自分の知らないところで書が新たな人生を歩む姿に遭遇したような感覚で、誤字や脱字・芸術面や作品としての管理基準も含めて、あらゆる面で書家としての責任や覚悟を持たなければいけないと思った出来事でした。

その歴史は室町時代まで遡るという雄勝硯を愛用している
書を学ぶために、各地の工房を訪ね歩いたという千葉さん。道具への敬意と愛を惜しまない

-現在は、主にどのような活動をしていらっしゃるんですか?

そうですね、書に関する仕事は、今のところ大きく分けると4つあります。1つ目は、教育機関や一般の方に教える書道の先生としての仕事。2つ目は、依頼のあったものを作品として制作する仕事です。3つ目は、式典やフェスティバル等でのパフォーマンスやデモンストレーション。4つ目は、福島の地域の子どもたちを対象にした、地域に根付いた文化を取り上げた活動です。

この4つ目は、文化団体を立ち上げて、会津桐や、福島の伝統手漉き和紙をテーマにした紙芝居を作ったり、掛け軸作りのワークショップなどを開催したりしています。その活動のなかに、三島町の子どもたちと桐の絵馬のようなものを作って、お願い事を書き、それを毎年三島神社に奉納する活動をしています。

福島のわき水で墨をすり、福島の和紙に書くという日々の制作は、とても贅沢に感じています。筆は広島のものが多いですが、子どもたちと触れ合っていると、木や葉っぱも筆になり、大地の恵みを感じながら書の原点に還る機会に恵まれています。そういう活動は、書家としての幅を広げてくれるような気がします。

私は書家にはふた通りあると思っていて、ひとつは、資格も免許も取らず、自分の世界を切り拓く人と、もうひとつが、団体に属して先人たちの書を真似るトレーニングしながらその幅を広げてステップアップする人。どちらも素晴らしいし、どちらの書も社会から求められていると思います。

私は、自分の感性や創造力を追求したいと思う一方で、臨書を通して学んで、師匠や先人たちへの敬意を絶対に忘れたくないというのが根底にあります。

書道は文化芸術として長い道、そして流れがあります。その水もただ留まっていたら濁ってしまう。清流のように流れていきつつ、先人への敬意を払うということが大事だと思っています。そうしないと、書道という環境そのものを破壊してしまうことになりかねないと考えています。創造によって水に流れをつくり、先人への敬意によって環境を守る。そういうことなのかなと思います。

千葉さんは「福島は未知数の力を秘めている」という

-書家として、福島の魅力とは一体どのようなところにあると感じていますか?

震災前から、食と自然の豊さ、そして人の温かさが福島の魅力だと思っていました。震災のときは30代で、東京に戻ろうかといろいろなことを考えていましたが、震災があって改めて福島っていいところだなと感じたんです。

震災直後の旅の中で、地割れした桃畑を訪れたとき、その農家さんが「自分たちは、おいしい桃を今まで通り作るだけだ」と黙々と作業をされていたんです。福島の方はシャイな方がとても多いけど、生産者の方の誇り、真の強さを実感しました。今年起きた大水害もそうですが、助け合う心や、お互いを生かす心、福島が持つそういう力を社会に共有して、共に考えていくことが求められていると思います。

私が作品を作る時は、目の前の風景だけでなく、食べもののおいしさ、人の温かさ、助け合いの心、人との交流からも影響を受けて感性が動きます。これまでの魅力に加えて、震災をはじめ様々な経験をしたからこそ出てくる未知数の力を福島は秘めていると思います。そういう意味でも、私にとって福島という場所は作品を作る上でとても大切な場所です。

実は、近いうちに、育むということをテーマに、福島の旅を再開しようと思っているんです。数年前から考えていることなんですが。今は旅の巡り方などを構想している段階です。当時と今と、見え方はどう違ってくるか、書く文字はどう変化するか、とても楽しみです。福島のおいしいものを頂きながら、美しい自然と、たくましく生きる人たちに、また会いに行けたらと思っています。

 

プロフィール 千葉 清藍(ちば・せいらん)
東京都葛飾区出身。福島県三春町にアトリエを構え、「旅する書道家」として2010年5月から、福島県全59市町村を巡った。2013年より、福島県の「あったかふくしま観光交流大使」に就任。JR郡山駅の駅名標、ANA東北フラワージェット 「東北」ロゴなどの揮毫を担当したほか、フランスの月刊誌「ズームジャポン~明日の日本を創る50人」に選出されるなどグローバルな活動を続けている。

EVENTS

2018年、いわき市内郷白水地区にて開催された「しらみずアーツキャンプ」。旧産炭地であった白水地区の歴史と文化を、座学で学び、フィールドワークで体感し、そして芸術作品を巻き込んだアートイベントは多くの参加者を集めました。そのアーツキャンプが今年も白水地区を舞台に戻ってきます。

10月27日に開催される「しらみずアーツキャンプ2019」、今年のテーマはいわきの伝統芸能でもある「やっちき」です。昨年同様に白水地区の文化や歴史を学ぶ「しらみず文化大学」と、今年新たに白水地区の歴史や文化を題材にした演劇作品を鑑賞する「しらみず野外演劇祭」の二つの企画に別れています。

座学では文化と歴史を知り、フィールドワークでは地域の息遣いを感じ、そして最後の演劇では想像力を喚起される、そんな濃厚な1日になるでしょう。10月27日は、ぜひ白水地区にお越しください。

座学・昼食会場となる旧白水小学校
みろく沢炭砿資料館ではフィールドワークのほか、最後には演劇が披露される
去年好評だった内郷まちづくり市民会議さんによる「石炭の道」ガイドツアー

【プログラム詳細】
「しらみずアーツキャンプ2019」
しらみず文化大学しらみず野外演劇祭の大きく二つのプログラムがあります。概要は下記の通りですが、詳しくはいわき潮目文化共創都市づくり推進実行委員会のWEBサイトをご確認ください。

しらみず文化大学
日 程:日時:2019年10月27日(日)9:00〜15:30
会 場:座学講座 旧いわき市立白水小学校体育館
   フィールドワーク みろく沢炭砿資料館前広場、いわき市内郷地区内など各所
定 員:座学には定員はありませんが、フィールドワークには定員の設定されているものがあります
料 金:無料

①午前の部:文化講座

②午後の部:フィールドワーク講座

しらみず野外演劇祭
①しらみず野外演劇祭・作品1 体験型ツアー演劇「石炭漂霊巡り」
日 時:2019年10月27日(日)
集 合:JRいわき駅 8:30(集合場所は別途詳細をお知らせします)
解 散:JRいわき駅 18:00
上演時間:8:30〜17:00(途中、お昼ご飯の休憩などを挟み、後半は野外劇に合流します)
料 金:3,500円/人(要予約)
定 員:15名
概 要:このプログラムは、マイクロバスでいわき各所を巡りながら石炭の記憶を辿るツアー型演劇です。途中、お昼休みなどを挟みながら、最終的には午後4時から上演される野外劇に合流する1日がかりのツアーとなっております。(予約受付は終了)

しらみず野外演劇祭・作品2 野外劇「地中の羽化、百億の波の果て」
日 時:2019年10月27日(日)16:00開演 17:00終了予定
会 場:みろく沢炭資料館
料 金:投げ銭制
定 員:なし
概 要:野外劇「地中の羽化、百億の波の果て」は、みろく沢炭資料館前にて上演される野外劇です。この野外劇をもって、しらみずアーツキャンプはフィナーレを迎えます。

*クラウドファンディングも実施中
クラウドファンド「KICK OFF」にて、このふたつの演劇プログラムに関するクラウドファンドを実施します。参加者が15名と限定されてしまうツアー演劇を「映像作品化」し、全国の皆さまにご覧頂くためのクラウドファンドです。ご支援はKICK OFFのサイトから。

しらみずアーツキャンプ2019としらみず野外劇のフライヤー

◎お問い合わせ
いわき潮目文化共創都市づくり推進実行委員会
〒970-8686 いわき市平字梅本21(いわき市 文化スポーツ室 文化振興課内)
TEL:0246-22-7544 FAX:0246-22-7552
E-mail:bunkashinko@city.iwaki.lg.jp

 

EVENTS

 

例年好評を博しているコールペイントワークショップ。なんと、今年度も福島県内2箇所(南相馬・猪苗代)で開催されます! 講師は毎回おなじみの国盛麻衣佳さん。福岡県大牟田市出身で、国内外の旧産炭地から得た石炭や石炭灰を素材とした画材を使った作品作りやアートワークショップを手がけています。

今年のコールペイントワークショップのタイトルは「石炭・石炭灰でだいすきな人の似顔絵を描こう」。いわきをはじめ、日本全国の炭鉱町で集めた石炭・石炭灰からできた炭鉱町オリジナル油絵の具を使って、人物画を描きます。大好きなひとなら誰でもOK。家族だったり、友達だったり、気になるあの人でも、はたまた自分自身を描くのも面白いのかもしれません。

対象は小学3年生から大人までということで、親子連れはもちろん、お孫さんを誘ってワークショップに来ていただくのもいいかもしれません。大切なあの人を思い浮かべながら、アートな1日を過ごしてみませんか?

【プログラム詳細】

「コールペイントワークショップ」
〜石炭・石炭灰でだいすきな人の似顔絵を描こう〜

昔からたくさんの肖像画が、油絵で描かれてきました。今回は、いわきや全国各地の炭鉱町から石炭や石炭灰を集め、炭鉱町オリジナルの油絵の具を作りました。家族や身近な人に絵を描いてプレゼントしてみませんか? もちろん自画像でもOKです。油絵を描いたことのない人でも簡単に描くことができます。

◎講師
国盛 麻衣佳氏
福岡県大牟田市出身。「炭鉱と芸術」をテーマとし、旧産炭地で生まれた文化の再評価を、美術活動と研究の両方から行なっている。国内外の各旧産炭地から得た石炭・石炭灰などを素材にした画材を用い、作品制作やアートワークショップを行なっている。

◎開催日時・概要
1.南相馬会場
日 程:令和元年11月3日(日)(13:00~17:00)
参加費:無料(事前申込制)
定 員:20名
対 象:小学3年生から大人まで(小学3年生未満の方は保護者同伴)
会 場:南相馬市博物館(〒975-0051 福島県南相馬市原町区牛来出口194)
アクセス
・JR常磐線「原ノ町」駅西口からタクシーで約10分
・常磐道「南相馬IC」から車で約20分
2.猪苗代会場
日 程:令和元年11月4日(月祝)(13:00~15:00)
参加費:無料(事前申込制)
定 員:20名
対 象:小学3年生から大人まで(小学3年生未満の方は保護者同伴)
会 場:はじまりの美術館(〒969-3122 福島県耶麻郡猪苗代町字新町4873)
アクセス
・JR常磐線「猪苗代」駅西口からタクシーで約5分
・磐越道「猪苗代磐梯高原IC」から車で約5分

◎申し込み・お問い合わせ
特定非営利法人Wunderground(担当:阿部)
FAX:0246-23-6566
EMAIL:info@wangura.net
主 催:福島県 事業委託者:特定非営利活動法人Wunder ground

INTERVIEW

INTERVIEW

小原 風子 | 絵本作家・アーティスト

向き合うのではなく、共に流れる

学校教育の場にアーティストが入り、子どもたちと一緒に作品づくりを行うと、その場にはどんなことが起きるのか。福島藝術計画では、この数年、教育の現場にアーティストを派遣してプログラムを行う「学校連携プロジェクト」を行ってきました。2018年度は、南相馬市在住のアーティスト・絵本作家である小原風子さんを講師に迎えたワークショップを開催。その小原さんがワークショップを通じて学んだこととは。

取材・構成:小松理虔(ヘキレキ舎)

—今回、学校連携プロジェクトのアーティストとして声がかかったきっかけはどのようなことだったんでしょうか?

霊山町にある「こどもの村」で絵描きをしながら働いています。当時県立美術館の学芸員だった國島さんから、こどもの村でワークショップをしてみないかと話を頂いたことが、そもそものきっかけでした。

こどもの村では、その時「絵本カーニバル」という企画展を開催しており、県美に作品がある大岩オスカールさんの「はじめてアート」という絵本から、広がっていくようなワークショップをしてみようかということになったのです。

オスカールさんの絵本を朗読したり、その絵本に出てくる絵を使ってプロジェクションマッピングをしたり、布に絵をかいて大きな宇宙を作ってみたり。最終的には、その布をみんなで持って滑り台を降りることになったのですが、本当に大騒ぎで。県美の学芸員のみなさんや、こどもの村のスタッフ、高校生ボランティアさんそして、こどもの村に来てくれたこどもたち、みんなで創ったワークショップでした。そのときの子どもたちがのびのびして良かったなぁ!これを学校でもやってみないですか〜?と、また声をかけて頂いたんです。

これまでの学校連携ワークショップは一般のクラスが対象でしたが、今回は初めて「ふれあい教室」の中学生とも開催するという計画がありました。学校に行ける日もあれば行けない日もある、そういう子どもたちと関わるのは自分にとってもなんだかいいタイミングだなと思いました。それで今回参加させて頂いたという流れです。

小原さんが作画を担当した絵本たち

—どんなワークショップを行ったのですか?

木の実人形を使ったフォト絵本とコマドリアニメーションの制作です。震災後、自然のなかで五感を目一杯使って想像したり、自然を感じる機会が奪われたまま育った子どもたちが多いので、自然にあるものを使いながら、その子たちのイマジネーションの扉が開いたり、そのボタンが押されるようなことがしたいと思っていました。

わたしがつくった絵本に登場するのが、栃の実の「トッチーさん」でした。こどもたちも、木の実を使ってみんなでそれぞれにトッチーさんの兄弟を作ったり、自分のオリジナルのキャラクターを作ったりして、想いおもいの場所に置いて写真を撮り、それをつなぎ合わせて絵本を作りました。小学生はフォト絵本を作るところまでで、中学生はちょっとずつコマドリを撮影して映像にするところまでやりました。

木の実人形を使ったフォト絵本とコマドリアニメーション
ワークショップは木の実人形を作るところからはじまる
子どもたちは思い思いの物語を思い浮かべながら撮影をしていった

私は以前から原始的な遊びが大好きでした。例えばコマドリの映像も、最先端の映像というより、ノートの端に絵を書いて棒人間が走ったりジャンプしたりというシンプルなものですよね。だからこそ動かないものに命が宿るような感覚が生まれる。それを子どもたちが体験したら、どうなるかなぁ?!と。

ところが、「ふれあい教室」での実際のワークショップは、ほとんど計画通りには進みませんでした。ひとりでやりたい子もいれば、初回は来たけど2回目に休んじゃう子たちもいますし、それぞれスイッチが入るタイミングも違います。本を読んでいたいという子もいたり。どうしよう、混ざらないなあと、とても悩みました。なぜかというと、私がきっと、これをやろうと誘導しちゃっていたんですね。今思うと、そのただ本を読んでることだって、ひとりでつくることだってとても大切な時間なのに…。

学校の先生たちも、子どもたちに良かれと思っていろいろなアドバイスをしてしまうものです。大人が引っ張ってしまったダメだと思って、「みんな今日はどうだった?」と聞いてみたことがあるんです。そうしたら、ある男の子が「僕なんか凡人で、先生たちはすごいアートに長けているなと思いました」と言ったんですね。その時、なんてことを子どもに言わせてしまったんだろうと思いました。そしてその子に心からごめんねと謝りました。

—ワークショップに慣れているはずの風子さんも想定外のことが起きたわけですね。その場はどのように展開していったんですか?

美術館に戻ってから学芸員の皆さんと話し合いました。こどもたちと関わるとき、作品の完成度じゃなくて、その過程がほんとうに大事なんだなと思うと、以前中学校の先生をしていた学芸員の大北さんから話をきいて、すうっと心が落ち着きました。

先生たちもこどもたちとは別に制作チームを作ってもらったらどうだろうということにも!こどもたちにアドバイスするのではなく先生たちも、それぞれ本気でつくって下さったら、お互いすごくいい空気になるんじゃないかって。

子どもたちが、学校に行けなくなったりするのは、きっとすごく感性豊かでいろんなことを感じ取ってしまうからかな。それでわたしや先生の期待にも応えたいと思ってしまったのかもしれない。だから私たちはこんどは黙ってることにしたんです。

おかげで3回目はとても充実しました。アイデアが出てきて止まらない子たちや、これまでお互いにほとんど喋ったこともない男の子たちたちが仲良しになってしまったり。葛飾北斎が大好きな女の子はひとりで作り続けていましたが、その子の作品も涙が出そうなくらい素敵でした。それぞれみんな心にもっているストーリーがぽろんって出てきたんです。

不登校というと良くないイメージを持たれがちだけど、みんな繊細だったり、アイデアが湧きすぎちゃうから学校で決められたリズムに合わないだけなんじゃないかな。その子のタイミングやリズムで取り組めたら、逆にすごい強い力を発揮できる子たちばっかりでした。

そこで学んだのは、相手に委ねると、その子たちの世界がワーって開いてくるということです。教える側の我が出すぎちゃうと広がらなくなっちゃう。けれど、ただ一緒にいて、子どもたちが悩んでどうしようっていう時だけ「どうしよか?」って言うだけでいいんですよね。学ばされたのは私たちだったんです。

当時を思い返しながら力強く語る小原さん

—その時間を一緒にいるということ。それだけでいいのかもしれませんね。

そうですね。絵本作家としての自分にも大きな経験でした。以前絵本作家の卵としてイタリアのボローニャに行ったとき、あちらの方に「This is your poetry book, not children’s book.」と言われたんです。お前のポエム描いてんじゃねーよ、ってことですよね。絵本は、私の詩ではなくて、子供たちが描いてゆく風景を描かなくちゃいけない。絵本だけでなくワークショップもそうだなあといま改めて思っています。

だけれど、子どもに預けなさい、自由にさせなさいと言葉で言っても、それはまた変ですよね。「自由って何?」って感じで子どもたちも迷ってしまうし。私もまだわからないけど、大事なのは「待つ」と言うことかもしれません。スイッチボタンが入るタイミングってちょっとずつそれぞれ違うんだけど、なんで日本はそれを全部合わせてしまうのかなって。合わせなくていいんですよね。

以前、こどもの村のスタッフの女性から、こんな話を聞きました。「私が小学生の時、絵を描いていて土の色をオレンジで塗ったら、先生から土の色はそんな色じゃないでしょう、茶色でしょうって言われて、それから自分はダメなんだと思って美術が好きではなくなってしまったの」と。

美術の時間に答えあわせなんて必要ないし、なんなら、ほかの授業だってそうだと思います。1+1=2じゃなくて、何を足せば10になるのか、その選択肢を一緒に考えるのが授業です。ひとつの答えじゃない。みんなのそれぞれの答えを待つような美術の時間があってもいいはずなんですけどね。

—町づくり的な観点からアートプロジェクトが開催されることも増えていますが、そういうところで、動員や経済効果ばかりが持ち出されます。風子さんのいうような「待つこと」はだんだん難しくなってしまっています。

そうですね。ふれあい学級だと10人くらいしかいないので、もっと人数を動員できるような企画が求められているのかもしれません。けれど、ほんとうは、ひとり子の心に何か感じてもらえたらそれでいいはず。そこに行けば何かあるんじゃないか、気持ちいいことできるんじゃないかって思って来てくれる子がひとりでもいい。

私も小さい時は喋れない子だったんです。いつも行っちゃいけないって言われていた畑のほうに飛び出して言って、動物と遊んだりしていました。けれど、小学校に入ったらダメになっちゃった。萎縮しちゃっていたのかもしれません。けれども、二年生の時、国語の授業で手をあげたら「フウコちゃんが手を上げてくれて本当に嬉しい」って喜んでくれて。先生からこっそり色鉛筆をもらっちゃったんです。それから前向きになれました。何かのきっかけで子どもたちは大きく変わる。だからこそ、ひとりひとりをしっかり見ていないといけないんじゃないかと。

こどもの村でワークショップでお世話になった方がこんなことを言っていました。「子どもたちには向き合うんじゃない。一緒に流れていくんだよ、川みたいにね」って。向き合うと、こっちも何かしないといけない、教えてあげないとって思ってしまうし、成果も出さないとと焦ってしまうけど、一緒に流れればいいんですね。そうじゃないと子どもたちのスイッチを見逃してしまう。だから向き合うんじゃなく一緒に流れる。その言葉と現実が結びついたのが、今回のワークショップでしたね。

私は南相馬でサーフィンもするんですよ。福島市に住んでいた時からちょくちょくきていました。本当に上手なサーファーは波を壊さずに波と一緒に流れていくだけなんです。向き合わない。一緒に流れる。そして待つ。絵本作家としても、ワークショップに関わる作家としても、サーファーとしても、とても大事なことを子どもたちに教えてもらった気がします。

 

プロフィール 小原風子(おばら・ふうこ)
1971年 福島県出身。東京藝術大学で日本画を学んだ後、帰郷。チルドレンズミュージアムにて、こどもたちと関わる仕事を続けながら、南相馬の海のそばで絵や絵本の制作をしている。2012年『僕らの海』、2015年『もこもこ雲のテラドラゴン』を自主出版。

 

EVENTS

 

アートによる新生ふくしま交流事業
アートで広げるみんなの元気プロジェクト「成果展」

アートによる新生ふくしま交流事業「アートで広げるみんなの元気プロジェクト」では、今年度4つのアートイベント「ミクロの化石のアートへ」「ロボットアームワークショップ」「コールペイントワークショップ」「サンマパレード」を開催してきました。今年度の集大成として成果展をいわき市石炭・化石館ほるるにて開催します。

 

<講師>
◎「ロボットアームワークショップ」講師
パンタグラフ(アーティスト)
◎「ミクロの化石からアートへ」講師
君平(アーティスト)
◎「コールペイントワークショップ」講師
国盛麻衣佳(アーティスト)
◎「サンマパレード」講師
高木市之助(アーティスト)

<日時・会場>
日 程:平成31年3月18日(月)〜3月24日(日)(9:00~17:00)
会 場:いわき市石炭・化石館ほるる講堂(〒972-8321 福島県いわき市常磐湯本町向田3−1)
※観覧は無料ゾーンにございます。

<アクセス
・JR常磐線「湯本」駅 から徒歩で約15分・タクシー5分
・磐越自動車道 いわき湯本ICから車で約15分

<お問い合わせ>
特定非営利法人Wunderground(担当:阿部)
〒970-8026 福島県いわき市平字白銀町 2-10 TATAKIAGE BASE 201
TEL:090-2997-1849 FAX:0246-23-6566
EMAIL:info@wangura.net

主 催:福島県文化振興課 事業受託者:特定非営利活動法人Wunder ground
助 成:アートによる新生ふくしま交流事業「アートで広げるみんなの元気プロジェクト」

 

EVENTS

自分たちが住んでいる場所(久之浜・海)とは、全く異なる自然環境・文化(只見・森)を持つ土地の友達に思いを馳せながら、浜にある石を使って名前をつけたり標本箱を作るワークショップが浜風きららにて開催されます。ワークショップを通して、自分たちの住む地域の魅力を見つめてみよう。

 

【プログラム詳細】

福島藝術計画 × Art Support Tohoku-Tokyo2018
福島こども芸術計画
アートワークショップ「海のこと玉〜石の小さな標本箱作り〜」

只見の自然を作り出す大雪と関係の深いブナ。そんなブナの森に潜んでいるいきものたちの姿を想像しながら彼らが使うものかもしれない道具を只見の子どもたちに考えてもらいました。その道具たちを見たあと、アーティストの岩田とも子さんと一緒に、浜にあるたくさんの石から標本箱を作るワークショップを行います。久之浜の子どもたち自身にも自分たちの地域の魅力を知ってもらうことも狙いにしています。只見の子どもたちが作った作品の展示「ブナの森の道具屋さん」も10日間展示していますよ!

◎講師
岩田とも子(アーティスト)
身近な自然物の観察・採集から宇宙的なサイクルを体感するような制作をするアーティスト。発表形態は多様で2012年に畑を舞台に展開した「SILENT MIXER」、2014年に香川県粟島での自然物を採集 するプロジェクト「粟島自然観察船」その他、自然学校の講師と共同で森の中で子どもワークショップを定期的に行う。生き物に対する素朴な視点、そこからはじまる学びと表現を大切にしている。

◎会場と日時
<日時・会場>
日 程:平成31年3月24日(日)(13:00~15:00)
定 員:12名
参加費:無料
対 象:小学生
申 込:氏名・学年・保護者氏名・電話番号(日中繋がるもの)を明記し、メールまたはFAXを送ってください。
会 場:浜風きらら(〒979-0333 福島県いわき市久之北町52−1)

※ワークショップに合わせた展示「ブナの森の道具屋さん」も同会場にて開催。
「ブナの森の道具屋さん」
日程:3月16日(土)〜25日(月)の10日間
時間:11:00〜20:00
料金:入場無料

<アクセス
・JR常磐線「久之浜」駅 から徒歩で約5分
・磐越自動車道 いわき四倉ICから車で約15分

申し込み・お問い合わせ
特定非営利法人Wunderground(担当:会田)
〒970-8026 福島県いわき市平字白銀町 2-10 TATAKIAGE BASE 201
TEL:090-2997-1849 FAX:0246-23-6566
EMAIL:info@wangura.net

主 催:福島県、東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)、特定非営利活動法人Wunder ground
協 力:浜風きらら株式会社

福島藝術計画 × Art Support Tohoku-Tokyo(東京都による芸術文化を活用した被災地支援事業)は、福島県、東京都、アーツカウンシル東京(公益財団法人東京都歴史文化財団)の三者が共催し、地域の団体と協働してアートプログラムを実施する事業です。文化芸術に触れる機会や地域コミュニティの交流の場をつくり、文化芸術による地域活力の創出と心のケアという視点から復旧・復興を支援します。

 

 

EVENTS

 

みんなでじゃんがらを楽しもう!いわきの伝統芸能「じゃんがら念仏踊り」の太鼓や鐘を使って、音を出したり、踊りや歌を歌って、じゃんがらを体験してみよう!じゃんがらワークショップを体験してくれた子どもたちには、お菓子のプレゼントもあるよ!「じゃんがら念仏踊り」の披露もありますので、ご家族、ご友人お誘い合わせてご参加ください。

 

 

【プログラム詳細】

3月17日(日)道の駅よつくら港にて、いわきの伝統芸能「じゃんがら念仏踊り」を体感できるイベント「集まれ、いわきっ子!~子どもも大人も、一緒に楽しむ、じゃんがら交流会~」を開催します。 じゃんがらで使われる太鼓や鐘に実際に鳴らせる「じゃんがら体験」、下神谷青年会による「じゃんがら念仏踊り」の披露、そして「じゃんがら」からインスピレーションを受け完成したアート作品「ジャン」と「ガーラ」展示。山の資源で作られた「ジャン」は今年1月に同会場で地域の皆さんと作り上げた作品です。 ぜひご家族やご友人と、会場にお越しください。

<日時・会場>
日 程:平成31年3月17日(日)(10:00~12:00)
会 場:道の駅よつくら港(〒979-0201 いわき市四倉町五丁目218−1))
参加費:無料
プログラム:
① じゃんがら体験(踊り・唄、太鼓、鐘)10:00-11:00
② じゃんがら交流会(下神谷青年会)11:00-12:00
③ アート「ジャン」と「ガーラ」の展示
今年1月、ミュージシャンの『たむらぱん』さんと地域のみんなで作り上げたアート作品「ジャン」と「ガーラ」。海と山の地域資源とたくさんのアイディアから生まれた、高さ約2mの大作をぜひ楽しみください。 ※作品展示は、3月17日(日)~3月31日(日)まで道の駅 よつくら港でご覧いただけます。

<アクセス
・JR常磐線「四ツ倉」駅 から徒歩で約20分・タクシーで5分
・磐越自動車道 いわき四倉ICから車で約10分

 

お問い合わせ
特定非営利法人Wunderground(担当:阿部)
〒970-8026 福島県いわき市平字白銀町 2-10 TATAKIAGE BASE 201
TEL:090-2997-1849 FAX:0246-23-6566
EMAIL:info@wangura.net

主 催:特定非営利活動法人Wunder ground 協力:MUSUBU

*本事業は、平成30年度 地域創生総合支援事業(サポート事業)の採択を受け実施しております。